『百年の孤独』を代わりに読む
87件の記録
ゆけまる@yukemar_142025年11月10日読み終わった『百年の孤独』を読んだばかりで、これを読んだ人は何を思うのだろうかっていうのが気になって読んでみた。評論ではなかった。各章ごとの流れを引用で追いつつ、「脱線」と称して著者の経験やこれまで触れてきたドラマやコント等を含む作品も並べていく構成。それら作品は少し年代が上に感じられて必ずしもわかるわかる!って思うものばかりではなかった。でも、一つの小説を通して、その人がこれまでくぐり抜けてきた経験を呼び起こして再構成していくっていう読み方はとても贅沢で、素敵な読書体験だなと思う。 極めつけに最後のあとがきがすっごく良かった。やっぱり本は自分で読まないと。古典って言われるような読み古された本も、自分で体験してみないと、って改めて思う。 「小説を代わりに読むことができないというのは希望である」

みどりこ@midorikko_032025年8月8日読み終わっためちゃくちゃ面白かった〜〜。百年の孤独読んでからと思ってたけど、結局全然進まないので先にこっちを読んだけど良かった。実はZINE版も持ってる。本編読むぞ〜〜。

えつこま@e2coma2025年6月13日途中で挫折した本だめだ、やはり外国文学は登場人物の名前が覚えられなくて😭読了できず。Amazonレビューとかすごく良くて、読み通せる人すごい。そしてかろうじて読んだ第0章の冒頭、素晴らしかったです。



cacaorite@cacaorite2025年6月2日読んでる@ 自宅百年の孤独を読み終わった直後に読み始めた。作者の引き出しが多すぎて面白い。他人の解釈への興味からの流れでネトフリ版まで観始めてしまった。ネトフリ版の解説として読んでみると温度差がありすぎて面白い。

わらびもち@CitrusRetic_92025年4月24日読んでるあえて「脱線」しながら百年の孤独を読む本。 コンセプトは非常に面白いのだが、いかんせん筆者と世代が違うため、肝心の「脱線」部分があんまりピンとこない…! 「そういえば百年の孤独ってこんな流れだったなあ」と思い出すのには役立っている。 とりあえず最後まで読んでみよう。- すしうどんセット@udon_sushiebi2025年4月12日読み終わった横道に逸れながら百年の孤独を読んでいく本 自分は百年の孤独の読後に読んだけど読む前でも面白いと思うしストーリーの切り取り方がわかりやすくて読みやすかった! 出てくる映画やドラマも見たことないものばかりだったので気になる
ゆかり@yukari2025年3月29日読み終わった『百年の孤独』はすでに購入してあるのですが、なかなか読み始める勇気が出ず、「代わりに読む」という風変わりな試みが面白そうでこちらを先に読みました。 脱線に次ぐ脱線は面白いですが、やはり自分で読んでみなければな、という気になりました。 次は『百年の孤独』を。 楽しみに読みます。



まみこ@hondanahoshii2025年3月17日読んでる持ち歩いている外出中に読むつもりでいつもかばんに入れてるけど久しぶりに開いた どこまで読めてたのかわかんなくて、また初めから読む ずっとこの調子で、同じとこばっかぐるぐる読んでる…
わらびもち@CitrusRetic_92025年3月17日買った本屋で見かけてフラッと購入。「百年の孤独」は読んだけど、「正直よく分かんなかった…」という感想だったので、これを読んだ上で再読してみようかな。

ワタナベサトシ@mizio_s2025年3月7日買った読み終わった2025年11月28日読了。 2022年の文学フリマで著者ご本人からセールストークを聞いたときはちょうど直前に自分が単行本の『百年の孤独』を読み終わったところで、「自分で読んだばかりだからか代わりに読んでもらう必要はないなぁ」と思ってしまい購入しなかった(後に深く悔やむ)。その後ありがたいことに文庫化されて手に入りやすくなって、新潮文庫『百年の孤独』と同時に購入。いい具合にハードカバー読了時の印象も薄れてきたので、まずは『代わりに』読んでもらったものを読む。 世代が近いのか地域的なものなのか、脱線で挙げられるコンテンツはことごとく知っているし、わかる。数年前とはいえ先に本編を読んでいたのでおおまかな流れや登場人物たちの混濁した感じを思い出しつつ理解することができる。引用は細かく矢継ぎ早やに畳みかけられるが、これたぶんまだ『百年の孤独』を読んでいない人はわけわからんだろうなーと思う。本書『代わりに読む』の副読本がマルケス『百年の孤独』というわけで、この二作は共棲関係にあるわけだ。 noteで公開された初出の日付の推移が興味深い。当初は毎週更新かのごとく順調に書き進められていたものが、「代わりに読むとは、どういう行為なのか」を逡巡するにつれて更新頻度がガクンと落ち、半年にいっぺんくらいの寡黙さになる。文章内容にも迷いというか、試行錯誤の跡が見え始める。表現をブラッシュアップしてゆく過程が記録された章はこびとなっていて、この心情の揺れや迷いや動きが(演出や意図的なものがあるとはいえ)ナイーブでとても良い。 他人に代わりに読んで欲しいかどうかというと決してそうは思わない(自分で読みたい)ので、本書は「誰かがこう読んだ」という以上の重要性はないのだが、再確認のためにもう一度『百年の孤独』を読むことにしたので、販促プロモーション効果は高い。新潮は友田とんさんに足をむけて寝ないこと!
川口葉子@cafe2025年1月26日買った読んでる本を読む日常とは、その本と自分の毎日の生活がリンクして、独自の世界が織り上げられていくことだと思う。 ここではガルシア=マルケスの『百年の孤独』と、作者の友田とんさんの日常生活が融合し、唯一無二の「百年のマルケスとんの生活」のような世界が出現している。 読みはじめて数ページもしないうちに、とぼけて淡々としたおかしみのツボにピントが合い、以降、数ページおきにニヤニヤしている。 以下は本書の帯の保坂和志の言葉。 【小説を読むことは「小説を読む時間を生きる」こと。その奇跡がここで起きている。自分の人生の経験や記憶や今ある日常やそれらいろいろが、『百年の孤独』とコラボして徘徊を始める】


ふるえ@furu_furu2024年8月7日読み終わったアウレリャノがめちゃくちゃ出てきて、君はどのアウレリャノなんだよと1人でウケながら読み進めている。 アウレリャノ、あなたはどこへ向かうのか、みたいなことを思いつつ読み、これは『百年の孤独』を読んでいるわけではないのに作品の登場人物に対して面白く思ったり、時にはその場面の状況にシリアスな感情を抱いたりして、これは一体どういうことなんだろうと思う。代わりに読む、ということに対して当初はどういうことなんだ?と思っていたが、単に引用するだけではない、いろんな脱線を繰り返しながら、友田とんさんの感想も含みつつ進んでいく『百年の孤独』の読書について、を今僕は読んでいるのだけど、うまく言えないがこれはすごい状態なのではないかと今更ながらに思う






























































