活字畑でつかまえて "ダンス・ダンス・ダンス(下)" 2026年3月29日

ダンス・ダンス・ダンス(下)
なんだかんだ僕とユミヨシさんが晴れて結ばれる流れは気持ちをもっていかれるからさすがです。 うん、いい作品だ。 「ピーク、と僕は思った。そんなものどこにもなかった。振り返ってみると、それは人生ですらないような気がする。」 わかりすぎる。 「年をとると暗示の暗示性というものが少しは理解できるようになる。そしてその暗示性が現実の形を取るまでじっと待つことを覚えるようになる。ペンキぐ乾くのを待つのと同じように。」 まさに村上春樹の「姿勢」そのもののセリフだ。 ただ待つことしかできないという時間がある。 僕「姿勢の問題だよ。様々な物事を愛そうと努めれば、ある程度までは愛せる。気持ち良く生きていこうと努めれば、ある程度までは気持ち良く生きていける」 ユキ「でもそれ以上は駄目なのね?」 僕「それ以上のことは運だ」 まさに。 「待てばいいということだよ」と僕は説明した。 「ゆっくりっしかるべき時が来るのを待てばいいんだ。何かを無理に変えようとせずに、物事が流れていく方向を見ればいいんだ。そして公平な目で物を見ようと努めればいいんだ。そうすればどうすればいいのかが自然に理解できる。みんな忙しすぎる。才能がありすぎて、やるべきことが多すぎる。公平さについて真剣に考えるには自分に対する興味が大きすぎる。」 イエス。 「すごく正常であるということは同時にずれているということでもあるんだ。だからそれはとくに気にしなくていいんだ」 142ページの「その時だった。その時突然何かが僕を打った。」からキキを追走しオフィスに入っていき 六体の人骨を見つけるまでの描写がすごいな。 「それはよかった」と僕は言った。僕が「それはよかった」という台詞を使うのは、他に何ひとつとして肯定的言語表現方法を思いつけず、しかも沈黙が不適当であるという危機的状況に限られている。 わかりすぎる。 五反田くん「いや、違うね。必要というものはそういうものじゃない。自然に生まれるものじゃないんだ。それは人為的に作り出されるものなんだ。」 「でっちあげられるんだ。誰も必要としていないものが、必要なものとしての幻想を与えられるんだ。簡単だよ。情報をどんどん作っていきゃあいいんだ。〈中略〉ある種の人間はそういうものを手に入れることで差異化が達成されると思ってるんだ。みんなとは違うと思うのさ。そうすることによって結局みんなと同じになってることに気がつかないんだ。想像力というものが不足しているんだ。」 「僕はいったいどうすればいいのだろう?でもどうすればいいのかは僕にはわかっていた。とにかく待っていればいいのだ。何かがやってくるのを待てばいいのだ。いつもそうだった。手詰まりになったときには、慌てて動く必要はない。じっと待っていれば、何かが起こる。何かがやってくる。じっと目をこらして、薄明の中で何かが動き始めるのを待っていればいいのだ。僕は経験からそれを学んだ。それはいつか必ず動くのだ。もしそれが必要なものであるなら、それは必ず動く。よろしい、ゆっくり待とう。」 ザ・村上春樹。 「日焼けがたまらなく魅力的だ。まるでカフェ•オ•レの精みたいに見える。背中にかっこいい羽をつけて、スプーンを肩にかつぐと似合いそうだよ。カフェ•オ•レの精。君がカフェ•オ•レの味方になったら、モカとブラジルとコロンビアとキリマンジャロが束になってかかってきても絶対にかなわない。世界中の人間がこぞってカフェ•オ•レを飲む。世界中がカフェ•オ•レの精に魅了される。君の日焼けはそれくらい魅力的だ。」 ノルウェイの森の「春の熊さんくらい好きだよ。」に匹敵する名文句。 「人が死ぬにはそれなりの理由がある。単純そうに見えても単純じゃない。根っこと同じだよ。上に出てる部分はちょっとでも、ひっぱっているとずるずる出てくる。人間の意識というものは深い闇の中で生きているんだ。入り組んでいて、複合的で••••••解析できない部分が多すぎる。本当の理由は本人にしかわからない。本人にだってわかってないかもしれない」 その後の村上春樹作品の長編で都度都度語られるテーゼだ。 「ねえ、ユミヨシさん、僕は君を求めている。僕はとても現実的に君を求めている。僕が何かをこんなに求めるなんて殆どないことなんだ。」 「耳を澄ませば求めているものの声が聞こえる。目をこらせば求められているものの姿が見える」 作中で〈僕〉が読んでいた本 佐藤晴夫の短編
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