綾鷹
@ayataka
2026年3月9日
九十歳。何がめでたい
佐藤愛子
力強く、逞しく、率直。
そして人や世界への愛を感じる。
ちょっと頑固で面白いおばあちゃんの話を聞いているような、憎めない微笑ましさが文章に詰まっていた。
「私なりの苦労」の最後の一言には、思わず声を出して笑ってしまった。
率直でユーモアもあって、こんなおばあちゃんには憧れてしまうなぁ。
・それがナニや、と私は思う。新幹線開通以来五十年、事故は一度も起きていない。
それは何よりおめでたいことだ。たいしたものだ。バンザイバンザイと共に寿ぎたくなるが、三分早くなったのが何がめでたい。何でそう急ぐ。飛行機にお客を取られないために、スピードを上げることに熱中しているんです、と解釈してくれた人がいたが、もしそれが本当なら浅はかとしかいいようがない。
進歩というものは、「人間の暮しの向上」、ひいては「人間性の向上」のために必要なものであるべきだと私は考える。我々の生活はもう十分に向上した。私は九十年生きてきているから、これだけははっきりいえるのだが、この九十年の間には国の浮沈にかかわる国難がありはしたものの、それをバネに私たちの生活は日に日に豊かになり便利になり知的になった。そうして「もっと便利に」「もっと快適に」もっともっとと欲望は膨張していく。
・若者は夢と未来に向って前進する。
老人の前進は死に向う。
同い年の友達との無駄話の中で、我々の夢は何だろうということになった。
「私の夢はね、ポックリ死ぬこと」と友人はいった。
ポックリ死が夢?
なるほどね、といってから、けれど、と私はいった。
「あんたは高血圧の薬とか血をサラサラにする薬とかコレステロールを下げる薬とか、いっぱい飲んでるけど、それとポックリ死とは矛盾するんじゃないの?」すると憤然として彼女はいった。
「あんた、悪い癖よ。いつもそうやってわたしの夢を潰す••・・・」彼女にとってポックリ死はあくまで「夢」なのだった。そうか、そうだった。
「夢」なのだ。彼女は十代の頃、アメリカの映画スター、クラーク・ゲーブルと熱い換を交すのが「夢」だった。ポックリ死はいうならば「クラーク・ゲーブルとのキス」なのだ。現実には掴めないことをわかっていての「夢」である。
「ごめん」と私は素直に謝った。私たちの「夢」はとうとうここまで来てしまったのだ、と思いつつ。
・町の音はいろいろ入り混っている方がいい。うるさいくらいの方がいい。それは我々の生活に活気がある証標だからだ。それに文句をいう人が増えてきているというのは、この国が衰弱に向う前兆のような気がする。
時々買物に行くスーパーマーケットは、いつも静かである。客は黙々と商品の間を歩き、黙々と品物を籠に入れる。そして黙々とカウンターに籠をさし出す。カウンターには「NOレジ袋」と書いたカードが用意されていて、レジ袋が不用な客はそれを籠に入れておくという仕組みになっている。レジ係は籠を引き寄せ、黙々と計算機を操作して会計額を出し、「NO レジ袋」が見当らない時は籠にレジ袋をほうりこむ。あくまでも「黙々と」である。客の方も黙々と金を支払い、籠の中身をレジ袋に詰めて黙々と出て行く。なぜ、「レジ袋はいりません」と声に出してはいけないのだろう。
いったいそれは何に対して声を出すことを聞っているのだろう?何者がそう決めたのだろう。それを不思議とも思わず黙々と従っている人たちの不思議。しかしそう思いながら、同じように従っている私の不気味。
・我が国には昔から「運が悪かった」という言葉があり、不慮の災厄に遭った時など、この言葉を使って諦めて耐えるという「知恵」を誰もが持っていた。人の世は決して平坦な道ではないということを皆が知っていた。知っているからこそ親は子に耐えることや諦めることを教えた。耐え難きを耐え許し難きを許すこと、それは最高の美徳だった。自分がこうむったマイナスを、相手を追い詰めて補塡(つまり金銭で)させようとすることは卑しいことだった。かつての日本人は「不幸」に対して謙虚だった。悪意のない事故も悪意のある事故もゴチャマゼにしてモトを取ろうとするガリガリ亡者はいなかった。今はそのガリガリ亡者の味方を司法がしている。
・役に立つ?うーん・・・・。それは人間が手に私能をはねているだけじゃないのか?上前をはねられるかどうかで、蜂の値打ちを勝手に決めている…・・・・。牛や鶏は大いに上前をはねられるから上等の生きものとして大事にされ、すずめ蜂・ゴキブリ・ナメクジなどは何の利用価値もないから憎まれて殺される。
「奴らはまったく、何のために生きているのかねぇ・・・・・」そう親爺さんはいった。そう改たまって訊かれても、私にわかるわけがない。さまのお考えでしょう、とでもいうしかー。
ただ一つわかることは、生きものはすべて、人間に利用されるために生れているわけではない、ということである。
「すずめ蜂はすずめ峰として生かしめよ!」
拳をふり上げて叫んでみるが、その気配に飛んでいたすずめ蜂を驚かせて刺され、ミ、ミカタなのにイと叫んで死ぬしそういうことだってあり得るのではないか?
ないとはいえない。あり得ることだ。
そこがこの世を生きる難かしさなのですねえ。
・かくて日本女性は強くなったのではなかったか?
知的になったのではないのか?
主体性をしっかり身につけたのではないのか?
なのにこの人生相談は、これはいったい何なのだろう。
自分の心の持ち方、感じ方まで他人に教えてもらわなければならないとは.....。
私の友人はそんな私にいった。
「平和なのよ、要するに」え?平和がいけない?
なるほどねえ。何の不足もない平穏な暮しの中では悩
んで考えこむ必要がない。考えない生活からは強さ、自立心、何も生れない、生れるのは依存心ということか。
平和は有難いが、平和にもこんな落し穴があるのだなぁ・・・・・と、私はやっと気がついたのであった。
・人生で最も大切なことは何かって?
簡単にいうな、と怒りたくなる。私はいつもふざけているようだけれど、芯のところでは真面目で選剣な人間である。ふざける時も眞剣にあざけているのだ。軽く返事が出来る時と、じっくり考えて答えなければならない場合との区別はこれでも心得ているつもりである。
人生で最も大切なことは?と訊かれて、「愛です」「感謝です」などとすぐに答えるような芸当は私には出来ない。真剣に、深く考えないから簡単にそういうことがいえるのだろう。質問する方も簡単に気楽に訊いているから、それで納得した気分になる。それで円滑に事が進む。今は何ごとも手っとり早く事が進むのがよいとされている時代であるから、こういう考えないインタビュアーが生れるのだろう。
・「で?佐藤先生は?」
と攻めてくる。仕方なく口から出まかせ、「イモッケ」と答える。
「イモッケ?何ですか、それは・・・・・・」
一見コロッケに見えるけれど、ヒキ肉は入っていない。じゃが芋を茹でて潰して握って揚げたものです、と説明する。私の貧乏時代、夫の会社は常に潰れる寸前だがしかし潰れない、という日々のこと。家計は私の原稿収入でまかなっていたけれど、小説を考えながら晩ご飯のおかずも考えなければならないのが腹が立ち、夫に向って何が食べたいかを訊くと、返ってくるのがいつも「何でもいいよ」だった。
私ばっかり働かせて・・・・・・それくらい考えなさいよ、と怒ると、彼はこう答えた。
「そういうけどさ、じゃあヒレカツがいいとかまぐろのトロ、なんていったら怒るだろ」
確かにその通りだから黙って引き下って、そしてイモッケを考え出した。娘と夫と三人で二個ずつ。来る日も来る日も食べつづけていた。イモッケというのはその時にヤケクソで考え出したネーミングである。
「まあ!なんていいお話でしょう!」と新しいインタビュアーは大きな眼を瞠っていった。
「それで、最期に思い出のイモッケを食べたい・・・・・バッチシ、記事に重みがつきますわ。感動的ですわ・・・・・・」
なめらかな声がそういうのを聞きながら、私は心の中で呟いていた。
ーイモッケなど、誰が食べたいと思うかい!
・ああ、長生きするということは、全く面倒くさいことだ。耳だけじゃない。眼も
悪い。始終、混が滲み出て目尻目頭のジクジクが止らない。膝からは時々力が脱けてよろめく。脳ミソも減ってきた。そのうち歯も抜けるだろう。なのに私はまだ生きている。
「まったく、しつこいねエ」
思わず嘘くが、これは誰にいっているのか、自分にか?神さまにか?わから
ない。
ついに観念する時が来たのか。かくなる上は、さからわず怒らず嘆かず、なりゆきに任せるしかないようで。
ものいわぬ婆アとなりて春暮るる