
白木蓮
@a
2026年3月22日
環状島=トラウマの地政学 新装版
宮地尚子
読み終わった
「ポジショナリティを問うとき、感情はついてまわる。前章で述べたように、「一部圧倒性」をトラウマはもたらす。被害者は被害者であることに屈辱感や恥を感じる。自分が悪いわけではないとわかっていても、みじめさはなかなかはがせないし、善意であっても傷口に触れられるのは痛い。もちろん、外から介入してくる者の「支援してあげている」という飯慢さや「かわいそうに」という憐憫の態度はその感情を逆なでするが、傲慢さや憐傷だけが原因ではない。何気ない一言に激しい反応が返ってくるとき(「地雷を踏む」という表現は言い得て妙だと思う)、一触即発のような状態になるとき、まさにそこに傷が生のまま口を開けている。そこにこそ問題の核がある。それを「感情的な反発だ」「ルサンチマンだ」と矮小化すべきではない。それではさらなるおとしめを生み、問題の核から離れていくだけである。感情的な反応や反発を、程度の低いものとみなす必要はない。ものごとを深く感じ取り、ものごとを深く動かしていくのは感情である。激しい痛み、恐怖、羨望、嫉妬、怒り、憎しみ、不信感。直接の加害者に向けようがない分、それらは「やつあたり」的に<外斜面>に立つ支援者に向けられるかもしれない。支援者はそれを必ずしも自分に引きつけて受け取る必要はない。反撃したり、立ち去ったりせず、ただそばに居つづけて、感情の強度を感じ取ればよいと思う。それはとても困難なことであるが、とても重要な姿勢である。」(宮地尚子『環状島=トラウマの地政学』p142)



