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@433
2026年4月7日
断片的なものの社会学
岸政彦
読み終わった
高校時代、午前2時のサイゼリヤに現れる友人がいた。マミちゃんとは、同い年であること以外は何も知らず、彼女はなぜかいつも酔っていた。
席に座ると、彼女はその日にあったことを話し、私はそれを聞いた。昼間に会うことは一度もなかったが、私はマミちゃんを友人だと思っていたし、彼女もおそらくそうだったと思う。
ある日の明け方、いつも通り上機嫌に語り終えたマミちゃんが、ふいにテーブルのナプキンを手に取り、自分の歯を磨き始めた。
それを見た瞬間、私の脳裏に、学校の教室でクラスメイトと笑っている自分が映し出された。マミちゃんの何気ない所作の向こう側に、自分が無意識に享受していた「特権的な正しさ」の存在を突きつけられた瞬間だった。
あれから25年が経つが、マミちゃんとは二度と会っていない。
本書を読み、その場に共鳴した「生の語り」に触れるなかで、私は当時のことを思い出していた。
切実な当事者性を、単なる「物語」として消費してはならない。しかし、他者の人生を覗き見ているとき、私はどこまでいっても観客でしかないのだ。観客として弁えることが、すなわち他者に敬意を払うことだと思うのです。