
はぴ
@happy-reads
2026年1月27日

かつて読んだ
小説家の川上弘美が引用していた、「ボルヘスとわたし」というボルヘスの詩。
「わたしはいずれこの世からきっぱり姿を消さなければならず、わたしの生ある瞬間だけがもう一人の男の中で生き永らえるに過ぎない」
「わたしはわたしではなく、ボルヘスとして生き残るのだろう」
「つまり、わたしの生はフーガなのだ。わたしは一切を失う。そして、その一切が忘却のものに、もう一人の男のものになるのだ」
「この文章を書いたのは、果たして両者のうちのいずれであったのか」
この詩の「わたし」は書き手であるボルヘス自身で「もう一人の男」は読者が読むボルヘスの姿。何かを記す、書く、そして記憶に留められるってのは、全てが忘却されることでもある。
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「すべてを保存する記憶は、基本的に何も保存していないに等しい」
というのは、『失われたいくつかの物の目録』の中で見つけたユーディット・シャランスキーの言葉。
ボルヘスの代表作である「バベルの図書館」もまた、ありとあらゆる書物を保存した宇宙観の果てしなさは、そんな感じの果てしなさ。
シャランスキーはさらに「知ることは、まず忘れることによって生み出される」と言っていた。
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もうひとつ、「ボルヘスとわたし」という詩を読んで
シャランスキーとあわせて思い出したのが池田晶子の『墓碑銘』。
「さて死んだのは誰なのか」
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「九世紀の詩を読み返した時に、
その詩を作った人と同じような気持ちに
なれさえしたらそれでいいのだ。
その瞬間、九世紀の名も知れない詩人が
わたしのなかに蘇るのである。
もちろん、
わたしはすでに死んでいるその詩人ではないが。
われわれ一人ひとりは、なんらかの形で、
すでに死んでしまったすべての人間なのである。
ここにいうすべての人間とは、
血のつながっている先祖だけを指すものではない」
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矛盾だとか、Aであり非Aでもあるという両義性、
対立する判断を同時に抱え込むようなボルヘスの世界観って、
古武術研究家の甲野善紀せんせの言う「武術」の定義、
「矛盾を矛盾のまま矛盾なく取り扱うこと」
そのものだな!無敵の境地、達人の世界だ。
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ああ、そうだ。冒頭で登場した川上弘美、
並行して読んでいる『モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと(奥野克巳)』にもちょうど出てきたところ!
(つまみ食い読みって、こういう関係なさそうな本が
めちゃめちゃシンクロしつつ繋がっていくのが楽しいよね)
そこでは川上弘美の世界観を「メビウスの帯」というキーワードで考察してたな。これぞまさに、生と死、記憶と忘却、裏表のはずの対立するものが同時に存在する世界。
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あわせ鏡の奥を覗き込むような、
不気味で、それなのに覗かずにはいられない魅力があって、
ほんの短い物語や言葉に無限の広がりと世界のすべてを垣間見せられるような、
そんなボルヘスの世界観。
ボルヘスの短編集を買って読みたくなってきた。。。。
