
ジクロロ
@jirowcrew
2026年3月13日
千のプラトー 中
ジル・ドゥルーズ,
フェリックス・ガタリ,
宇野邦一
読んでる
暗闇に幼な児がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ちどまる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものだ。子供は歌うと同時に跳躍するかもしれないし、歩く速度を速めたり、緩めたりするかもしれない。だが、歌それ自体がすでに眺躍なのだ。歌はカオスから跳び出してカオスの中に秩序を作りはじめる。しかし、歌には、いつ分解してしまうかもしれぬという危険もあるのだ。アリアドネの糸はいつも一つの音色を響かせている。オルペウスの歌も同じだ。
(p.317 『11 リトルネロについて』)
平日の仕事に疲れた週末、
最寄りの地下鉄に着き、地上にのびる階段を
重たい足取りで上っていると、
頭上から(大袈裟ながらそのように感じた)、
少女が、自分と同じように階段を上る人びとを
優雅にかわしながら降りて行った。
彼女の残していった見えない流線形と
ゆるやかな風と残さない香に、
心が自分でも驚くほどに軽くなった。
この文章に触れ、あれが「リトルネロ」だと気がついた。
平日、地下に降りる階段は、
疲れていようが、心が重たかろうが、
彼女の姿にならい、軽やかに、優雅に、
降りるように心がけている。
それだけでもう、いくらか平日の前奏が、
一日の終わり上りゆく階段にまで、
リズムを残してくれるような気がして。

