

不安定
@unstable_okyt
通りすがりにいいねを失礼します
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《今みたいなこんな時代》を楽しく生きられることより、生きにくいと感じられる方が、本当のところ幸せなのではないか。
- 2026年9月20日
通天閣 決定版 上巻酒井隆史読んでる引用第二章を読了。おもしろい…!第一章よりすんなり入っていけた。 第二章で筆者は、北條秀司の戯曲『王将』(とその派生作品)を端緒に棋士・阪田三吉の歩みを追い、 「大大阪」へと膨張(p.364より)する大阪の姿を捉える。 ーーー 三吉は、将棋大会の受付で、筆で横棒をまず七つ引き、それから縦棒をうまい具合に並べることによって、三吉という文字にする。(p.268より) つまり阪田三吉は、みずから時間を時間割に沿ってプログラムし、みずからの生活を経営していくことを強いる力に捕えられていなかったのだ。(p.325より) がむしゃらな勝利への執着を断つことによって「定跡」を超えた「無限の妙手の開発」をみずからに課したのが、晩年の阪田三吉であった。そんな一人の将棋指しにとって、時代はますます悪いものになっていく。すべてのふるまいは目的に従属せねばならぬ、目標を効率よく達成するものでなければならぬー将棋の世界にすら、この論理は貫徹をはじめていた。(p.337より) 阪田は、近代に挑みかかるのだった。(p.343より) ーーー - 2026年9月19日
- 2026年9月19日
- 2026年9月17日
- 2026年9月17日
- 2026年9月12日
- 2026年9月10日
通天閣 決定版 上巻酒井隆史読んでる引用第一章を読了。 たしかに「ジャンルを超えた世紀の奇書」(文庫裏表紙より)かも。 著者はデヴィッド・グレーバーの翻訳も手がける社会思想史、都市社会論の専門家であり、 注釈や参考文献を記した「註」(第一章だけで*165まである!)の手厚さと手強さは学術書のそれである。 ただ、読んでいて感じるのは豊穣なフィクションに似たエネルギー。当局の統制、資本家の謀略に、侠客とマスコミ(この時代は新聞とほぼイコール)、民衆の活気と欲望が絡まり、あるいは抵抗して、 「その発展には少しの理想も計画もない」(p.165より) …という渾沌が現れる。なんだかわからないがすごい。 - 2026年9月6日
- 2026年9月4日
鉄の胡蝶は保坂和志引用部分的に読み返しただいいち弱肉強食というのは人間による造語でしかもこんなのは自然のごく一断面、むしろ自然の変調だ。自然をそのようなものと見る人間がもともと世界はそのようであると見たいだけだ、自分の生き方・やり方・願望を正当化するために「自然がそうだ」と、みんなが自然を知らないのをいいことに自然がそうであるかのように言う。 p.253より引用 ーーー 頭の片隅にピン留めしておきたい文章。 動物や植物の営みは必ずしも弱肉強食ではない。 それなのに「所詮世界は弱肉強食なんだから。だってそもそも自然がそうでしょ」と言いたがる人たちがいる。まるで逆らえないさだめであるかのように。でもそれは、そうであってほしいという彼らのさもしい世界観を反映しているだけなのだ。 そうやって逆らえないさだめを捏造する人たちが方便として使う言葉には「自然」の他に「伝統」があるよな、と思う。 - 2026年9月3日
読書実録保坂和志引用部分的に読み返した保坂和志は酒井隆史『通天閣』をどんなふうに引用していたんだっけ、と読み返してみる。 ーーー ネットの時代、雑多なレベルの言葉が目に飛び込んでくる、ひどい的外れで不愉快なものほど記憶から追い出しにくく、書くときに共通了解をどこに設定するか、に影響する。人だかりの向こうから石つぶてを投げてくるようなこういう言葉に出会うと、いまの子どもたちは教室の中でもこういう言葉の石つぶてに常態としてさらされているのかと感じる、まさに酒井隆史が書いた、「人間を常態として萎縮させつづけるという統治の技法」だ、みんなそれの片棒を担いでいる、統治の末端の役割を自覚なく日々励行している、 p.64 ーーー 統治の片棒をみんな担いで(しまって)いる、ということ。その状態からどれだけ遠ざかることができるだろう。私は遠ざかりたい。 - 2026年9月3日
通天閣 決定版 上巻酒井隆史買った引用ちょっと読んだこの社会の核には「悲しみ、懊悩、神経症、無力感」などを伝染させ、人間を常態として萎縮させつづけるという統治の方法がある。日本近代史のある時点で、統治がうまく活用することを学んだ技法である。 ーーー …という文章を、保坂和志が『読書実録』の中で引用していた。 その文章を読んで以来、この本がずっと気になっていたのでまずは上下巻の上を買ってきた。ちょっと読んだ。 この本の次は、ずっと積読にしていた柴崎友香・岸政彦『大阪』を読むのがいいかも、となんとなく考えている。 - 2026年8月31日
怠惰の美徳 (中公文庫)梅崎春生読んでる引用私の心の中にも、その日本的衰頽にひかれる気持は充分にあって、それもはっきり意識に入れた上で、…(略)…私がそれを嫌悪する気持に嘘はないのである。私はせめてここから出発しよう。もがくことで抵抗をたしかめながら、出来ることなら脱出を完成してみたいのである。私は日本人であることよりも、人間であることに喜びを感じたいのだ。もし日本人というのが、日本的衰頽を身につけた人間という意味であるならば。 「衰頽からの脱出」より p.98 ーーー "私は日本人であることよりも、人間であることに喜びを感じたいのだ。" …ほんとに、とため息まじりに頷いてしまう。 この「衰頽からの脱出」が書かれたのは、巻末の初出一覧によると昭和23年、およそ80年前ということになる。 80年経っても梅崎春生の言う「衰頽からの脱出」を為せていない現状を憂うべきか、いや、80年先(あるいはもっと先)まで見通す視座を持った文章に出会えたことを喜ぶべきか。 - 2026年8月30日
怠惰の美徳 (中公文庫)梅崎春生読んでる引用日本的気質とは、一言に尽せば、精神の本質的な衰頽である。…終戦後といえども、近頃結成された最も進歩的な団体が、その内部は親分子分の関係でつらぬかれていたり、文化面にいまだ徒弟制度が存続していたりするのがそれだ。こんな時代になってもそんな制度を発生させる母胎としての我々の気質を、私は身もすくむようないやらしさでふり返らずには居れないのだ。封建制度の残存、などと安心しているわけにはゆかない。残存なんかしているものか。皆が産み出したくせに。 「衰頽からの脱出」より p.95 ーーー 最後の二文。自分たちの周りにはびこる昨今のあれやこれやを顧みて頷かされる。 - 2026年8月26日
- 2026年8月22日
怪談小説という名の小説怪談澤村伊智読み終わった感想文庫書き下ろしの「ノンフィクション」を含む8編の怪談小説が収録されている。 語られる怪異も、その語りのスタイルも、バリエーション豊か。 怖い。おもしろい。 …ただ、単におもしろいと言ってしまっていいのか。…そんなためらいが生まれるのは本書の構造に理由がある。 本書に収録されている怪談は、どれも「怪談をめぐる怪談」だ。 怪談を語る(/書く/読む/聞く)人の前に怪異が訪れる。 * 怪談を語る(/書く/読む/聞く)とき、往々にして、人の死や不幸は記号的なものとして扱われる。 たとえば、見聞きした怖い話を誰かに語るとして、「その部屋の前の住人は首吊り自殺してたんだって」「その○○さんは、一週間後に交通事故で死んじゃって」というくだりに差し掛かったとき、その死を悼むことはまずない。 死は怖い話を構成する一要素であり、 「怖!」と聞いた人に思わせるための裏付け、あるいは話のオチとして人は簡単に死んだり不幸に遭ったりする。そのことが倫理的に悪いとか悪くないとか以前に、怪談とはそういうもので、死や不幸を記号的に扱い弄んでしまう性質を孕んでいる。 本書は怪談のその性質におそらくは意識的で、怪談を語る(/書く/読む/聞く)人の前に怪異が訪れ、記号的ではない死や不幸がごろりと横たわる。生々しい感触。 「怪談ってとどのつまり、人が死んだり不幸に遭ったりする話ですからね」と突きつけられる。そこが怖い。 * …そこが怖い…などと言っている自分自身もまた、同じ穴のムジナではないのか。 つまり、怪談を語る(/書く/読む/聞く)人の前に怪異が訪れる、という本書の構造は、本書を今まさに読んでいる読者にもそのまま適用されてしまう。 自分の前にも怪異が訪れるのだろうか。そもそも、とどのつまりは人が死んだり不幸に遭ったりする話であるところの怪談を、こうして楽しんで(しまって)いる自分って何だろう…という問いが生まれる。 その問いに対する答えはそれこそ人それぞれだと思うが、本書に登場するある人物の言葉が示唆的だ。 人間は、この手の話を誰かに語ることでー (p.283より) - 2026年8月15日
怠惰の美徳 (中公文庫)梅崎春生読んでる引用はっきりした喜びは、その時初めて私にきたように思う。 …(略)… あの日の開放感を、今も私はなつかしく思い出すのだが、も一度現実に味わいたいとは思わない。床上げの日が嬉しかったからと言って、もういっぺん大病にかかりたい、と思わないのと同じだ。もう病気にかかってはならぬ。 「終戦のころ」より p.43-44 ーーー 8/15は終戦の日。最後の一文が重い。 - 2026年8月14日
鉄の胡蝶は保坂和志感想この小説が翻訳されるとしたら翻訳家は困るだろうなと思う。 小説の文法、それどころか日本語の文法からも逸脱した文章が多く出てくる。でもその逸脱は、この小説の瑕疵にはならない。(と思う) ふつう、ひとは友だちや家族と喋る時に文法を気にしていない。「私が」「私は」という主語が何度も重なったり、「…で、」「…なんだけど、」「…というか、」のような適当な接続詞で文と文を繋げてだらだらと喋り、喋りの前半と後半で主語が変わったりもする。友だちや家族との会話を録音してそっくりそのまま文字起こししたら、文章としては相当変な日本語になるはずだ。 あるいは会話ではなく一人で考えごとをしている時も同じで、自分が頭の中で考えていることも、頭の中にあるうちはいわば文章以前の状態で、文法には則っていないような言葉が渦巻いている。 そういう文章以前の言葉を使って、作者が頭の中で考えていることを喋るように伝えているのだなと思いながら読んだ。 - 2026年8月14日
- 2026年8月10日
怠惰の美徳 (中公文庫)梅崎春生買った@ 浦和パルコ埼玉県内で活動する書店・出版社などが集まるイベント「うらわの本のやま@浦和パルコ」に行ってきた。 「ゆとぴやぶっくす」のブースで梅崎春生を買った。 このイベントで買ったのは、一冊は『資本主義を半分捨てる』で、もう一冊は梅崎春生で、今の自分はそういう気分らしい。 - 2026年8月10日
資本主義を半分捨てる青木真兵買った@ 浦和パルコ埼玉県内で活動する書店・出版社などが集まるイベント「うらわの本のやま@浦和パルコ」に行ってきた。 「本と喫茶 夢中飛行」のブースで前々から気になっていたこの本を買った。
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