
ジクロロ
@jirowcrew
2026年3月20日
レヴィナスの時間論
内田樹
読んでる
不眠は、私たちがそこに繋縛されている目覚めから身を引き剥がすいかなる手立てもないという意識によって形成されている。何の目的もない目覚め。そこに釘付けにされている時、私たちは自分がどこから来てどこへ行くのかを知らない。
(p.106)
睡眠を天国になぞらえると、
覚醒は地獄であるということ。
覚醒とは、自分を繋ぎ止めるための時間と場所を失った、剥き出しの状態。
"イデオロギーはたんなる「誤った意識」、つまり現実の幻覚的表象ではなく、その現実そのものである。それはすでに「イデオロギー的」なのだ。「イデオロギー的」なのは、参加者がその本質を知らないことを前提としているような社会的現実である。すなわち、その再生産のためには人間が「自分が何をしているのか知らない」ことを前提するような、社会現実性である。"
(『イデオロギーの崇高な対象』スラヴォイ・シジェク p.44)
「私たちは自分がどこから来て
どこへ行くのかを知らない」、
それと
「自分が何をしているか知らない」。
この二つの間の深淵。
前者は意識(覚醒)であり、後者は無意識(睡眠、捏造)。
そして「私たち」と「自分」。
それぞれが、知らない(知ろうとしない)事柄。
覚醒(私たち)とは、可能性であり、
睡眠(自分、自我)とは、状態。
"主体は、その論理に気づかないかぎり、「自分の症候を楽しむ」ことができる。それをどの程度うまく解釈できるかどうかによって、その症候がどの程度解するかが決まる。"
(同上、p.45)
"柔らかい日々が波の音に染まる
幻よ 醒めないで
渚は二人の夢を混ぜ合わせる
揺れながら輝いて"
(『渚』 スピッツ)


