
ジクロロ
@jirowcrew
2026年3月21日
レヴィナスの時間論
内田樹
読んでる
私たちは今自分の「知的資産目録」に書き入れるアイテムを増やすためにレヴィナスを読んでいるわけではない。むしろ自分の手持ちの知的資産がいかに使いものにならないかを思い知るために読んでいるのである。自分の既知に容易には還元できない知見に触れて、「分からない」と嘆息することそれ自体が哲学の修業なのだと腹を括らないと、レヴィナスは読み続けられない。
(p.129)
自分の引き出しにはない、新しい本の読み方を
教わっている気がする。
「わからない」の連続、その嘆息は
不快で終わらせないために、リズムにする。
ピリオドは、自ら置くことができない。
なるほど、なるほど、と
置いてしまえばそれで終わり。
それもまたリズムなり。
しかし「分からない」ばかりでは不快。
だからこそ、自らそれに代わる何かを
置こうと試みること。
「わからない」、という状態がわかる、
それをしかと確かめてから吐く嘆息。
ツクタンソク、ツクタンソク、
命なりけり、小夜の中山に
西行が置いてきた啖呵(たんか)、その切れ字も
「分からない」のピリオド。
顔に、夜空に、糸杉に、黄色に塗れた何かに、
ゴッホが巻いた渦もまたピリオド。
明確な「分からない」を置いていけば、
リズムが生まれる、そして時間が流れはじめる。
戦後の空白に取り残されたレヴィナスもまた、
そのように生きていたのだろうということが
分かりはじめる。

