
ジクロロ
@jirowcrew
2026年3月4日
返さない借り つながる贈与
岩野卓司
読んでる
江戸時代に、武士が罪を犯したとき、それが重罪だったときは打ち首だったが、そこまで至らないときは切腹だった。切腹の場合は、藩主や将軍からの贈死というかたちをとる。藩主や将軍が死を与えるのだ。それによって切腹は名誉ある死となるのである。権力のある者しか、贈与の権限はないのだ。このように贈与は権力や権威と結びついていて、封建遺制や古い慣習と親和的な面をもっている。
(p.13)
このおののきが人間を捉えるのは、人間が人格〔=位格(ペルソナ)〕になるときである。そして人格がそのようなものになることができるのは、それがその単独性そのものにおいて、神の視線によって身をすくまされるときである。そのとき人格は他者の視線によって見られることになる。この場合に他者は、「至高の、絶対的で接近不可能な存在者であり、私たちを外的にではなく、内的に掌握する」のである。
(『死を与える』ジャック・デリダp.20)
「恥」と「おののき」は似ている。
前者は世間の目、後者は神の視線。
その抑圧の果てが、「死を与える」ーー贈与の形象としての死となるということ。
見つめられて臆病になるような行為は「盗み」に近しく、それにより与えられる死、つまり盗みの補填が「贈与」であるというよくできた話。

