
にょっき
@niki
2026年3月12日
傲慢と善良
辻村深月
読み終わった
自分で決められないけど、趣味だけは贅沢って、世の婚活がうまくいかない根本的な原因なのかもね。
(婚活以外の全ての人間関係における問題でもあると思う。新しい環境で友達を作る時、無意識にレベルを査定しようとする。そのレベルは自分より上か同等か下か、自分という基準に基づいてラベリングされる。誰かを選ぶ時、私たちは同時に私たち自身を選んでいる。この人は私に相応しいかと考えるのと同時に、この人にわたしは相応しいのかも考えなければいけない。もちろん自分よりレベルが低いと格付けした相手と付き合うことを選択すれば、他者からみた時の自分の評判やレベルが今自分が自分につけているものよりも低くなるかもしれないと恐れる。自分が誰かに点数を付けられると途端に被害者側に立ち、点数をつける、格付けする側を責める。しかし、他の誰かに点数をつけ、釣り合いを気にすることを、私たちは普段の生活で何度も経験する。友達同士の恋愛相談では、そいつ、あんたと釣り合ってないよという言葉が飛び交うことも少なくない。実際にその友達がいい感じの相手を見たわけでも、知ろうとしたわけでも、向き合おうとした訳でもないのに、一方的にレベル付けし、自分はあいつよりも上だと安堵することを求める。釣り合っていないという言葉は、綺麗でユーモアのある自分の友達が、ブサイクで面白くない人と付き合って惨めな思いをするのを防ぎたいという思いから発せられるものだと思うが、綺麗でユーモアがあるというたったの2点が、彼女の最も数値の高いパラメーターであるかもしれないことに気付かない。相手は、容姿こそ格別な魅力はないものの、他の何かの能力が突出しているかもしれないのに、友達も自分も、こちらの手札の1番強いカードしか見ない。逆に言えば、強いカードを見ることで、負けた時、上手くいかなかった時の言い訳にしているのだ。相手が自分の可愛さに萎縮したのだとか、面白い女性はやっぱり求められないんだとか、自分の最も強い部分を言い訳にすることで傷つくことに耐えられる。向き合おうとした結果、合わないことが分かったなら、それでいいのに。初めから相手のパラメーターを見下し、恋愛する相手、付き合う相手としてではなく、対戦相手として見ることが身につきすぎているのではないか。真剣な恋愛や婚活ほど、相手を敵のように吟味する傾向がある。しかしその吟味は双方の頭の中で起こっていることで、決して片方のみが選ぶ側でも選ばれる側な訳でもないのだ。と気付かされたちゃむ