なお "イン・ザ・メガチャーチ" 2026年3月15日

なお
なお
@nao_reading51
2026年3月15日
イン・ザ・メガチャーチ
ストーリーに飲み込まれる大衆 2025年12月、朝井リョウさんの『イン・ザ・メガチャーチ』を読んだ。書評家の三宅香帆さんが本作を「2025年の日本のスナップショット」と評していたのがきっかけで興味を持ったもの。 タイトルの「メガチャーチ」は巨大教会を意味する。しかし日本は宗教が社会の規範となっている国ではないし、かつての「村」のような濃密な共同体もすでに解体されつつある。そうした個が最小単位となった社会において、バラバラになった人々を繋ぎ止めているもの。それこそが、武器化された「ストーリー」だというのが、本作の大きいテーマだ。 なるほど、ストーリーか。確かに現代社会のあらゆるところにストーリーは存在する。成功者のサクセスストーリーから、マーケティング戦略における顧客視点のストーリーまで。しかし本作が描くのは、その先にある話だ。ストーリーは人を救うこともあれば、ビジネスの道具にもなる。そして時に、人の認知そのものを塗り替える武器にもなる。 読み進めるほどに、朝井リョウは小説家というより社会学者なのではないかと思えてくる。推し活に救いを見出す娘・すみかと、その熱狂をビジネスとして設計する父・久保田。そしてアイドルの死をきっかけに陰謀論へと傾いていくコミュニティ。三者の視点が交互に切り替わりながら、現代日本社会の断面が浮かび上がってくる。 この本は感情を揺さぶる系というより、社会の構造についてじっくり考えさせられる系。アカデミックなコメントになるけど、この本を読んで現代社会学の古典ともいえるバウマンの『流動する近代』をふと思い出した。 宗教や共同体といった安定した枠組みが不在の社会では、人々は流動するアイデンティティを一時的にでも固定するための拠り所を求め続けるとバウマンは指摘する。本作が描き出しているのは、まさにその「流動性」への抵抗だ。推し活であれ、ファンダムであれ、陰謀論であれ、それらはすべて、剥き出しの個という不安から逃れるための、現実逃避の仕組みなのだろう。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved