日本の作家が語る ボルヘスとわたし

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読書猫@bookcat2026年4月11日読み終わった(本文抜粋) “今の時代というとすごく乱雑なくくりになっちゃうんですけど、書いていくことの無力感とか、書かれたものを読む無力感というのがすごくあるんです。それは自分に全部降りかかってくる。自分もその責任の一端を絶対的に負ってるものなんですが、ほんとうにすばらしいことなんていうのは、なかなか書けないわけですね。でも、私のささやかな卑小なものでも、書くことは非常に快楽であるし、読むことは快楽であるということを、ボルヘスという人の作品は教えてくれます。” (川上弘美「ボルヘスと私」より) “夢を書くためには、本当に見た夢をそのまま語ろうとするのではなく、まだ見ていない夢を自分で作り出して、書くことが必要なのではないでしょうか。つまり、いつも起きている時に使うのとは違う風に脳を使うのです。” (多和田葉子「夢という辞典」より) “全体性なんていうのは擬似的でいいんだ、そもそもフィクショナルなんだ、本物である必要はないんだ、ボルヘスはそう語っているように思える。(中略)人間は全体性を希求していいけれど、でもそれが共同体的な熱狂になっては駄目だ、どこかで余裕がなければならないとボルヘスは言っているようです。” (奥泉光「断片性と全体性」より) “プラトンは知ることは想起することだと言ったかと思いますが、ボルヘスを読んでいると、人間存在は思い出せないままに同一の行為を反復しているような気がします。しかし、その行為を行なう瞬間瞬間に、まったく同じことが同じように反復されてきた無限の瞬間が復活する。瞬間とはそのようにしてあらゆる過去と未来の瞬間をはらむという意味で永遠なのだ、と。大切なのは、わたしたちはそれをすでに行なった人であると同時にその人ではないということです。” (小野正嗣「忘却と記憶の混在」より) ”我々にとって、記憶が貴重であり、懐かしいものであるのは、その広大な領域の中で、奇跡のようにそのほんの一握りの砂だけが、我々個々の人間と関わりを持ち、個人的な所有を許されるということです。“ (平野啓一郎「ボルヘスと『現在』」より) “確かに、小説には、物語を楽しむという側面があります。しかし、一番重要なのは、その作品を通過することによって、読者がその作品に入る前に比べて、一つ経験値が増えることです。それが可能なのは、読者が作品の中で、その作品の構造に沿って自然に物を考えることができるようになるからです。簡単に言ってしまえば、小説は認識の芸術です。” (高橋源一郎「ボルヘスとナボコフの間に」より)

はぴ@happy-reads2026年1月27日かつて読んだ小説家の川上弘美が引用していた、「ボルヘスとわたし」というボルヘスの詩。 「わたしはいずれこの世からきっぱり姿を消さなければならず、わたしの生ある瞬間だけがもう一人の男の中で生き永らえるに過ぎない」 「わたしはわたしではなく、ボルヘスとして生き残るのだろう」 「つまり、わたしの生はフーガなのだ。わたしは一切を失う。そして、その一切が忘却のものに、もう一人の男のものになるのだ」 「この文章を書いたのは、果たして両者のうちのいずれであったのか」 この詩の「わたし」は書き手であるボルヘス自身で「もう一人の男」は読者が読むボルヘスの姿。何かを記す、書く、そして記憶に留められるってのは、全てが忘却されることでもある。 🪞 「すべてを保存する記憶は、基本的に何も保存していないに等しい」 というのは、『失われたいくつかの物の目録』の中で見つけたユーディット・シャランスキーの言葉。 ボルヘスの代表作である「バベルの図書館」もまた、ありとあらゆる書物を保存した宇宙観の果てしなさは、そんな感じの果てしなさ。 シャランスキーはさらに「知ることは、まず忘れることによって生み出される」と言っていた。 🪞 もうひとつ、「ボルヘスとわたし」という詩を読んで シャランスキーとあわせて思い出したのが池田晶子の『墓碑銘』。 「さて死んだのは誰なのか」 🪞 「九世紀の詩を読み返した時に、 その詩を作った人と同じような気持ちに なれさえしたらそれでいいのだ。 その瞬間、九世紀の名も知れない詩人が わたしのなかに蘇るのである。 もちろん、 わたしはすでに死んでいるその詩人ではないが。 われわれ一人ひとりは、なんらかの形で、 すでに死んでしまったすべての人間なのである。 ここにいうすべての人間とは、 血のつながっている先祖だけを指すものではない」 🪞 矛盾だとか、Aであり非Aでもあるという両義性、 対立する判断を同時に抱え込むようなボルヘスの世界観って、 古武術研究家の甲野善紀せんせの言う「武術」の定義、 「矛盾を矛盾のまま矛盾なく取り扱うこと」 そのものだな!無敵の境地、達人の世界だ。 🪞 ああ、そうだ。冒頭で登場した川上弘美、 並行して読んでいる『モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと(奥野克巳)』にもちょうど出てきたところ! (つまみ食い読みって、こういう関係なさそうな本が めちゃめちゃシンクロしつつ繋がっていくのが楽しいよね) そこでは川上弘美の世界観を「メビウスの帯」というキーワードで考察してたな。これぞまさに、生と死、記憶と忘却、裏表のはずの対立するものが同時に存在する世界。 🪞 あわせ鏡の奥を覗き込むような、 不気味で、それなのに覗かずにはいられない魅力があって、 ほんの短い物語や言葉に無限の広がりと世界のすべてを垣間見せられるような、 そんなボルヘスの世界観。 ボルヘスの短編集を買って読みたくなってきた。。。。
