
猫
@mao1012
2025年3月5日

かつて読んだ
ずっと気になっていて、先日ようやく購入した本。
表紙のイメージとは少し異なる印象を受けたが、登場人物それぞれの異なる小さなストレスや、モヤモヤが読んでいてじわじわと蓄積されていくような感覚。
各々がそれぞれの『正しさ』を持っていて、それぞれのルールがある。それは誰に矯正させられることではないが、そのそれぞれのルールや正しさが噛み合わず、亀裂をうみ、そこから小さな不満達が漏れ出していく。
私はたべることがすきで、おいしいものを食べることに幸福を感じる人間なので、一定数いる食に興味のない人の思考はこんな感じなのか…と驚いた。
哀川さんは、料理が好きというよりかは料理をして、それを職場や周りに振る舞うことによって承認欲求、自尊心を満たしているように思えた。
再読 ↓↓↓
『生きていく』という上での丁寧な暮らし。
食欲、睡眠欲があることが当たり前で、それらは人生の豊かさにおいて必要不可欠なものだと疑ってやまない人たち。
でもそれは当たり前、生きることへの前向きさの押しつけでもある。(その傲慢さに気づかない人たち)
芦川さんが『手料理』を振る舞うのは、結局『料理』というが『手段』でしかなく、会社という『社会』においての自分の存在意義、存在肯定に繋がるからかもしれない。
二谷はこれからもこうして息が吸いにくい環境の中で、社会に順応して生きていくのだろうなー。

