
ジクロロ
@jirowcrew
2026年3月4日

神々との対話(ブッダ)
中村元
読んでる
どれもすべて連れて行くことはできない。
すべてを捨てて行くのである。
ひとが身体でなし、
またことばや心でなすところのもの(=業)、
ーーそれこそ、かれ自身のものである。
人はそれを取って受けて、行くのである。
それは、かれに従うものである。
ーー影が人に従って行くように。
(第三篇第二章)
かたちではなく、はたらき。
「影」がないということは、
光の下にいないということ。
「かれ」とは「影」を伴ってこその存在であるということの意味を。
"アブラハムはあらゆる意味とあらゆる所有物を放棄するーーそのときにこそ絶対的な義務としての責任が始まるのだ。アブラハムは神と非-交換の関係にある。彼は神に語ることはなく、神から応答も報酬も期待しないからこそ、秘密の中に閉じ込められている。応答すなわち責任はつねに、お返しすなわち報酬や報いなどを求める危験を冒しがちだが、それはみずからを失う危険でもある。"
(『死を与える』ジャック・デリダ p.196)
「影」を伴ってこその秘密と危険。
行為の結果を期待しないこと
ーー義務こそが光であり踊り(祭祀)であるということ。
