
つつじ
@m_tsutsuji0815
2026年3月24日
不寛容論
森本あんり
読み終わった
面白すぎて脳内でずっと喇叭が鳴り続けていた(落ち着け)
要旨
①現代の寛容はロックやヴォルテールに先行してプロヴィデンス植民地のロジャー・ウィリアムズの主張に由来する
②啓蒙主義は(蒙を啓くという干渉性により)寛容とは異質である




つつじ
@m_tsutsuji0815
カトリックの寛容…
"地上の人間すべてがキリスト教の教えを知っているわけではない。聖書を読んだこともない人に、教会法を適用するわけにもいかないだろう。そこに、寛容という概念の棲息場所がある"
"どの議論でも、寛容の対象が悪であるという判断に変わりはない。トマス(・アクィナス)は、ユダヤ人は罪を犯しており、われわれの敵だ、とすら言っている。ユダヤ人を「好き」になれ、というのではない。「愛せよ」という命令ではなく、「憎むな」という命令であり、その憎しみを外的な行為に表現するな、という命令である"
"寛容であるためには、相手を嫌いでなければならない"

つつじ
@m_tsutsuji0815
プロヴィデンスの寛容…
"簡単な覚え書きながら、これは政治権力の適用範囲が「世俗的な事柄」に限定され、人間の内面には及ばないことを明記した世界初の公文書である"
"神を証人として持ち出さないということは、文書の効力がもっぱら署名する者たちの自発的な意志による、ということである。人民の自発的同意に、政治的な取り決めの究極的な権威の存在がある、ということである"
そんなウィリアムズも統治する側に回ったら信仰を理由にするフリーライダーに手を焼いて内心はともかく外形的には法を守れと言わざるを得なかったの趣深い

つつじ
@m_tsutsuji0815
現代に求められる寛容…
"要するに、ウィリアムズは一貫して、「評価しないけど受け入れる」「嫌いだけれど共存する」という態度だった。これは、本書が見てきた中世以来の寛容論の本筋に他ならない"
"(テレス・)べジャンは、(マーサ・)ヌヌバウムを含むリベラルな現代人に対して、あまり高すぎる基準を要求するな、と言っているようである。相手に敬意や愛情を持つことまでは要求しない。最低限の真摯な礼節さえ守ればよい。「相手を心から受け入れ、違いを喜びなさい」というポストモダンのお説教は、ときにウィリアムズよりずっと不寛容である"
こんなところで「真摯さ」を理解するとは思わなかったしDEIとは何だったのか