
ジクロロ
@jirowcrew
2026年3月24日
疎外論入門
田上孝一
読んでる
ホッブズの描く自然人は生の安全という最も欲する果実を得るために、自らの本質である自由をいったん、自らの外部に譲渡して放棄する。それにより自らの本質から疎外されるが、この疎外は自然から抜け出して「社会人」になるためには避けて通れないプロセスである。そしてコモンウェルスの形成が実現されることによって、譲渡された本質は取り戻され、疎外は回復される。
絶対君主制擁護のためのイデオロギーというその具体的内容自体は到底同意できるものではないか、神話にも通底する、大事なものを失うことによって新たな富を得るという社会契約論の典型にして代表例として、ホッブズの議論はマルクス以前における疎外論を代表するものの一つとなっている。
(p.58-59)
「大事なものを失うことによって新たな富を得る」
楽園(アダムとイヴ)、神(ニーチェ)、「坊や」(中原中也)。それぞれの「本質」であったもの。
失ったという事実の受け入れ、そして同じものを取り戻すことができないという失望こそが疎外。
その後、「失うものは何もない」と開き直れるか、それが問題の本質。
賭けの見返りではなく、「開き直り」という切り替えにこそ、富があるといえるのでは。
No pain,No gain.
それが疎外という実感のもうひとつの本質なのでは。




