はるき ⚠︎ネタバレ有⚠︎ "たゆたえども沈まず" 2026年3月16日

たゆたえども沈まず
大ゴッホ展in福島の予習として読んだ。 実在した人物(ゴッホ兄弟、林忠正)を元に、架空の人物である加納重吉を読者視点の語り手で登場させることで、ゴッホ兄弟の生涯を物語(フィクション)として書いたもの。 社会に適合できず、上手く生きられないヴィンセント。 社会の中で器用に立ち回り、家族を支えるテオ。 生涯孤独だったとされるヴィンセントだけど、彼の死後に後を追うように無くなったテオや、その絵の価値を多くの人に広めたヨー(テオの妻)の献身を見ていると、孤独とはなんなんだろうと思ってしまう。 どれだけ周囲が手を差し伸べ気にかけても、本人に受け入れる土壌がなければ、孤立を極めてしまう。 他人を受け入れる土壌というのは、自身の自立があって初めて成り立つんだろうと思う。自分が立つことも出来ない土壌に、他人が立てるわけもないので。 愛していても、大切でも、寄りかかられるだけでは倒れてしまう。 孤独というのは、相互によって生まれる虚ろなのだ。 依存しきる前にテオの元を離れたのは、少なからず兄の矜恃があったのかもしれない。 自分には絵しかないのに、社会から認められないヴィンセント。 絵を売る才があるのに、兄の絵は売れないテオ。 時代が噛み合わなかったといえばそれまでだけれど、たゆたい続けるにも先だつものが必要なわけで。 自分の才が、大切な相手を追い詰めていた事を知った時の絶望は。 どちらの絶望も等しく苦しくて、胸が詰まる。 現代の言葉でなら、鬱やアルコール依存症など、なにかしらの診断がつき、寛解するための方法も程度確立されている(簡単な道のりではないし、本人も周囲もしんどい事に変わりはないが)。しかし、その概念が存在しない世界では、砂漠で砂金を探すような途方もなさだったのではないだろうか。 他人の絶望を美化して物語化するものではないと思う。 けれど、日本でゴッホがこんなにも人気な画家であるのは、ヴィンセントの絵が素晴らしいというのはもちろんあるが、彼らの絶望と愛の物語が日本的であるからなのかもしれない。 日本にゴッホという画家が届いたのは、たゆたえども沈まぬ家族の献身があったからなんだと知れた一作だった。
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