
不安定
@unstable_okyt
《今みたいなこんな時代》を楽しく生きられることより、生きにくいと感じられる方が、本当のところ幸せなのではないか。
保坂和志『途方に暮れて、人生論』より
通りすがりにいいねを失礼します
- 2026年7月31日
- 2026年7月14日
キリン解剖記郡司芽久かつて読んだ引用部分的に読み返した覚えておきたい文章をメモ。 ーーー なぜこんなに標本を作るのか。それは博物館に根付く「3つの無」という理念と関係している。(略)無目的、無制限、無計画、だ。「これは研究に使わないから」「もう収蔵する場所がないから」「今は忙しいから」……そんな人間側の都合で、博物館に収める標本を制限してはいけない、という戒めのような言葉だ。 (p.212より引用) ーーー - 2026年7月11日
鉄の胡蝶は保坂和志読んでる毎晩、寝る前に少しずつ読み進めている。 不眠で医者にかかるようになって長いこと経つが、この本を読み始めてから眠剤の効きが少し良くなったように思う。 読んでいて、たびたびハッとさせられる。マーカーでアンダーラインを引きたくなる。本には書き込みをしない派なので、実際は付箋を貼るだけにとどめているけれど、頭の中ではアンダーラインを引いている。 ーーー あの頃を人生で一番明るかったように感じる、明るい人生はその後も照らす。 (p.140より引用) ーーー - 2026年7月9日
怪談小説という名の小説怪談澤村伊智買った澤村伊智さんは自分にとって「知ってるし読んでみたいけど実際手を伸ばしたことのない作家」という領域に属していた。 読書欲は無限と言っていいほどあるのに、時間は悲しいくらいに有限なので、この領域に属する作家は増える一方、きっとこれからも増え続けるのだろう。 * 本書は角川ホラー文庫から2026/6/26刊行のもので、奥付の隣頁には "本書は、二〇二五年六月に新潮文庫より刊行された作品に書き下ろし「ノンフィクション」を加えたものです。" という記載がある。 新潮社から角川へ版権を移した経緯について、澤村伊智さんは本人のX(2026/2/5の投稿)で詳しく説明をしている。 また、本書の「二次文庫版あとがき、或いは田舎のおじいさんたち」という文章にも "大まかに言えば、「新潮社が自社媒体に民族差別的な記事を掲載し、抗議をした被害者の一人に会社組織として極めて不誠実な対応をし続けているから」である。" と記されている。 自分はその、新潮社の記事の話はニュース等見聞きして知っていたので(知りたくなかったけど)、 今日、書店で本書を見かけた時に 「今こそ、澤村伊智という作家に手を伸ばす絶好の機会なのでは…⁉︎」 と思った。 このようにして意思表示をする作家がいる。 『BUTTER』の版権を新潮社から河出書房新社に移したことがニュースになっていた柚木麻子さんがその好例なのだろう。 その作家の意思表示に対して、版権を移した先の新しい文庫版を買って読む、という行動は読者ができるささやかな「連帯」だと思う。 (その「連帯」に、新潮社から出ている作品とその作者を貶める意図はない。作家にはそれぞれの事情があろうし作品の価値も変わらない。自分も新潮文庫で好きな本いっぱいあるし。) * 世の中全体が良くない方向に進んでいるなあ…と、どうしようもなく暗い気持ちになることが最近多い。 自分にできることなんて何もないんじゃないか、だって選挙に行ったって何も変わらなかったじゃないか(それどころか前回の選挙でより良くない方向に進んだじゃないか)と無力感に苛まれ、投げやりにもなる。 でも、できることというのは何も選挙に行くことだけではないのだ。意思表示をすること。意思表示をした人に連帯すること。できることはある。 どの本を買うか、という選択は立派な意思表示であり連帯なのだ。「そんなことで大げさな」と嗤われてしまうような、そんなささやかな選択を少しずつ重ねていきたいなと思う。 * …で、それはそれとして、この怪談小説、読むのがすごく楽しみ。 - 2026年7月9日
東京オリンピック始末記小笠原博毅,山本敦久買ったReadsでたまたま流れてきたのを見て興味を持っていた本。 ジュンク堂書店に行ったらあったので買えた。 こういう偶然の出会いをできるだけ大事にしたい。 - 2026年6月30日
鉄の胡蝶は保坂和志読んでるまだ読み終わっていないけど、今月はこの本を読んでいたよという記録として。 ーーー 私がとても世話になった人の奥さんが亡くなった、奥さんは亡くなる十年以上前から膠原病で自由に外出できなかった、…(略)… 五十代後半の女性が子どものような機敏さで乗ってきた、その人は私の斜め前にすわると、走り出した車窓の向こうに見える景色をとても楽しそうに見た、瞳が休みなくキョロキョロ動いてきた、そして次の、やっぱり各停しか停まらない小さな駅でさっさと降りていった、私は十二月に亡くなった奥さんの章子さんだと感じた、死んだ人が自分に似た人の体を借りて短い時間、自分が生きた世界を見に戻ったのだ。 p.53より引用 ーーー ここを読んだ時、ああ凄いと思った。 - 2026年6月23日
- 2026年6月5日
八本脚の蝶 (河出文庫 に 12-1)二階堂奥歯ちょっと開いたかつて読んだ高原英理『抒情的恐怖群』を読んだ後で、この作家の文章を前に読んだのは何だっけ…と記憶をたぐり、『八本脚の蝶』に高原英理が文章を寄せていたことを思い出した。 ーーー 二階堂氏は私に、「表現の甘美さが内容の許し難さを凌駕してそれを認めさせてしまうことはあるか」と訊ねた。 「それはある。文学そのほか、優れた表現を成立させることのできた作は、示すところがたとえ差別と理不尽に満ちたものであっても、人は常に表現に魅せられてしまう。しかし、われわれの意識は、そうした不条理のままでよいとして終えることもありえないだろう」と私は答えた。 (p.558より引用) ーーー 『抒情的恐怖群』の酸鼻極める残酷描写を思い起こして、この引用部分が、なるほど、と腑に落ちた。 - 2026年6月4日
抒情的恐怖群高原英理読み終わった描かれる恐怖は総じて不条理。「どうしてそんなことが?」に答えがない。いや、法則が仄めかされる恐怖も描かれてはいるのだけど、すべてがそうではなく、人間の理が通じない恐怖がごろり、と唐突に横たわる。だから、お化け屋敷から出てきた後の第一声みたいに「あー!怖かった!」と言って、自分と恐怖との関係性をすぱんと断ち切ることができない。絡みつき、残る。 - 2026年5月31日
遠い触覚保坂和志読み終わった5月はずっとこの本を読んでいた。 読んでは付箋を貼って、付箋を貼った箇所を読み返してメモを作って、また続きを読む。 "「わかる」とは書き手が何を言おうとしたのかを理解することでなく、書き手と同じ思考をすることだ。"(p.193より引用) 自分は「わかる」ことができただろうか。 - 2026年5月30日
抒情的恐怖群高原英理読んでるまだ読んでる途中なので総論的な感想は書かない(書けない)けれど、今月はこの本を読んでいたよ、という記録として。 「町の底」を読んで以来、自分が住み暮らしている町にも「底」があるのではないかという気がしてならない。 - 2026年5月25日
考える練習保坂和志買った自己啓発本のような題だけど、そうではない。 保坂和志ばかり読んでいる…と自分でも思うけど、保坂和志の本は流行を描いた小説と比べて古びることがないのが良い。ひとまずは積読にしておいて、読みたくなった時に読む。読むたびに新鮮さがある。 - 2026年5月11日
読書実録保坂和志かつて読んだまた読んでる保坂和志の本を読むと、つい付箋を貼りたくなる。付箋を貼りながらひと通り読み終わって、しばらくして今度は付箋を貼ったところだけぱらぱらと読み返す。初めてこの文章に出会って付箋を貼った時の感動が鮮やかに蘇ってくることもあれば、「なんでここに貼った?むしろこっちに貼りたい」と不思議に思うこともある。読むたびに心動く場所が変わる。 (付箋を貼ったところから引用) (201ページ) 人にできる人らしい最後のことは祈ること…だ。…叶えられないことが明らかになればなるほど祈りは熱を帯びる、祈りは祈りたりうる、祈りの此性が立ち上がる、…エックハルトは、祈禱したり断食したり善行で祈りを叶えようというのは神との取り引きだ、あさましい考えだと否定している、叶えられないからこその祈りだ、神は人がどれだけ無防備に祈るかをもし見るとしたら見る、そのように祈ることができたならその人はもう何も叶えられる必要はない。 - 2026年5月3日
読み終わった買った@ 神田神保町この本を読んだきっかけもせっかくだから記録しておく。 「雪崩連太郎」という名前は、「奇書が読みたいアライさんの変な本ガイド」というブックガイドで知った。 『雪崩連太郎全集』という本について "京極堂シリーズや津原泰水『蘆屋家の崩壊』が好きな方に鉄板でオススメしたい" と紹介されていて、『蘆屋家の崩壊』が好きな自分はすごく興味を惹かれたのだけど、とっくの昔に絶版だった。 そもそもこの「奇書が読みたい〜ガイド」自体が絶版、品切れの本や同人誌も含めてとにかく"変な本"を紹介するというブックガイドなので、しかたないなー…と思って、それっきり、すっかり記憶の彼方に消えていた。 先日、神保町でおこなわれたブックフェスティバルと古本博覧会に出かけて、ぎゅうぎゅうの人混みに揉まれながら書棚を眺めていたら、「雪崩連太郎」という文字が目に入った。『雪崩連太郎怨霊行』。紹介されていた『雪崩連太郎全集』とは違うけれども同じシリーズ物だとわかった。有難いことに価格もお手頃だった。 こういう思いがけない出会いがあるから古本市は楽しい。 - 2026年5月3日
読み終わった買った@ 神田神保町先日神保町でおこなわれた古本博覧会に行って、盛林堂書房のブースで購入した本。奥付には昭和55年刊行、とある。1980年、ということは46年前。 ルポライターの雪崩連太郎が雑誌取材で各地を訪れ、その土地に根差した怪異に出遭う。 各話の題は、五百羅漢、鬼板師儀助、三つ目達磨、六本足の牛、色玻璃なみだ壺、からくり花火、小函のなかの墓場…。 ホラーあるいはミステリというよりも、怪奇小説という呼び名がふさわしい。おもしろかった。 一つだけ。 この雪崩連太郎が出会う怪異には必ず女性が関わっていて、そしてほぼ毎回、雪崩は女性と情事に及ぶ。しかもアプローチをかけてくるのはいつも女性の側からで、雪崩はあくまで紳士的に振る舞っているが、結局はお約束のように関係を持ってしまう。 これって、「なぜかモテる主人公」という、凡庸で古びたフィクション全般にありがちな設定じゃないか…と、その点は苦笑を禁じ得なかったけれども、自分が生まれる前に書かれた作品に自分が今生きている時代の視線でツッコミを入れるのも野暮というか、ある意味で傲慢なことかもな、と思った。 - 2026年4月28日
- 2026年4月25日
鉄の胡蝶は保坂和志買った保坂和志自身が撮影した猫の写真が用いられた装丁。良いなー。 こういう本を買うと、何があっても"モノ"としての紙の本はなくならないし、仮になくなるとしたらその動きに全力で抗わないといけないなーと思う。
- 2026年4月19日
- 2026年4月19日
- 2026年4月5日
絶対安全文芸批評佐々木敦読み終わった批評の対象として扱われている中で、まだ読んだことのない作家・作品がたくさんある。当たり前と言えば当たり前だけど、まだ出会ったことのない作家が存在しているというのは希望だなと思った。
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