
柿内正午
@kakisiesta
2025年3月14日

労働者
海大汎
読んでる
“労働身体における身体的・精神的・感情的諸能力は、はじめから記号化された個別的労働時間の枠内で発揮・発現されることが条件づけられている。そこでは指揮・管理・監督・統の主体としての労働身体と、その客体としての労働身体が同時に労働者の内面を構成することになる。このように労働者は、自分のなかに指揮者・監督者としての労働身体と、被指揮者・被監督者としての労働身体とからなる対極的・非対称的な二つのファクターを内面化するのであるが、その過程で多かれ少なかれ自己分裂に直面せざるをえない。いいかえれば、労働者は、二分された労働身体を統合すべき必要に迫られることになるのである
ただし労働者自身の内面的な自己分裂の度合いが大きいほど、それを埋めようとするリアクションも強くなると考えられる。なぜなら、外部から刷り込まれた資本家的な労働身体をつねに意識するのは、労働者本人にとってもあまり愉快なことではないからである。それゆえ多くの場合、労働者は、両方の労働身体を統合する方式で、つまりそれらの対極性・非対称性を縮小する方式で、自己分裂の相対化を図るが、仮に両方の労働身体を統合することに失敗した場合、あるいは回避してしまう場合、身体的・精神的・感情的疲弊を余儀なくされることになる。”
p.290







