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@miho-0525
2026年3月24日
1973年のピンボール
村上春樹
読み終わった
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☺︎風の歌に続く第二作☺︎
双子の女の子と暮らして
ピンボール台に会いに行って、さよならする僕。
会っていた女と別れて
ジェイズバーと地元に、さよならする鼠。
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鼠 は僕が地元に置いてきた自分自身(同一人物)だと思うのだけど
風の歌と違ってこの本では完全に別の人間みたいな表現がされていて一瞬迷子になった。
でも村上春樹さんの小説って当たり前みたいに概念が形をもったり動いたりするしなとかと思ったら少しだけ色々見えた気がする。
▼個人の考察&感想メモ▼
鼠は、変化したくなかった昔の僕。
配電盤は、誰かと誰かを繋ぐもの。
双子は、僕(今)と鼠(昔)みたいなもの?
外見は変わらなくても全然違う、的な。
→🔖僕が彼女たちを見分けることができない
『だって全然ちがうじゃない。まるで別人よ。』
交互に書かれる鼠と僕の物語のなかでの
重なるような表現で物語が自分のなかでひとつになる感覚が好きで、何回も読んでしまう。
きっと読み取れてないことも沢山ある(あるいはすでに間違えて解釈してる笑)から、また考えながらいつか読もう。
それを感じたのは例えば↓の箇所。
●→鼠シーン
◯→僕シーン
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●
「魚の匂いなんてしやしないさ」
するのよ、と彼女は言う。あなただって住めばわかるわ。
◯
「鶏の匂いがする。」
『ああ、土地に浸みついてるんですよ。』
●
「今度会った時には見分けがつかないかもしれない」
『匂いでわかるさ』
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◯
「世の中には百二十万くらいの対立した考え方があるんだ。いや、もっと沢山かも知れない」
『殆ど誰とも友だちになんかなれないってこと?』
「多分ね」
●
『世の中にはそんな理由もない悪意が山ほどある。あたしにもりかいできない、あんたにも理解できない』
「俺にはどうもわからないよ」
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●
「ゆっくりあるけ、たっぷり水を飲め。」
どれだけの水を飲めば足りるのか
◯
双子は僕にバケツ一杯分もの水を飲ませた。
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◯
(※倉庫から戻って)おそろしく寒い夢だった。
●
(※女を捨てて)おそろしく深い眠りだった。
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僕が直子のことを向き合い振り返って
今を生きることができるようになったとき、
鼠は街を出る。
変化の時。
外側は同じでも、中身はもう別の人間みたいだ。
精一杯やっても、仕方がないこともある。
ひとが、
人にできることはとても少ない。
理解できない悪意すらこの世には溢れてる。
それでもそれを受け入れるようになる。
生きることは、そうゆうことの繰り返しだ。
時間だけが過ぎてるように感じたって、どんなに些細なことからでも人はなにかを学んでるし身に付けてる。
そして身につけたものを失うことが怖くなる。みんなそうだ。
繰り返し。
物事には必ず入口があって出口がある。
出口があればいいと思う。
そのために、文章を書く。
思ったこととはもっとたくさんあるのだけど、ただでさえまとまりのない長ったらしい記録なのでこのへんで切り上げる。
風の歌に続く、心に残る素晴らしすぎた第二弾。とても好き!