
綾鷹
@ayataka
2026年3月13日
くもをさがす
西加奈子
『くもをさがす』は、2021年コロナ禍の最中、滞在先のカナダで浸潤性乳管がんを宣告された著者が、乳がん発覚から治療を終えるまでの約8 ヶ月間を克明に描いたノンフィクション作品。
カナダでの闘病中に抱いた病、治療への恐怖と絶望、家族や友人たちへの溢れる思いと、時折訪れる幸福と歓喜の瞬間――。
切なく、時に可笑しい、「あなた」に向けて綴られた、誰もが心を揺さぶられる傑作。
身近に乳がんになった人や、がんで亡くなった人がいたため、気になって読んでみた。
宣告されたときの絶望、治療や将来への恐怖はどのようなものだろう。(しかもコロナ禍とは。。)
淡々と事実を語りながらも、間間の日記に感情が溢れている。
手術が終わり、その後の治療もキリがついた後の「待って、まだ怖いねん。」という言葉が心に残った。
手術が終わったら、転移が見られなかったら、思わず「よかったね」「お疲れ様」と言ってしまうけど、本人の中ではまだ終わってないのかもしれない。
著者と友人、医療関係者との関係性は読んでいて心が温かくなった。
知り合いが大きな病気になると自分には何もできないと絶望的な気持ちになるけど、相手のためを思っての行動はちゃんと伝わるだと感じた。
もし友人が近い状況になったら、関わることを怖がらないようにしたい。
・クリスティは、しばらく私の顔をじっと見た。そして、こう言った。
「ドクターはなんて言うてるか知らんけど、うちは、カナコがやりたいんならやっていいと思うで。もちろん、抗がん剤で免疫が下がってるから、感染症には気をつけなあかんけど、自分の体調を自分でチェックして、マンツーマンとか、出来る範囲でやったらええんと違う?柔術とか、キックボクシングだけやないで。好きなことやりや?」
私も、彼女を見つめ返した。
「カナコ。がん患者やからって、喜びを奪われるべきやない。」
絶望から逃れる道や方向がわからなくても、精神を広げることはできる。広げることによって、いつか絶望が耐えられるものにならないともかぎらない。
ーイーユン・リー『理由のない場所』
・私は今、海沿いのベンチに座って、海を見ている。
夏にはビーチバレーや日焼けをする人で溢れるこのビーチには、様々な人がいる。彫刻みたいに綺麗な筋肉をした若い男性や、犬を連れた若い女性、貝殻を拾っているおばさんや、腰に浮きをつけて遠泳をしているおじいさん、車椅子に乗って海を眺めているおばあさんたちのグループ、本当に様々な。
冬が始まっても、天気のいい日にビーチバレーをしている人を見る。目を奪われるのは若い女性ではなく、おばさんたちだった。膝にサポーターを巻き、突き指防止のテーピングをして、大声をあげながら砂だらけでボールを追うおばさんたち。彼女たちは、目がくらむ程美しかった。
20代の頃、年を取るのが怖かった。若さがすべてだ、おばさんになったら終わりだ。私たちの世代はそんな風に叩き込まれていた世代だった(残念ながら、今も日本ではそういう風潮があるようだ)。つまり、やはり脅されていた。
でも、自分が年を重ねておばさんになった今、何を怖がっていたんだろう、と思う。誰が私たちをしていたんだろう。おばさんになったからと言って、自分の喜びにリミットをつける必要はない。
年を取ることは、自分の人生を祝福することであるべきだ。私は44年間、この身体で生きてきた。もちろん、身体的な衰えは感じる。そして私は、トリプルネガティブ乳がんを患っている。でも、私は喜びを失うべきではない。
・私にも、それが起こった。大きな何か/誰かの意図はなく。
がんに罹った人は、原因を考えてしまうそうだ。暴飲食が悪かったんだ、睡眠不足が悪かったんだ、仕事のストレスが悪かったんだ、果ては水子の供養をしていなかったからだ、墓参りをしていなかったからだ、まで、様々に。
でも、それは誰にでも起こる。
もちろん、生活習慣を改善して、がんをある程度防ぐことは出来るだろうし、定期的な検診で早期発見に努めることも出来る。でも、もしがんになってしまったのなら、それはもう、そういうことだったのだ。誰にも起こることが、たまたま自分に起こったのだ。
私も、最初は色々考えた。もし検診に早く行っていれば、もしあれをしていれば、もしあれをしないでいれば。でも、そんな「もし」は、全く役に立たない。私は今、このタイミングでがんに罹患した。それは揺るぎのない事実で、そしてその事実だけがある。
このニュートラルさ、この無顔着さは、かえって私を楽にさせた。
もちろん、がんは怖い。出来ることなら罹患したくなかった。でも、出来てしまったがんを恨むことは、最後までなかった。私の体の中で、私が作ったがんだ。だから私は闘病、という言葉を使うのをやめていた。「病気をやっつける」という言い方もしなかった。これはあくまで治療だ。闘いではない。たまたま生まれて、生きようとしているがんが、私の右胸にある。
それが事実で、それだけだ。
・こうやって助け合うことに皆が慣れているのは、バンクーバーが移民の街であることにも関係している。たくさんの人がこの街では新参者で、右も左も分からない状態でやってくる。助け合わないと生きてゆけないのだ。
インドから来たチェリシュマが言っていた。
「親や親戚が近くにいない状況のしんどさは、ほんまによう分かるから。」人は一人では生きてゆけない。改めて強く感じる。それは当たり前のことのはずなのに、やはり私はどこかで、一人でも生きて行ける、そうっていたのではないだろうか。少なくとも、東京ではそうだった。

