和月 "時の家" 2026年3月12日

和月
和月
@wanotsuki
2026年3月12日
時の家
時の家
鳥山まこと
芥川賞受賞作をこれまで読んだことが無かった。というか、「これが芥川賞か〜」という気持ちで本を手に取って来なかった。 でも、本当にこの作品に出会えて嬉しい。出会うきっかけとして芥川賞の存在に感謝した。 冒頭は、視点がどこから語られているのか分からず、少し読む進めるのに苦しんだ。ロバート・ゼメキス監督の『HERE 時を越えて』を連想させる設定。解体間近の家をスケッチする青年と、その家に住んでいた三代の人々の記憶や感情の物語。 主体の切り替わりがシームレスで面白い。壁の傷やタイルの模様を軸にして、一行後には別の人物が住んでいた頃の話になる。かと思えばいつの間にか現在の青年の時代に戻っている。 籐巻きと小屋裏のエピソードが特に好きだった。作品に出てくる彼等は交わらないけれど、確かに家を通して繋がっている。各々が何を感じ、考え、思ったのか。作中に登場する薮さんの仕事に対する姿勢と同様に、言葉を尽くして描写する物語の在り方に胸を打たれた。 大切な言葉が沢山あって、反芻したい文章ばかりだけれど、ハッとさせられた一節を引用。 「存在する細部の数こそ平等だった。自分はただ拾ってこなかっただけかもしれなかった。一つひとつに目を凝らさずに、むしろ目を背けるみたいにして生きてきた。自分は一体これまでにどれほどのものを掬い損ねてきたんだろうか。」 この場面を読んだ後、五感が澄みわたる感覚がした。私を取り巻く環境や事物を改めて、じっくりと考えることが出来た。日々を如何に無味乾燥に消化してしまっているのかを痛感した。 目を凝らして生きることを選んだ青年と迎える終盤は、やっぱり哀しい。でも、残酷な程に隅々まで丁寧に書ききる文章には、高い芸術性を感じた。 作中でも言及されているけど、人間は忘れていく生き物だ。それが寂しい半面、ありがたい特性だと思う。だけど今こうして「時の家」を読んで、心が洗われるように感じたことを忘れたくない。忘れない為にも時々読み返したい。 未来の私はどんな感想を持つんだろう。
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