

柿内正午
@kakisiesta
楽しい読み書き
- 2026年1月1日
- 2026年1月1日
「手に負えない」を編みなおす友田とん名著。まず序文がよいし、書き出しもよい。しかし序文と書き出しの軽やかさに対して、そこから始まる第一部の文章はずっと小説の書き出しの数段落のような重さが持続していて、それはつまり「これはどういうものとして書かれ読まれるのか?」を一文ごとに問い直すような書きぶりということで、書かれ読まれる根拠がどこにもないまま、そのつど書かれることそれ自体が読まれる理由となるかもしれないという薄い信だけをよすがに手探りしていく書き方だ。立ち上げる瞬間瞬間の重たさがずっと続く。この粘り強さはなんだろう、と驚嘆する。こちらもずっとどう読めばいいのかわからないまま、読んでいくほかない。 このような五里霧中の自縄自縛のまどろっこしさこそが作家・友田とんの真骨頂なのであり、この本ではついに友田さんのナンセンスな実践を、読者は相対化して笑うのではなく一緒になぞっていくことになる。しかも、今回はそれだけでは終わらないのだ。 第一部の粘り強い調整と観察を経て、すっかり友田とんの方法へとチューニングされた読者の体は、第二部においてなされる奔放な「飛躍」に怯まなくなっている。むしろ共に可笑しさを見出して喜ぶようになっている。友田とんという固有の存在が抱え持つ記憶と環境のレイアウトが組み変わり、あらたな相貌を見せ始める様子を一緒になって発見できるようになる。 この本の読み口は、日々のマッサージのようでもあり、読んでいる間は痛さや圧迫感もあるかもしれないが、読み終えた直後は「ああ気持ちよかった」と軽やかになるだろう。毎日を頑張る心身はまた凝っていくだろう。そうしたら、また友田とんが読みたくなる。つねに手許に置いておきたい本は少なくないが、行きつけの整体師や鍼灸師のような本というのはなかなかない。 - 2025年12月27日
- 2025年12月17日
彼岸花青色ひよこ買った - 2025年12月17日
味坊の味 リョウさんが伝えたい中国の家庭料理今井真実,梁宝璋買った - 2025年12月17日
人種の問題コーネル・ウェスト,山下慶親買った - 2025年12月17日
監獄ビジネス: グローバリズムと産獄複合体アンジェラ・デイヴィス買った - 2025年12月17日
哲学を回避するアメリカ知識人コーネル・ウェスト,堀智弘,村山淳彦,権田建二買った - 2025年12月17日
メディア論マーシャル・マクルーハン,栗原裕,河本仲聖買った - 2025年12月17日
奔放な生、うつくしい実験サイディヤ・ハートマン,ハーン小路恭子,榎本空『奔放な生、うつくしい実験』を読み終える。前半はじりじりと這うように読んでいったが、リズムが浸透してからは一気に読まれた。最高の本だった。今年の、とかではなくこの生にとって大事な本になるだろう。気ままに無為であること、それこそが掴み取るべき奢侈である。とるに足らない存在、いてはいけない存在として、警察や裁判所や矯正施設の調書や文書のなかに、ありふれた不穏分子として記された者たちの生の断片。不良のwayward、わがままなwayward、強情なwayward、厄介なwayward、不都合なwayward女たち。彼女たちを抑圧することを目的として、外から形容するこの語彙waywardを、奔放な、と読み替える。 “奔放であるとは、あらゆる道が閉ざされたときの、それをぶっ潰すよりほか道がなくなってしまったときの、可能性の実践。それはいかなる規則にも従わず、いかなる権威にも首を垂れない。それは強情気ままである。それは別の世界についての神秘的なヴィジョンをさまよい歩き、別の種類の生を夢見る。奔放であるとは、ありうるかもしれないことを今もなお、追い求めること。いかにしてこの社会に存在するのか、その条件がすでに定められているとき、息をつけるような空間がほとんどないとき、生にわたる苦役を宣告されたとき、どこにむかおうともそこに立ちはだかるのが束縛の家であったとき、奔放であることは生のありようを即興的に追い求める。それは、生きのびることをただの一度も期待されなかったものたちがたゆみなく生きようとする、その実践である。” サイディア・ハートマン『奔放な生、うつくしい実験』榎本空訳、ハーン小路恭子翻訳協力(勁草書房) p.258 このようにして、台無しにされた生の可能性を、そこにあったはずの固有の生の迸りを、ハートマンは物語り直す。この本は、批評とは想像力のことであると体現している。この本を賛するにふさわしい言葉は、とっさには出てこない。何を言っても社会学者や調査員めいた、奔放さを損ねるようなことしか書けないだろう。だったら黙って、これからの生で体現していくほかない。 (昨日の日記 https://akamimi.shop/archives/5223) - 2025年12月16日
- 2025年12月14日
- 2025年12月8日
- 2025年12月8日
- 2025年12月8日
夢遊の大地ミア・コウト,伊藤秋仁買った - 2025年12月8日
割れたグラス (アフリカ文学の愉楽 1回配本)アラン・マバンク,桑田光平買った出版社紹介より。 “小社の海外文学路線を切り拓いた《世界幻想文学大系》、のちのブームを決定づけた《ラテンアメリカ文学叢書》の刊行開始から約半世紀。 これまで日本で語られることの少なかった20世紀後半から現代までの芳醇なアフリカ文学の世界を本格的に紹介すべく、そして遠く離れた日本の読者が抱くアフリカへの印象をより豊かなものとすべく、《アフリカ文学の愉楽》が刊行開始!” - 2025年12月1日
なぜ書くのかタナハシ・コーツ,池田年穂“非難する相手の人間たちの持つ法に基づいて告発を行うのは、あなたたちにとって危険なやり方である。どれほど自らの動機を心に留めようとしても、どれほど自分が成功したと感じたとしても、最終的には彼らの世界のなかにいることになり、したがって彼らのシンボルや物語を通して語らざるをえない。そして、あなたたちが彼らにとって異邦人であったり、それどころか敵対者であったりするならば、その必要性はいっそう高まる。というのも、あなたたちの主張はつねにより大きな懐疑の目で見られるからである。(…)” p.103 - 2025年11月27日
近代小説の表現機構安藤宏“「描写」と「語り」と——「超越の論理」と「自意識の系譜」とは実はともに決定的な自家撞着を抱えており、前者においては現世離脱という形で「いま、ここにある」現実が捨象されていくという陥穽、後者においては過剰な対象化意識が合わせ鏡の迷宮へと言葉を閉ざしていく陥穽が潜んでいた。昭和十年前後に文壇を賑わせた「自意識過剰の饒舌体」が頓挫し、戦時下にあって運命共同体的な「超越」が生み出されていくことになる道行きにこそ、おそらくは昭和十年代の文学のもっとも大きな不幸が胚胎していたものと考えられるのである。 (…) 「超越の論理」が「個」の「感応」の手立てとして、自然の〈大いなる高き力〉を選び取ったとき、抒情に裏打ちされた全体主義的な陶酔が〈私〉を襲う。” p.263-264 - 2025年11月25日
近代小説の表現機構安藤宏“実はこれ(引用者註:白樺派の一人称および言文一致体の達成)は、大正期に「個人主義」が、まがりなりにも日本的な一つの結実の形をもたらしていくプロセスとも並行していた。「大正期教養主義」に象徴されるように、古今東西の古典を渉猟し、孤独な読書と思索、日記による内省を通して人格を開治していく、というイメージが、白樺派、激石の弟子たちを中心に次第に定着していくことになる。 (…) 彼らが信奉した「人格」という概念は、戦後民主主義の影響を受けた今日的な「個性」「自我」の概念とはかなりその性格を異にしている。当時この言葉はある種の生命思想ともいうべき信仰に裏打ちされており、「自己」内部の生命を凝視することが同時に自然、宇宙の普遍的真理に到達する唯一の手段である、という理念に支えられていた。大杉栄が「生の創造」(「近代思想」大3・1)において、〈社会の進化〉の基礎を〈自我の、個人的発意の、自由と創造〉に求めていた事実に象徴されるように、社会主義思想、自由主義思想の別を問わず、「個」に徹することによって普遍に突き抜けていこうとする発想は、まさしく時代に共通して流れる価値観でもあったわけである。” p.162-163 - 2025年11月19日
黒人理性批判アシル・ムベンベ,宇野邦一読んでる“先に述べたように、この誤った知(引用者註:西洋による一方的なアフリカ表象)は、何よりもまず無理解であり、虚構なのだ。しかし、このように作り話をするのは、他者を排除し、自分自身のうちに都合よく閉じこもるためである。作り話は、いわば極度の軽蔑を、より巧妙に覆い隠すためにすぎず、この〈他者〉がわれわれの「友人」であることを願う要求と軽蔑は常に対になっている。この「友愛」が現実であろうと想像であろうと、相互的であろうとなかろうと。人種の暴力のこのフランス版は常に一つの顔に合図を送っているが、その顔はかろうじて見つめられたかと思うと、すぐに不可視にされなければならないのだ。常に肝要なことは一つの声を呼び出すことであるが、それはかろうじて聞かれたかと思うと妨害され、沈黙に還元され、単数一人称で自己表現することは阻止される。(…)” p.112-113
読み込み中...


