muma
@casa_muma
2026年2月8日
村上春樹 雑文集
村上春樹
保坂和志「書きあぐねている人のための小説入門」を読むと、(猫を人間の心情のメタファーとして使うな、少なくとも自分は使わない、愛する猫にそんなことはしない)、というようなことが書いてある。確かに無理に猫に投影することはないかもしれないなと思う。そのまま村上春樹の「村上春樹 雑文集」を読むと、温かく柔らかく湿った猫のメタファーが出てくる。そこでは猫は、良き物語の中に必要な正しい仮説のメタファーとして機能している。メタファーであるが、保坂和志さんの忌み嫌う猫の使い方ではない。村上春樹さんの猫は共感覚である。物語に必要な適切な仮説について語ろうとすると、猫が思い浮かんでしまうようなことだ。私もたまにそういうことがある。この言語と脳内風景の共感覚をそのまま書けば、無理のない文章になるし、相手に理解してもらおうという意図から親切に比喩を探して使うと、白々しい文章になる。
たまたま続けて読んだ2冊の本が、創作論と猫で繋がっている。自分で選んだ本を読むと、その時に欲しかった問いが勝手に書いてある不思議がある。自分の中に正確なアルゴリズムが存在しているように思える。正確なアルゴリズム、と今ここに書いた時、10年前に過ごした文学部キャンパスの講義棟にあるピロティが脳裏をよぎった。正確なアルゴリズムについて書こうとする時に活発になる記憶の回路があり、あのピロティが一瞬照らされたのかもしれない。不思議な気持ちだ。何かを読むとき、書くとき、自分の中に起こる神秘から目が離せない。人間の中にはまだ解明すべき謎がたくさん潜んでいて、内省の面白さからは逃れられない。