綾鷹 "私たちの世代は" 2026年3月19日

綾鷹
綾鷹
@ayataka
2026年3月19日
私たちの世代は
私たちの世代は
瀬尾まいこ
感染症の流行で小学校が休校になり、不自由を余儀なくされた冴と心晴。冴が「夜の仕事」をする母親とささやかで楽しい生活を送る一方、心晴は教育熱心な親と心を通わせられずにいて――。人と関わるのが難しかった「マスク世代」の子どもたちの悩みと成長、そして彼らを見守る人々の優しさを描いた、本屋大賞作家による感動作! 安定で好き。瀬尾さんの小説は素敵すぎる。 制限されて息苦しい環境でも、人の関わりから生まれる幸福が温かく描かれている。 コロナ禍を経てなんでもオンラインでできるようになったけど、対面でしか感じられないものがあるということも再認識。 「愛とか幸せとかって形がないっていうけど、冴が生まれて、おお、愛と幸せの塊が目の前にあるって、愛ってちゃんと見えるんだって思ったんだ」っていう冴のママのセリフは、本当にその通りの内容なんだけど、なぜこんなに素敵に表現できるんだと感動...! このセリフを読んで、「ああ、この子は愛と幸せの塊なんだ」と、息子のことがなお愛おしく思える。そして意識した途端に自分が更に強化されるから不思議。 どんな状況でも愛情を持って接してくれる人がいたら強くなれること、瀬尾さんの小説はいつも教えてくれる。 ・ディスタンス世代、マスク世代、家庭教育世代。今、就職活動をしている私たちや少し上の二十代の新入社員たちは、そんなふうに呼ばれ、上の世代から消極的で協調性がなく何を考えているかわからない謎の若者たちのように言われている。 私が小学生のころ、新しいウイルスによる感染症が大流行し、直後二、三年間は人との距離をとることや外出時はマスクをつけることが徹底された。特にウイルスが何かわからなかった最初のころはひどいもので、学校へも通えず、不要不急の外出は禁止だった。その後、少しずつ緩んでは来たが、完全にマスクなしの生活になるのに五年以上かかったし、学校の活動や行事はなくなったり簡素化されたりした。 そのおかげで、私たちの年代は人との距離の取りかたが下手だとか、積極的に人とかかわろうとしないだとか評される。行事や部活などの団体活動が少なかったから、団結や協力を学んでこなかったせいだと。自ら望んでもいない数年間のことで、そんなレッテルを貼られるのだ。どの年代にだって、人懐っこい人も人見知りの人も、積極的な人も極的な人もいる。どの時代だってそこにいる人はさして変わらないのに、何かと理由を付けて世代でくくるなんてばかげている。 けれど、あの数年間、何も影響を受けなかったのかと言えば、やっぱり違う。家で過ごすことが最善だとされていたあの期間が私に与えたものは何だろう。私から奪ったものは何だろう。薄暗いトンネルを緩慢に進んでいたようなあの時期。思い出したくなる出来事はたった一つしかない。 ほとんど外に出ず、家での学習を繰り返し、話し相手は母だけ。そんなうんざりとした日々が頭に浮かびそうになって、私はスマホを手にした。 さっきのおかしな女のせいで、鬱々とした気分になったし、友人でも探してお茶でもして愚痴るか。 そうだ。あの期間で私が学んだことは、SNSやネットでなんでも探せることだった。好きな文具にレアな漫画本。勉強を教えてくれる先生。それどころか気の合う友人だって探すことができた。最初は、互いの顔も名前も知らせずにこんな簡単に友達ができるんだと驚いたけど、今はSNSで知り合った友達と長年やり取りしている。ここしばらく、SNS上の人間と会うことはほとんどなくなっていたけど、今日は誰かと話さずにいられない。 ・走って戻ってきたママは息を切らしながら、我が家の家庭状況をざっくりと明かした。 児童養護施設で育ったママは、親が誰かはわからないし親戚もいない。パパはわたしが一歳の時に亡くなっている。ママにとってそれらはたいした問題ではないようで、いつでもさらりと説明する。 「パパがいないのは冴にはかわいそうだけど、でも、ママは冴がいて最高に幸せ。今まで親も親戚もいなかったのに、こんなすてきな冴がいるんだもん。ラッキーすぎる」とか、「神様ありがとう。子どもの時苦労した分、こんなかわいい冴を私のもとに連れてきてくれて。 ああ、人生って最高」とか、しょっちゅうママが言うから、わたしも父親がいないことやママに親がいないことは、どうでもいいことのように感じている。ママがいてわたしがいて十分幸せ。それが事実だ。それなのに、我が家の家庭事情を聞くと、みんな戸惑ってしまう。  ・「あれ、学校の 課題じゃない?」と指さすと、 「そっか。昨日先生から電話あったっけ。宿題夏休みもあるんだよな」と、清塚君は紙袋を手に取って中をのぞいた。 「宿題のプリント信じられないくらいいっぱい入ってるよ」 わたしが言うと、「うわ、本当だ」 と清塚君は中を確認しながら顔をしかめた。 「冴ちゃん、もうやってる?」 「一昨日最後の登校日で配られたから、少しだけやった」 「天才なんだな」 「天才じゃないよ。漢字と計算ばかりだから時間いっぱいかかるし」「漢字、面倒だもんな」「そう。手も痛くなるし、わたし苦手」 「冴ちゃん、手、痛くなるほど書いてるの?それ、力入れすぎなんじゃない?」「そっか。そのせいかな」 そんな些細なことを二人でしゃべったのが、なぜかすごく楽しかった。友達と話せる機会がほとんどないせいだろうか。久々に本物の友達と会っている気分になった。ママはわたしたちが話しているのをいつも楽しそうに見ている。今日は何を話せるかな。そう思うと、湿気っぽい風もじんわりした暑さも気にならなかった。 ・初めはなんだっておもしろく感じるものだ。英語も体育もインターネットでできるなんてすごいと思えた。家だけで過ごす毎日があまりに単調なせいで、ネットを通してでも知らない人と話せて扉が開いたような気もした。だけど、慣れるとパソコンの画面でできることは、私には退屈だった。思いっきり運動場を走ったり、友達の思いがけない発言に笑ったり、先生に怒られたり、友達と秘密の話をしたり。パソコンの中にはない、あのどきどきとわくわくがほしいのだ。 ・九月になり、十一日から分散登校を毎日行い、給食は実施しないがパンと牛乳が配られると学校から連絡が入った。 週に二度だった登校が、午前と午後に分かれ、毎日実施されるようになるのだ。クラスを半分に分け、これまで一時間だった授業が午前二時間、午後二時間に増えるらしい。そして、それと同時に、給食用のパンと牛乳を持ち帰って食べるよう配布するそうだ。 ニュースで、パンや牛乳の廃棄が多くて業者が困っていると言っていたから、その対策もあるのだろう。しかし、今までこんな簡単なことを実施しなかったなんて。 先生たちは知っているのだろうか。給食がないと、食事にありつくのも難しい子どもがいることを。テレビの中だけでなく、そういう子どもたちが、自分たちが働く学区内にいることを。いつ食べられるかわからない恐怖。先が見えない不安。それがどれほどのものか。 大人にはわからないにちがいない。 今ごろになって給食を配布するという連絡に、なぜだろう。わたしは怒りを感じていた。 ・「大丈夫に決まってるよ。清塚君とはこんなに会ってるんだから、家族同然でしょう?それに、もしこの中の誰かが感染症だったら、とっくに全員なってるって。三人とも元気だし、心配ない」 ママはそう言いきると、買ってきた紙パックの飲み物を、「イメージで決めます。清塚君はさっぱりしてるのでオレンジ、冴はのんびりしてるのでリンゴ、私は美しいのでブドウ」 と三人の前に置いた。ママはなんでもさっさと始めてしまう。わたしと清塚君は「何その勝手なイメージ」と一緒に笑った。 「じゃあ、チョコもどうぞ」 清塚君はそう言いながら、チョコを五つずつ、わたしたちに配ってくれた。 ママはさっそく、「いただきます」 とマスクをずらしてチョコを口に入れ、マスクを戻すと「おいしい」と言った。 「じゃあ、わたしも••••・・いただきます」 わたしは手を合わせてからママと同じように、マスクをずらしてチョコを口に放りこんですぐにマスクを戻した。 甘いチョコレートが口の中でゆっくり溶けていく。感染症のせいで、人から物をもらうのも、他人の家で何かを食べるのも、ママ以外の人と食卓を囲むのも久しぶりだからだろうか、チョコレートはとんでもなくおいしく感じた。 「すごい。おいしい、このチョコレート。本当においしい」わたしが思わず歓声を上げると、「本当に?」 と清塚君が首をかしげた。 「うん。本当、すごくすごくおいしい。たぶん、今まで食べたチョコで一番おいしい」「今までで一番?」 清塚君に不思議そうに聞かれて、わたしはもう一つチョコレートを口に入れた。 「うん。やっぱりそうだよ。すごくおいしい。本当に。ありがとう清塚君。世界で一番おいしいチョコだよ」 確かめようと食べた二個目のチョコレートも口いっぱいに甘さが広がって、幸せな心地にしてくれた。気のせいじゃなく、今まで食べた中で一番おいしいチョコレートだ。 「こりゃ最高の食べ物だね」 ママもそう言って、「うん、確かに今までで一番おいしいお菓子かも」とチョコを口にした。 そのあと、わたしたちは飲んだり食べたりする時だけ、マスクをずらして口に入れ、すぐさまマスクを戻して、というおかしな食べ方をして、三人でくすくす笑った。 ・小学校の時のわたしは、友達は多かった。男子とも女子とも仲良くできていたはずだ。それなのに、中学に入ってからのわたしは、ひっそりと過ごすようになっていた。マスクもソーシャルディスタンスも必要なくなったのに、人と距離をとり、息を潜めている。いったいわたしは何をやっているのだろうと、自分がふがいなかった。 しばらくして、わたしは同じようにこのクラスで居心地が悪そうにしている平野さんと 二人でいることが多くなった。 どのクラスにもなじめない人が何人かいるものだ。平野さん以外にもおとなしい子たちが、にぎやかなグループに目を付けられないように隅に集まっている。小学生の時にも、同じような光景があったはずなのに、わたしは気にもせず楽しんでいた。そんな自分を思い出すと、一人になったからと近づいていくのはどこか虫がいいようで落ち着かなかったけど、平野さんはすんなりと友達になってくれた。 平野さんは優しい子で、時折、「親の仕事なんてなんでもいいのにね」とか、「みんなでたらめ言うのがおもしろいだけだから気にすることないよ」とかと、遠慮がちに励ましてくれた。 感染症が流行していたころは、不自由はいっぱいあったけど、みんながおそるおそる様子を見ながら付き合っていた分、誰かが嫌な目に遭うことも少なかった気がする。それが一気に弾けて、みんなはたいして悪気もなくからかうことを楽しんでいるだけだ。わたしを貶めることで一つになれる感覚に酔っている。誰かの悪口を言い合うことは手っ取り早く仲間になれる方法なのだから。わたしはそう割り切って反論もせず毎日を過ごしていた。 ただ、どれだけみんなに嫌な目を向けられても、お母さんがほかの仕事だったらよかったのにと思うことは、一度もなかった。 ・「そりゃ、死んだのはすごく悲しかったけど、どれだけ好きでも一緒に生活してみると、いろいろあるじゃん。特にさ、冴が生まれてからは、冴が泣いてたりすると、あのおっさん、君は親の愛情を受けてないから泣きやませ方がわからないんだねとかって言うんだよね。まあ、赤ちゃんの泣き声でいらいらするのわかるけどさ。そのおっさんがいなくなって、少し気楽に子育てできるようになった気がするし、よし、これからは私だけで育てるんだって闘志が湧いたんだよね」 「おっさんって、もしかしてお父さんのこと?」「そうそう。記憶は美化されるっていうけど、残念ながら美化してもおっさん」お母さんはけらけらと笑った。 「なんかお母さんと話してると、お母さんの人生ってたいへんなのかおもしろいのかわからなくなる」 「たいへんだよ。赤ちゃんの時に捨てられて狭苦しい施設で育って、それで大人になって結婚したらすぐに旦那が死んで、死んだら死んだで旦那の親戚に責められてさ。もう不幸の連続でしょう」 「うん、かわいそうだよね」 「そう悲劇なの。でもさ、人生に起こる幸せと不幸の数ってだいたい同じだって言うじゃない?だったら、私は二十五歳までに不幸をぎっしり味わったから、もうこれからラッキーなことしかないんだよね。そう思うと、生きるのがらくちん」「ええー。いいなー」「でしょ」 「わたしなんかずっと幸せだから、この後不幸がたくさんあるってことでしょう」そう言うわたしを、お母さんはぎゅっと抱きしめた。 「冴は特別だから、いいことばかりあるよ」「そう、かな?」 小学三年生くらいまでは、「ギューして」と甘えていたけど、今は抱きしめられるのは照れ臭い。わたしは「痛い痛い」と腕から逃れた。 「愛とか幸せとかって形がないっていうけど、冴が生まれて、おお、愛と幸せの塊が目の前にあるって、愛ってちゃんと見えるんだって思ったんだ」 「本当に?」 「本当。昔は自分の親を捜したいと思うこともあったけど、冴が生まれて一気に何もいらなくなった。冴以外はどうでもいいって思えた。それってすごいよね。冴は幸せの塊なんだ」 ・「冴は私には世界一かわいく見えるけど、たぶん顔は普通だな。でも、絶対みんなに愛されるから大丈夫」 「どこがよ」 お母さんは今のわたしの学校での立場を知っているのだろうか。愛されるどころか、みんなにばかにされている。 「今はわからないだろうけど、大きくなれば気づくよ。私ってこんなに愛されているんだっ て」 「そうかなあ」 「そうだよ。少なくとも私は冴のこと驚異的に大好きだもんね」お母さんは照れもせず堂々とそういうことを言う。 わたしも小学生くらいまでは「ママ大好き」「ママずっと一緒にいて」と平気で言っていたし、時々「ママは世界一」「最高のママだよ。ありがとう」と手紙を渡しもしていた。でも、今は恥ずかしくてそんなこと口にはできない。だけど、ずっと気持ちは変わらない。思春期だから、イラッとすることもある。それでも、お母さんは最大の味方だと何の疑いも持たずに思える。それは、両親がそろっているより、親戚がたくさんいるより幸せなことだ。
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