muma "生きるための表現手引き" 2026年1月2日

muma
@casa_muma
2026年1月2日
生きるための表現手引き
約2年ほど、Evernoteに日記を書き殴っている。 最初は家づくりの時の思い出を残すために。 気づけば日記が自己目的化して、出来事など書かず、頭に浮かんだ考えばかりを書いた。 頻繁に新しい考えが降ってくるようになり、これまで読んだもの・体験したことが有機的に繋がっていく愉快な感覚があった。 底なしの井戸にそうっとロープを垂らすように、書いたことを足がかりに、さらに自分の奥に奥に、自覚していなかった考えを見つけていった。もう戻ってこられない予感とともに、気づきが日の目を見る小さな奇跡体験の連続だった。 些細な心の変化へのアンテナが研ぎ澄まされたことが、社会生活ではマイナスに働くこともあった。家づくりでも職場でも、実務的な選択の連続に疲弊し、それを文字に起こすことが億劫になった。やがて日記を書かなくなった。 何かの拍子にまた日記を書くようになったが、そこには以前とは異なる何かが生まれていた。 私は、「気づき」に着地する、カタルシスありきの日記を書けなくなった。 カタルシスという言葉は、「心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること」を意味します。もともとは、アリストテレスが『詩学』に書き残した悲劇論から、「悲劇が観客の心に怖れと憐れみを呼び起こし感情を浄化する効果」をさす演劇学用語です。転じて、精神医療においては「抑圧されていた心理を意識化させ、鬱積(うっせき)した感情を除去することで症状を改善しようとする精神療法」をさします。さらに、一般化して、「心の中にあるわだかまりが何かのきっかけで一気に解消すること」をいいます。 https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/第36回-カタルシス 毎日脳みその迷路に分け入って、自分の考えから憂鬱のヴェールを剥がし、新鮮なつぶつぶの幸せがありがたく収穫できることを前提にした、かつての春夏秋冬な日記の型が自分にフィットしなくなった。別のヴィークルが必要になった。 ほぼ同時に、精神の浄化を目指すタイプの劇場型小説を読まなくなった。 ぬるぬると始まり、ソフトランディングして終わる、読後に情景だけが残像として置いていかれるタイプの小説に、頻繁に手を出すようになった。 これはどういうことなのだろうか。 悲しむ、回復する、目の前の幸せに目が向けられるようになる、自分は満たされ、世界は私を祝福している。また世界から見放される、悲しむ、回復する、目の前の幸せに目が向けられるようになる、自分は満たされ、世界は私を祝福している・・・ 感情の祭りに疲れ、日常・非日常という分割にも疲れた。 小説空間の中だけに存在する永遠の保留に安らぎを見出すようになり、できればそこにずっといたいと思うようになった。 私は幸福になるためのゲームから一旦降りることにしたのかもしれない。 そんな思いを抱いていた折に出会ったのが「生きるための表現手引き」である。 渡邉康太郎さんの著書で、およそ表現に対して臆病になっているアマチュアに向けて、表現することは役に立っても/立たなくてもいいし、評価されたり/されなかったりすることが表現を始めたり/やめたりする理由である必要はない、というような優しい語り口調をとる。実際に何かをつくる時に、具体的にはどういう方法があるか、模倣とは何か、などを美術史や過去のクリエイターたちの言葉を集めながら紹介していく。作りたいという気持ちを無意識に抑圧してきた人々の声に触れている。 ガイドブックのような本で、渡邉さん自身の強い主張が出てくるわけではない。 私たちはこの本から気に入った部分を抜き出し、自分のつくるためのお守りのように使うことができる。 冒頭に書いた、私の現状と照らし合わせると、「ドミナント・ストーリー」の説明が印象的だった。 「生きるための表現手引き」(著・渡邉康太郎)p232-234  他者に受け容れてもらいたい、話を聞いてもらいたい。そのために他者からの期待に応えたい。するとわたしたちはときに、他者から期待されるであろうナラティブを内面化してしまいます。つらいという本音を隠して、「いい話」に仕立てないと聞いてもらえないのではないか。いや、しばしば、実際に聞いてもらいづらいのだと想像します。すると、他者の期待をそのまま自分の意見に据えてしまったり、そもそも気持ちを言葉にすることをやめてしまったりすることもあるでしょう。  こういったナラティブをドミナント・ストーリーと呼びます。ドミナントは「支配的」を意味します。わたしたちを支配している正論的なナラティブととらえてみましょう。  わたしたちは、自らのなかにある小さな思いや違和感、「社会の常識」と異なるかもしれない考えを、知らずからずのうちに過小評価したり、打ち消したり、気づかぬふりをしたりしています。 幸福であれ、というドミナントストーリーから抜け出し、日記の中の小さな起承転結というヴィークルから降りた先に、何が待っているのだろうか。満足する文章を書けるようになるのだろうか。
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