『百年の孤独』を代わりに読む
117件の記録
仲西森奈@mit_valentin2026年4月7日読んでる『「手に負えない」を編みなおす』を読んでからこの本を読むと、友田さんはその言葉をあてがっていなかっただけで、「手に負えな」さの萌芽がすでにここにあったのではないかと思えてくる。「手に負えない」とは「代わりにしてもらうより方法のないもの」でもある(のかもしれない)。


不安定@unstable_okyt2026年3月16日読み終わった感想紹介ガルシア=マルケスの『百年の孤独』。 自分は、解説などを除いて625ページまである新潮文庫版を買って、206ページまで読んで、そこで止まってしまった。栞はそこから動いていない。同じ名前や似た名前の人物が出てくる複雑な家系図が頭の中でこんがらがって、挫折してしまった。 そこでこの本を手に取った。 文庫本の帯に三宅香帆がこのようなコメントを寄せている。 "あの名作を読みたいのに挫折してしまった読書人全員にとって、これは希望の書です‼︎" 読んだ。おもしろかった。 ただ、ひとつ書くとしたら、この本は『百年の孤独』のガイドブックではない。『百年の孤独』のあらすじをわかりやすく説明してくれるものではない。ではどういう本か。 文庫本の帯には、保坂和志もコメントを寄せている。 "小説を読むことは「小説を読む時間を生きる」こと。その奇跡がここで起きている。" あるいは、145ページで筆者は次のように書いている。 "「読む」という行為が最初から脱線を孕んでいる…小説を読むと、そのあちこちで何かを思いついたり、思い出したりするものである。次から次へと思い出し、気づけば再び小説に意識は戻っている。これが心地よいのだ。" 小説を読むということは、物語の終着駅に向かって効率的にまっすぐ走っていくことではない。物語のそこかしこで、(自分の場合はどうだろう)(そういえばあの時…)(むかし見たあの映画の…)というふうに脱線して、思考の枝葉を伸ばしていく。そうやって育まれた豊かな時間が「小説を読む時間」ということなのだろう。 そしてこの本は、筆者が『百年の孤独』を読んでいた、その時間の豊かさを丁寧に写し取ったものなのだ。 タイパとか時短とか生産性とか、そういったお寒い概念にそっと中指を立てているようにも思える。 この本は、『百年の孤独』を「読めるようになる本」とは言えないけれども、「読みたくなる本」と言えると思う。 筆者がたびたび引用する『百年の孤独』の文章のなんと魅力的なことか。 自分が今度『百年の孤独』に挑む時には、複雑な家系図を脳内で整理するのは諦めて、その場その場の文章を味わうように読んでみようかと思う。




不安定@unstable_okyt2026年3月11日読み終わったこの本の感想を言葉にするには少し時間がかかりそうなので、ひとまずは、読みながら付箋をつけた箇所を抜き書きしておく。 以下引用。 「読む」という行為が最初から脱線を孕んでいる…小説を読むと、そのあちこちで何かを思いついたり、思い出したりするものである。次から次へと思い出し、気づけば再び小説に意識は戻っている。(p.145) スケールが小さいということは、こういう場合に不利だ。何しろシンプルでスケールの大きな話の方が信じられやすいからだ。しかし、本当は話のスケールが小さければ、小さいほど、事実に違いないのである。(p.252) 過去の記憶や思い出も整理しなくてはいけないのだろうか? …ときめきなどなくても、ただ哀しいだけの事実であっても、記憶しつづけるべきことがあるかもしれないではないか。(p.277) 適度な距離を置いて、読み飛ばしてこそ、近眼視的な態度では見えないものが見えたりするかもしれなかったし、それこそが本来の読むということかもしれなかった。一文字もサボらず読めばいいという考え方は甘えに過ぎない。(p.297) 記憶をたどり、思い返すことでさらに恋い焦がれる。すでにそこには存在しないものは、思い出すしかない。(p.319)



不安定@unstable_okyt2026年3月1日読んでるふいに出会う文章にハッとさせられる。 ものすごく当たり前だけど、ものすごく大事なこと。 以下引用。 もちろん神父は軽率だったのだ。だから殺されても仕方がない? ほんとうにそうなのだろうか。健全で真面目に生きていなければ、生きていてはいけないのか。軽率な者も、慎重な者も、賢い者も、冗談を言うだけの者も、みな等しく生きている自由があるのではないか? (p.88)

不安定@unstable_okyt2026年2月21日買った読み始めた少し前に買って積読していたのを、先日読み始めた。 手元にある文庫本の帯には三宅香帆と保坂和志のコメントが載っている。この2人の名前が並ぶことはめったにないのではないか。 著者が読者の「代わりに読」もうとしているガルシアマルケスの『百年の孤独』、自分の場合は途中で頓挫してしまっている。もう一回開いてみようと思う。



きん@paraboots2026年2月20日読み終わった感無量。 やっと読み終えた。 正直、辛かった。もう辞めていいよと言われたら、あ、そうですか、いやぁ楽になれましたおかげさんで!と手放しで喜んでいただろうと思う。 本当に途中ダレタ、ダレまくりだった。そしてブエンディア家の皆さんはいったいダレがダレやねん、そう言う迷路に迷い込んでいた。 しかし読み終えて思うのは、当初の記憶。 代わりに読むって、なに?? と言うことだった。 アレン様の、どういうこと??ってセリフが頭の中を巡る。 誰かの代わりに読む、それは可能なのか、またそれはなにを意味するのか。 そのあたりも本書で友田さんが真面目に向き合っておられ、あ、なんだ、めちゃくちゃ真面目な人やん、と読んでいるこちらも背筋を正した(それまでは本当にダレて寝っ転がって読んでいた) 友田さんとはほぼ同い年なので、書かれる内容とか共有できる土台みたいなものが割と一緒で面白かった。が、脱線の内容のところ、結局あれってどうなったんだっけ?ってことが割とあった…今思うと、なーんか割と適当な記憶しかなくて、妄想すら入っているとも思える。しかし、あたかもその共有していると感じている行為それ自体が、代わりに読む、と言うことに繋がるのではないかなと個人的に感じたりもした。 友田さんの言うように、代わりに読むことはできないが、代わりに読めないからこそ、代わりに読んだ人の体験は自分の読むと言う行為の孤独さを緩和してくれるように思う。 ちょうどそれは山登りのように。山を登るのはそれぞれが各々の力で行うが、あそこであの人が登っている、そう言う感覚があるからこそ、己の中の孤独を癒すことができるのではないかと思える。(残念ながら山登りの趣味はわたしには無いので、適当なことを言っているはず) そして、付箋を多く貼ったのでその部分を今読み返しているが、なんでそこに貼ったのか、なにがよくて貼ったのか、考え至らず訳がわからないでいるが、それもまたとても心地よく感じる、ぼくは。 追記 すごく陳腐だけど、宮沢章夫さんや宝島や中島らもやみうらじゅん、竹中直人やシティーボーイズなんかを彷彿する作品だった。大変美味でした。









きん@paraboots2026年2月19日まだ読んでるまだまだ読んでいる。 すでに何を読んでいるのかわからない、正直なところ。 マコンドとは一体なんなのか。 そして、ホセ・アルカティオ・ブエンディアをはじめとするブエンディア家の人々は一体なんなのか、どこに向かおうとしてるのか、何がしたいのか、なんなんだよあんたら、だれが誰なんだよ。 と、読めば読むほどわからなくなってきている。 そして、なぜ宇津井健は小泉今日子を助けるのか、大江千里はなぜ田中美佐子に走るのか。 どうだったか全く思い出せない…困った… 本当に、百年の孤独をわたしは読んでいるのか?と言うところで280ページあたり。




きん@paraboots2026年2月15日読んでる読み始めて一週間 100ページを超えたところ なかなか読み応えあり、正直よみ進みは良くない 本編のガルシア・マルケスの百年の孤独は、、、もう、情報量の多さ的にも家系図的にも、わっけわからなくなりつつある え?これだれ??という感覚… が、友田さん超面白い、無茶苦茶おもろいなにこれ、と言った中間報告







- 安穏@annon2026年2月13日読んでるp.106まで。登場人物誰が誰なんだか相変わらず訳が分からないが、家系図よりもその人が何を偏愛しているか、でリアリティが芽生えるという話には大いに納得。その話からの“三度の飯より布告好き”で笑う。寄り道が面白い。『百年の孤独』のためにではなく、友田とんさんのためにこの本を読んでいる。

- 安穏@annon2026年2月10日読み始めた『百年の孤独』を積読にし、こちらの本も積読となっていたのだが、本棚で目について取り出してみた。まだ26ページだけどおもしろい。ウルスラ・田中美佐子「海老名は、ゼッタイにいやー!!」

古屋 いつか@ameyuki2026年2月1日読み終わった借りてきた「百年の孤独」未読で読みました。面白かったです。脱線先のドラマや映画がほぼわかるものだったからアドバンテージはあったかも。 いわゆる書評とはちょっと違って、表題作の中で起きる事柄と並走して著者の脳裏を去来するいろいろな脱線が語られます。それ即ち「代わりに読む」なわけですが、体感として、“私の代わりに”ではなく、“誰かの代わりに”読んでいる著者の話を横で聞いてる、みたいな感じでした。 著者も繰り返し触れていましたが、「代わりに読む」とはどういう行為で、どこに辿り着けば代わりに読んだと言えるのか。解説動画や「忙しい人のための〜」ではなく。…… その葛藤と並行して、ブエンディア一族にはいろいろなことがどんどん起きていく。 何というか、立ち止まる読む側と容赦なく過ぎる作中時間の対比が凄かったです。 それにしても、アウレリャノが多すぎて、このアウレリャノはどのアウレリャノだろうと思うことが頻発しました。家系図あると便利です。
たにこ@chico75_114272026年1月13日読み終わった他のドラマや作品などに例えて横道に逸れながら『百年の孤独』を読んでいくという、前代未聞の作品 。人の代わりに読めるのか?と思っていたが、原作の大事な部分を抜粋してくださっていたのでおおまかな流れは把握できた。 でも肝心の結末は書かれていないので、原本読みたくなる! 原本は登場人物もストーリーも難解と聞いていたので、先にこちらを拝読しました。 例えに出てくる映画やドラマは知らないものばかりだったのでピンと来なかったのが残念。(自分が無知故に…) 原作を読む前の練習というか、世界観を把握するにはとても良い作品でした。原作借りてきます🏃♂️




ゆけまる@yukemar_142025年11月10日読み終わった『百年の孤独』を読んだばかりで、これを読んだ人は何を思うのだろうかっていうのが気になって読んでみた。評論ではなかった。各章ごとの流れを引用で追いつつ、「脱線」と称して著者の経験やこれまで触れてきたドラマやコント等を含む作品も並べていく構成。それら作品は少し年代が上に感じられて必ずしもわかるわかる!って思うものばかりではなかった。でも、一つの小説を通して、その人がこれまでくぐり抜けてきた経験を呼び起こして再構成していくっていう読み方はとても贅沢で、素敵な読書体験だなと思う。 極めつけに最後のあとがきがすっごく良かった。やっぱり本は自分で読まないと。古典って言われるような読み古された本も、自分で体験してみないと、って改めて思う。 「小説を代わりに読むことができないというのは希望である」

みどりこ@midorikko_032025年8月8日読み終わっためちゃくちゃ面白かった〜〜。百年の孤独読んでからと思ってたけど、結局全然進まないので先にこっちを読んだけど良かった。実はZINE版も持ってる。本編読むぞ〜〜。

えつこま@e2coma2025年6月13日途中で挫折した本だめだ、やはり外国文学は登場人物の名前が覚えられなくて😭読了できず。Amazonレビューとかすごく良くて、読み通せる人すごい。そしてかろうじて読んだ第0章の冒頭、素晴らしかったです。



cacaorite@cacaorite2025年6月2日読んでる@ 自宅百年の孤独を読み終わった直後に読み始めた。作者の引き出しが多すぎて面白い。他人の解釈への興味からの流れでネトフリ版まで観始めてしまった。ネトフリ版の解説として読んでみると温度差がありすぎて面白い。

胡乱@Oolong_tea92025年4月24日読んでるあえて「脱線」しながら百年の孤独を読む本。 コンセプトは非常に面白いのだが、いかんせん筆者と世代が違うため、肝心の「脱線」部分があんまりピンとこない…! 「そういえば百年の孤独ってこんな流れだったなあ」と思い出すのには役立っている。 とりあえず最後まで読んでみよう。- すしうどんセット@udon_sushiebi2025年4月12日読み終わった横道に逸れながら百年の孤独を読んでいく本 自分は百年の孤独の読後に読んだけど読む前でも面白いと思うしストーリーの切り取り方がわかりやすくて読みやすかった! 出てくる映画やドラマも見たことないものばかりだったので気になる
ゆかり@yukari2025年3月29日読み終わった『百年の孤独』はすでに購入してあるのですが、なかなか読み始める勇気が出ず、「代わりに読む」という風変わりな試みが面白そうでこちらを先に読みました。 脱線に次ぐ脱線は面白いですが、やはり自分で読んでみなければな、という気になりました。 次は『百年の孤独』を。 楽しみに読みます。



まみこ@hondanahoshii2025年3月17日読んでる持ち歩いている外出中に読むつもりでいつもかばんに入れてるけど久しぶりに開いた どこまで読めてたのかわかんなくて、また初めから読む ずっとこの調子で、同じとこばっかぐるぐる読んでる…
ワタナベサトシ@mizio_s2025年3月7日買った読み終わった2025年11月28日読了。 2022年の文学フリマで著者ご本人からセールストークを聞いたときはちょうど直前に自分が単行本の『百年の孤独』を読み終わったところで、「自分で読んだばかりだからか代わりに読んでもらう必要はないなぁ」と思ってしまい購入しなかった(後に深く悔やむ)。その後ありがたいことに文庫化されて手に入りやすくなって、新潮文庫『百年の孤独』と同時に購入。いい具合にハードカバー読了時の印象も薄れてきたので、まずは『代わりに』読んでもらったものを読む。 世代が近いのか地域的なものなのか、脱線で挙げられるコンテンツはことごとく知っているし、わかる。数年前とはいえ先に本編を読んでいたのでおおまかな流れや登場人物たちの混濁した感じを思い出しつつ理解することができる。引用は細かく矢継ぎ早やに畳みかけられるが、これたぶんまだ『百年の孤独』を読んでいない人はわけわからんだろうなーと思う。本書『代わりに読む』の副読本がマルケス『百年の孤独』というわけで、この二作は共棲関係にあるわけだ。 noteで公開された初出の日付の推移が興味深い。当初は毎週更新かのごとく順調に書き進められていたものが、「代わりに読むとは、どういう行為なのか」を逡巡するにつれて更新頻度がガクンと落ち、半年にいっぺんくらいの寡黙さになる。文章内容にも迷いというか、試行錯誤の跡が見え始める。表現をブラッシュアップしてゆく過程が記録された章はこびとなっていて、この心情の揺れや迷いや動きが(演出や意図的なものがあるとはいえ)ナイーブでとても良い。 他人に代わりに読んで欲しいかどうかというと決してそうは思わない(自分で読みたい)ので、本書は「誰かがこう読んだ」という以上の重要性はないのだが、再確認のためにもう一度『百年の孤独』を読むことにしたので、販促プロモーション効果は高い。新潮は友田とんさんに足をむけて寝ないこと!
川口葉子@cafe2025年1月26日買った読んでる本を読む日常とは、その本と自分の毎日の生活がリンクして、独自の世界が織り上げられていくことだと思う。 ここではガルシア=マルケスの『百年の孤独』と、作者の友田とんさんの日常生活が融合し、唯一無二の「百年のマルケスとんの生活」のような世界が出現している。 読みはじめて数ページもしないうちに、とぼけて淡々としたおかしみのツボにピントが合い、以降、数ページおきにニヤニヤしている。 以下は本書の帯の保坂和志の言葉。 【小説を読むことは「小説を読む時間を生きる」こと。その奇跡がここで起きている。自分の人生の経験や記憶や今ある日常やそれらいろいろが、『百年の孤独』とコラボして徘徊を始める】


- ギンダベラ@gindabera2024年11月7日読み終わった面白い。途中まで代わりに読んでもらったということで、気になったので、いよいよ本屋さんへ走ることに(文庫本発売日に購入済みだけどw)する。 こういう脱線大好き。

ふるえ@furu_furu2024年8月7日読み終わったアウレリャノがめちゃくちゃ出てきて、君はどのアウレリャノなんだよと1人でウケながら読み進めている。 アウレリャノ、あなたはどこへ向かうのか、みたいなことを思いつつ読み、これは『百年の孤独』を読んでいるわけではないのに作品の登場人物に対して面白く思ったり、時にはその場面の状況にシリアスな感情を抱いたりして、これは一体どういうことなんだろうと思う。代わりに読む、ということに対して当初はどういうことなんだ?と思っていたが、単に引用するだけではない、いろんな脱線を繰り返しながら、友田とんさんの感想も含みつつ進んでいく『百年の孤独』の読書について、を今僕は読んでいるのだけど、うまく言えないがこれはすごい状態なのではないかと今更ながらに思う






































































