individual "春琴抄改版" 2025年3月16日

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2025年3月16日
春琴抄改版
春琴抄改版
谷崎潤一郎
『春琴抄』が発表された年は、1933年(昭和8年)です。僕は読む前に、1912年(明治45年、大正元年)前後の作品かと思っていました。しかし読み進んでいくうちに、谷崎の初期作品(『刺青』など)とは、違う「匂い」がしました。『春琴抄』は、段落下げがなく句読点も少ない作品です。おそらくこれらの仕掛けには意味があります。それは近代日本以前の古典、とくに平安時代の文章表記のオマージュです。以上の表記の場合、物語が連綿と綴られている印象を読者に与えます。僕は、巻物(作品)を引き伸ばしながら読んでいる印象を受けて、この表記が気に入りました。平安時代の代表的作品の『源氏物語』が、「いづれの御時にか」で始まるように、『春琴抄』も回想形式の作品です(ちなみに、『源氏物語』の原文には、段落下げと句読点がないそうです)。谷崎は、古典の「お約束」を踏襲しているのでしょう。『春琴抄』の後半で、春琴は顔を損なわれてしまいます。谷崎は“顔”を失うことを物語に取り入れることで、江戸時代の都会の習俗を表現しているのだと僕は思っています。この作品のおもな舞台の時代は、江戸幕末から明治19年(春琴が亡くなる年)までです。以下は推測ですが、このあたりの時代は、文字通りの“美”が人々の「位」を決めていたのではないか。たとえば歌舞伎では、とくに“顔”を飾ります。これはおそらく江戸時代の市井の方々の常識を抽出したのだと僕は思っています。また、明治19年は、言文一致体がこれから創られていく年であり、「心理」や「内面」はまだ創られていません。そうであるからこそ、この時代には文字通りの“美”が、大切にされたのではないか。このような時代を生きた春琴にとって、“顔”を損なうことは死ぬことに等しかったのではないでしょうか。
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