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2026年3月27日

緩慢の発見
シュテン・ナドルニー,
浅井晶子
読んでる
「ジョンは氷山の形を懲罰日誌にスケッチし続けた。(…)それらはむしろ、楽譜に書き記すべき音楽だった。繊細なあぜ織のような海が、拍子をつけて氷の周りを戯れ、氷を運ぶ。そして氷自身もまた、音楽の響き同様ハーモニーを奏でる。どこか割れやすく、裂けやすいとはいえ、氷たちは沈着で、時間を超越しているように見えた。そういったものが醜いはずはない。」
北極圏でジョン・フランクリンによって懲罰日誌にスケッチされた海と氷による「音楽」がもし演奏されたとしたら、それはきっとこんな音楽ではないだろうか、と阿部薫と吉沢元治のDUOによるimprovisation音源『北〈NORD〉』を思い出して、想像して、今実際に聴いている。そのまま件の文章を読み返してみれば、ああ、やっぱり、というしっくり感もあるのだった。この演奏もやはり「醜いはずはない」し美しい。ただこれは、楽譜に書き記されることのない音楽なのだけれど。
この阿部と吉沢による音源を思い出したのは、内容以前にそのタイトルがあったのかもしれないし、ライナーノートを読み返してみれば「一九六六年夏、最果てをめざして礼文島に旅行した。(…)あるいは精神の極北をめざして、彼は北の島に向かったのかもしれない」という阿部のエピソードも頭にあったのかもしれない、とも思えてくる。
そんなことも踏まえながら、「極北」に向かった二人のことを考えてみる。「ぼくは誰よりも速くなりたい 寒さよりも、一人よりも、地球、アントロメダよりも」と加速し続け短く世界を置き去りにするように駆け抜けた阿部薫と、緩慢と自分のリズムを発見することで「ジョンの渇望はただ、旅を続けることのみだった。まさにいまのように、人生の終わりまでずっと発見の旅を続けたい」という願い通り世界を長い間見続けることになるジョン・フランクリンの生き方、世界との対峙の仕方は両極端で「速度の違いは、人間どうしの相違のなかでも非常に重要なもののひとつ」だけれど、というかそれ故にまた共通するものが見出せる気がしてくる。
それは簡単に言ってしまえば、それぞれにしか見出すことの出来ない強さや信念、生き方、流儀といったもので、どれもわたしが未だ持つことができないものなのだった。かれらの人生、生き方を読んだり聴いたり知ったりすることで自分にとってのそれらを見つけることが出来るかはわからないけれど、それでもわたしはそういう人々の人生、物語を読んだり聴いたりしたいのだ。
少し大袈裟な話になってきた気もするけれど、ちょうど半分くらいまで読み進めたところで、一旦本を閉じてそんなことを考えている。この後も、ゆっくりと、あえて遅く、大切に読み進めてみれば、やはりより多くを「読む」ことが出来るのかもしれない。もしかしたらなにかをみつけることも出来るかもしれない。少なくともなにかヒントはあるはず……そんなことを思いながら、願いながら、こんな途中経過を書いている。





