nogi "水中の哲学者たち" 2025年3月16日

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@mitsu_read
2025年3月16日
水中の哲学者たち
〝「なんで」と問うことは、その問題から、わたしを引き剥がす試みだ。ひとは苦しんでいるとき、何に悩んでいるのかわかっていないことが多い。漠然とした、説明できないもやもやに、身体はむしばまれていく。苦しみはぴったりとあなたに寄り添っているから、その姿を見ることはできない。だが、「なんで」と問うことによって、苦しみを、とりあえず目の前に座らせることはできる。〟 p131「爆発を待つわたしたちの日常について」 〝わたしは一生わたしのままで、あなたは永遠にあなた。この現実に対して、4歳のわたしはきっと、なんでだよ!と全身全霊でツッコミをしたのだ。 ここは地球というところです。地球は宇宙というところにあります。宇宙はよくわかっていませんが、めっちゃデカいです。なんでやねん。 あるものはあり、ないものはないです。なんでやねん。 意識してではない。自然と内からわき出る「なんでやねん」である。そして「なんでやねん!」から哲学はおそらく始まる。〟 p206「世界、問題集かよ」より 大学のころ、人文系の学科で、哲学とか思想とか宗教とかを研究できるコースにいた。コース選択の際、親にはそんな就職の役に立たないものではなくて、もっと教員免許とか資格とか云々と反対されたが、結局許された。しかし、好奇心で西洋哲学の講義を受けたらみんなが何を言ってるのかちんぷんかんぷんで、自分の発言がこの人たちに吟味され評価されるのかと思うと、自分の無知と頭の悪さ(と思っていたのだ)が恥ずかしくなり、リタイアした。そして日本の思想史を学び、結局は家業である仏教の研究を齧って卒業し、家業とも研究内容とも無関係の職に就いたが、いつまでも「哲学知りたいけど難しい、怖い」という、憧れと表裏一体の「手を出したら無知が露見する」怯えがついてまわった。 この本を読んだとき、そんな自分がものすごく、別の意味で、無知だったと思った。なんで?って、問うだけでよかったのに。問うことに意味があったのに。難しいことを知らなきゃいけないとか、喋らなきゃとか、そう思わなくてよかったのに。変に怯え、自分のプライドを守ろうとして、考え、問うことをやめてはいけなかった。 だから、この本はお守りだ。考えることを諦めないための、やわらかくてやさしいお守りだ。
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