『百年の孤独』を代わりに読む

62件の記録
- わらびもち@CitrusRetic_92025年4月24日読んでるあえて「脱線」しながら百年の孤独を読む本。 コンセプトは非常に面白いのだが、いかんせん筆者と世代が違うため、肝心の「脱線」部分があんまりピンとこない…! 「そういえば百年の孤独ってこんな流れだったなあ」と思い出すのには役立っている。 とりあえず最後まで読んでみよう。
- すしうどんセット@udon_sushiebi2025年4月12日読み終わった横道に逸れながら百年の孤独を読んでいく本 自分は百年の孤独の読後に読んだけど読む前でも面白いと思うしストーリーの切り取り方がわかりやすくて読みやすかった! 出てくる映画やドラマも見たことないものばかりだったので気になる
- ゆかり@yukari2025年3月29日読み終わった『百年の孤独』はすでに購入してあるのですが、なかなか読み始める勇気が出ず、「代わりに読む」という風変わりな試みが面白そうでこちらを先に読みました。 脱線に次ぐ脱線は面白いですが、やはり自分で読んでみなければな、という気になりました。 次は『百年の孤独』を。 楽しみに読みます。
- まみこ@hondanahoshii2025年3月17日読んでる持ち歩いている外出中に読むつもりでいつもかばんに入れてるけど久しぶりに開いた どこまで読めてたのかわかんなくて、また初めから読む ずっとこの調子で、同じとこばっかぐるぐる読んでる…
- わらびもち@CitrusRetic_92025年3月17日買った本屋で見かけてフラッと購入。「百年の孤独」は読んだけど、「正直よく分かんなかった…」という感想だったので、これを読んだ上で再読してみようかな。
- 川口葉子@cafe2025年1月26日買った読んでる本を読む日常とは、その本と自分の毎日の生活がリンクして、独自の世界が織り上げられていくことだと思う。 ここではガルシア=マルケスの『百年の孤独』と、作者の友田とんさんの日常生活が融合し、唯一無二の「百年のマルケスとんの生活」のような世界が出現している。 読みはじめて数ページもしないうちに、とぼけて淡々としたおかしみのツボにピントが合い、以降、数ページおきにニヤニヤしている。 以下は本書の帯の保坂和志の言葉。 【小説を読むことは「小説を読む時間を生きる」こと。その奇跡がここで起きている。自分の人生の経験や記憶や今ある日常やそれらいろいろが、『百年の孤独』とコラボして徘徊を始める】
- ふるえ@furu_furu2024年8月7日読み終わったアウレリャノがめちゃくちゃ出てきて、君はどのアウレリャノなんだよと1人でウケながら読み進めている。 アウレリャノ、あなたはどこへ向かうのか、みたいなことを思いつつ読み、これは『百年の孤独』を読んでいるわけではないのに作品の登場人物に対して面白く思ったり、時にはその場面の状況にシリアスな感情を抱いたりして、これは一体どういうことなんだろうと思う。代わりに読む、ということに対して当初はどういうことなんだ?と思っていたが、単に引用するだけではない、いろんな脱線を繰り返しながら、友田とんさんの感想も含みつつ進んでいく『百年の孤独』の読書について、を今僕は読んでいるのだけど、うまく言えないがこれはすごい状態なのではないかと今更ながらに思う