
不安定
@unstable_okyt
2026年3月16日
『百年の孤独』を代わりに読む
友田とん
読み終わった
感想
紹介
ガルシア=マルケスの『百年の孤独』。
自分は、解説などを除いて625ページまである新潮文庫版を買って、206ページまで読んで、そこで止まってしまった。栞はそこから動いていない。同じ名前や似た名前の人物が出てくる複雑な家系図が頭の中でこんがらがって、挫折してしまった。
そこでこの本を手に取った。
文庫本の帯に三宅香帆がこのようなコメントを寄せている。
"あの名作を読みたいのに挫折してしまった読書人全員にとって、これは希望の書です‼︎"
読んだ。おもしろかった。
ただ、ひとつ書くとしたら、この本は『百年の孤独』のガイドブックではない。『百年の孤独』のあらすじをわかりやすく説明してくれるものではない。ではどういう本か。
文庫本の帯には、保坂和志もコメントを寄せている。
"小説を読むことは「小説を読む時間を生きる」こと。その奇跡がここで起きている。"
あるいは、145ページで筆者は次のように書いている。
"「読む」という行為が最初から脱線を孕んでいる…小説を読むと、そのあちこちで何かを思いついたり、思い出したりするものである。次から次へと思い出し、気づけば再び小説に意識は戻っている。これが心地よいのだ。"
小説を読むということは、物語の終着駅に向かって効率的にまっすぐ走っていくことではない。物語のそこかしこで、(自分の場合はどうだろう)(そういえばあの時…)(むかし見たあの映画の…)というふうに脱線して、思考の枝葉を伸ばしていく。そうやって育まれた豊かな時間が「小説を読む時間」ということなのだろう。
そしてこの本は、筆者が『百年の孤独』を読んでいた、その時間の豊かさを丁寧に写し取ったものなのだ。
タイパとか時短とか生産性とか、そういったお寒い概念にそっと中指を立てているようにも思える。
この本は、『百年の孤独』を「読めるようになる本」とは言えないけれども、「読みたくなる本」と言えると思う。
筆者がたびたび引用する『百年の孤独』の文章のなんと魅力的なことか。
自分が今度『百年の孤独』に挑む時には、複雑な家系図を脳内で整理するのは諦めて、その場その場の文章を味わうように読んでみようかと思う。




