みーる "熟柿 (角川書店単行本)" 2026年3月13日

みーる
@Lt0616pv
2026年3月13日
熟柿 (角川書店単行本)
途中から読む手が止まるほど、重く難しいテーマだった。本作のテーマの一つは「一度犯した罪から逃れることはできない」ということだろう。 市木かおりは常に怯えながら生きていた。自分の犯した過ちは決して消えることなく心に留まり続ける。世間は忘れてもどんなタイミングで誰が知るかはわからない恐怖。隠したい過去の一つや二つ、自分にもある。でもそれが露見したとき、生活そのものが一変したり人間そのものを否定されたりするようなものはきっとない。一瞬の判断ミスで一生を棒に振る。改めて運転には気をつけようと思った。 物語序盤。かおりは刑期を終えた後、息子に会いたいがあまり度を超えた行動をしてしまう。 結果、一目見ることも叶わなかった。せめて一目見るくらいいいのではないかと心が苦しくなった。ここで息子には新しい母親がいることも知ってより絶望するかおり。普通なら自暴自棄になってもおかしくはない状況で、一度も会ったことがない息子のために「死んだ母」としてお金を残すために働くことを決意する中盤。母親とは子供のためにそこまでできるのかと心動かされた。 中盤、旅館やパチンコ屋を転々とする中で駆けるように月日が過ぎ去る。書かれていない空白の時間もかおりは懸命に生きていて、仕事をしている。その姿を慮ると胸が苦しくなった。一瞬たりとも心から幸せを感じることはできなかったのではないだろうか。自分の過去がバレないかどうかの不安、息子はどうなっているのかを知ることができないやるせなさ、きっと心の中は濃い霧が立ち込めていてそれでも懸命に生きていたのではないか。そんなかおりにどうか救いがあって欲しいと願ってからの斉藤さんがかおりのお金を盗んだときは本当に絶望した。 しかし、終盤に向かうにつれ本作のもう一つのテーマが浮かび上がる。それは「自分のことを受け止めてくれると思えるような他者との出会い」百崎さんをきっかけに介護の世界へ飛び込んだり土居さんとの出会いだったりと少しずつ信頼できる他者ができていく。久住路さんに手紙を書いたのもそんな人たちとの出会いの中でかおり自身の心が開かれていったからではないだろうか。 クライマックスでは、元夫の姿が描かれる。「誰」の電話主の正体は元夫。ここに驚きはなかったが、元夫も自責の念から逃れたいと何十年も電話をかけ続けた。元夫も同じように苦しんでいたのだなと思うが、やはりかおりに比べたら何をふざけたことを…とも思ってしまう。 息子の拓と出会う?再会?するシーンは圧巻だった。とてつもなくリアルで丁寧な言葉が紡がれていた。第十二章は最近読んだ本の中でも特にのめり込んで読んでしまった。「なぜ離婚したのか」という拓の質問。本当は母親にそばにいてほしかったことが伝わってきた。かおりが離婚するに至った決断も拓のことを思ってのこと。どうすればよかったのだろうか。 「一度捨てた子なのに」という拓の言葉に対して初めて感情的になるかおり。本当にそうなのよ。かおりは拓のために生きてきたのだ。それでも最後はまた「次」につながるような別れだった。かおりの「行きなさい」の言葉に胸を打たれた。この辺りはもう言語化なんてできないほどに印象的なシーンだった。 物語の締め方も素敵だった。土居さんが「熟柿」のもう一つの意味「熟した柿の実が自然に落ちるのを待つように、気長に時機が来るのを待つこと」まさにこれからの拓と土居さんとの未来を表す象徴的なセリフであり、晴子おばさん好きだった熟柿とは違う意味の伏線回収は見事。そして、かおりは自分の過去を言い出せないで終わる。「言えば離れてしまう」というかおりに対して「離れない」「言えるときが来るよ」と受け止める土居さん、本当に素敵だ。自分の内面の話をするのがら苦手な僕にとってかおりが言いたいのに言い出せない気持ちはわかる。 誰かに話したときその人の世界から見た自分の印象が変わってしまうんじゃないかと不安になる。それでも熟柿のように焦らなくてもいい、時が来れば話せるのだと勇気をもらえた。 「きっとそうなると、私は信じられた。」の最後の文。土居さんだけでなく、これからの自分のことも信じることができたのだろう。拓とも少しずつ近づいていくのだろうし、土居さんとも暖かなパートナーであり続けるのだろうと微かな希望が持てる締め方だった。 とてつもなく思いテーマだったが、終盤の描写は圧巻だった。年間のベスト本に入る可能性が大いにある素晴らしい作品だった。
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