
おさとうトマト
@fptoma
2026年3月12日
中動態の世界
國分功一郎
古代の世界で使用されていた文法「中動態」を起点に、能動態・受動態の定義を捉えなおしながら、「私がなにごとかをなす」ということを分析していく哲学書。
先人たちの言語学と哲学の研究を紐解きながら、丁寧に中動態を解釈していくさまに感嘆しかない。前提となる情報で土台を作って、論理をひとつひとつ積み上げて、中動態とはいったいなんなのかを紐解いていく。その過程はまるで、強固な城を建設しているような印象。言葉の意味を的確に拾っていかないと、著者の言わんとしていることについていけなくなるので、辞書をお供に読み進める。哲学は言葉のひとつひとつの意味を大切にする学問であることを実感する。
能動態と受動態の区別は、主語が動詞によって示される過程の外/内のどちらにあるかで定義され、主語の内に位置づけられるのが中動態である。ざっくり解釈すると、自分の行動の行き先の矢印が自分に向かっているのが中動態、というイメージをもった。その前提でスピノザの唱える能動・受動の概念を考えていくプロセスが、難しいけれど面白い。刺激を受けたうえで生じる行動が、自分の本質的な行為か、それとも外部からの刺激に圧倒された本質的でない行為か。行為の質の差で能動・受動であるかを考える。すると、冒頭で登場した「プロローグ――ある対話」の見え方が変わってくる。「暇と退屈の倫理学」でも思ったけれど、著者の國分先生の本は、言葉や文章を追いかけていたら、いつの間にか見える世界が少しだけ変わっている感じがする。時間がかかったけれど読み終えることができて良かったし、読み終えた自分にすこし自信がついた気がする一冊だった。


