緩慢の発見

緩慢の発見
緩慢の発見
シュテン・ナドルニー
浅井晶子
白水社
2013年10月14日
11件の記録
  • DN/HP
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    @DN_HP
    2026年4月7日
    白石正明『ケアと編集』編集を読んでいて、著者が編集した『発達障害当事者研究』の共著者である綾屋紗月さんの身体感覚を「大雑把にまとめ」た文章を読んで、この小説のジョン・フランクリンのことを思い出し、納得したりした。 そうしてみると、彼が「鈍重な者も、多くを成し遂げることができる。だが、いい友人をもたなくてはならない。」というとき、その「友人」とは彼の身体感覚、世界の見方を理解し尊重し「ケア」する人物のことなのだろう、とぼんやりと考えていたことにここでも納得する。 ということは、実際に「多くを成し遂げる」、少なくともそう期待されるジョン・フランクリンにはそんな「友人」が何人かはいたということ(その人たちのことも思い出せる)で、この小説は「ケア」する人々の物語としても読めるような気がしてきた。
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  • DN/HP
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    @DN_HP
    2026年3月30日
    「老女は窓を磨き、ジョンは本を書いた。来る日も来る日も。原稿はいまでは五万語以上にのぼり、アカイチョとコパーマイン・インディアンとの出会いの場面まで来ていた。書くのは骨が折れたが、航海に似ていた。それに必要な力と希望はそれ自体から生まれ、それ以外の生活にまで及ぶのだ。本を書く者は、いつまでも絶望してはいられない。そして、文章を書く際に生まれる絶望は、勤勉によって克服することができる。」
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  • DN/HP
    DN/HP
    @DN_HP
    2026年3月27日
    「ジョンは氷山の形を懲罰日誌にスケッチし続けた。(…)それらはむしろ、楽譜に書き記すべき音楽だった。繊細なあぜ織のような海が、拍子をつけて氷の周りを戯れ、氷を運ぶ。そして氷自身もまた、音楽の響き同様ハーモニーを奏でる。どこか割れやすく、裂けやすいとはいえ、氷たちは沈着で、時間を超越しているように見えた。そういったものが醜いはずはない。」 北極圏でジョン・フランクリンによって懲罰日誌にスケッチされた海と氷による「音楽」がもし演奏されたとしたら、それはきっとこんな音楽ではないだろうか、と阿部薫と吉沢元治のDUOによるimprovisation音源『北〈NORD〉』を思い出して、想像して、今実際に聴いている。そのまま件の文章を読み返してみれば、ああ、やっぱり、というしっくり感もあるのだった。この演奏もやはり「醜いはずはない」し美しい。ただこれは、楽譜に書き記されることのない音楽なのだけれど。 この阿部と吉沢による音源を思い出したのは、内容以前にそのタイトルがあったのかもしれないし、ライナーノートを読み返してみれば「一九六六年夏、最果てをめざして礼文島に旅行した。(…)あるいは精神の極北をめざして、彼は北の島に向かったのかもしれない」という阿部のエピソードも頭にあったのかもしれない、とも思えてくる。 そんなことも踏まえながら、「極北」に向かった二人のことを考えてみる。「ぼくは誰よりも速くなりたい 寒さよりも、一人よりも、地球、アントロメダよりも」と加速し続け短く世界を置き去りにするように駆け抜けた阿部薫と、緩慢と自分のリズムを発見することで「ジョンの渇望はただ、旅を続けることのみだった。まさにいまのように、人生の終わりまでずっと発見の旅を続けたい」という願い通り世界を長い間見続けることになるジョン・フランクリンの生き方、世界との対峙の仕方は両極端で「速度の違いは、人間どうしの相違のなかでも非常に重要なもののひとつ」だけれど、というかそれ故にまた共通するものが見出せる気がしてくる。 それは簡単に言ってしまえば、それぞれにしか見出すことの出来ない強さや信念、生き方、流儀といったもので、どれもわたしが未だ持つことができないものなのだった。かれらの人生、生き方を読んだり聴いたり知ったりすることで自分にとってのそれらを見つけることが出来るかはわからないけれど、それでもわたしはそういう人々の人生、物語を読んだり聴いたりしたいのだ。 少し大袈裟な話になってきた気もするけれど、ちょうど半分くらいまで読み進めたところで、一旦本を閉じてそんなことを考えている。この後も、ゆっくりと、あえて遅く、大切に読み進めてみれば、やはりより多くを「読む」ことが出来るのかもしれない。もしかしたらなにかをみつけることも出来るかもしれない。少なくともなにかヒントはあるはず……そんなことを思いながら、願いながら、こんな途中経過を書いている。
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  • DN/HP
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    @DN_HP
    2026年3月26日
    「ジョンはいまでは、あらゆる種類の本が好きだった。紙は急かすことなく待ってくれる。」 「紙は急かすことなく待ってくれる」とはいえ、本のなかには物語の、あるいは文章自体の推進力というものがあって。それがある物語、文章というのは少なくともわたしにとっては良い文章だし、その推進力が生み出す速さにのって読み進めることには楽しさも感動もあるのだけれど、その速さに遅れないようにページをめくっていると、見落としてしまう意味や、置き去りにしてしまう思索がある気がしてくるのもたしかで。 「ジョンは字を読むことができるが、ひとつひとつの文字のもつ魂を探ることに没頭するほうが好きだ。書かれた文字は永遠のものになる。いつまでも続くものに。ジョンはそれが好きだった。」 ジョン・フランクリンの少年時代を描いた序盤に、この本を読むにあたってのヒントが書かれていたような気がしてきたので、200ページほど戻って、またそのあたりからまた読み返している。ゆっくりと、あえて遅く読む。この本はそうやって読もうと決めたから、そんな読み方もありだろう。
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  • 白玉庵
    白玉庵
    @shfttg
    2026年3月25日
    DN/HPさんの投稿で、たいへん興味がわいた。
  • DN/HP
    DN/HP
    @DN_HP
    2026年3月25日
    「なにひとつ、予知することなんてできないんだ。すべての出来事が、なぜこのようであって、ほかのようではないのかを、説明できる人間なんていない。偶然と矛盾は、あらゆる予言よりも強力なんだ」
  • monami
    monami
    @kiroku_library
    2026年3月24日
  • DN/HP
    DN/HP
    @DN_HP
    2026年3月24日
    「どんな船にも、固有の最高速度があります。どんな索具を装備しようと、どんな風が吹こうと、船がこの速度を超えることはありません。私もそれと同じなのです」 「速度の違いは、人間どうしの相違のなかでも非常に重要なもののひとつだ」 「ジョンは木の下に立ったまま、もう一度相を見上げ、そこを立ち去った。町をぶらぶらと歩きながら、人間の速度について考えた。生まれつき鈍重な人間がいるというのが本当ならば、そういう者は鈍重なままでいい。ほかの者と同じになる義務はないはずだ。」 朧げに社会モデルのことを考えている。
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  • DN/HP
    DN/HP
    @DN_HP
    2026年3月21日
    この本をあえて遅く読んでみれば、より多くのものを見ることが出来るだろうか、と帯にあった「遅い者は、より多くを見る」という言葉を読んで考えてみている。あえて遅く読む、というのはこの本を送ってくれた人がある本について語っていたときに言っていたこと(そのときは「ゆっくり」という言葉を使っていたと思うけれど)だけれど、そのことも同時に頭に浮かんでいたから、これはそういうことだろう、と思い込んで、この本はゆっくり、遅く、読んでみようと思う。そこでは何が見えるのだろうか。楽しみである。
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  • DN/HP
    DN/HP
    @DN_HP
    2026年3月21日
    「トーマス・ウェッブとボブ・クラクロフトは分厚いノートを持っていて、そこに毎日のように、きれいな字でなにか書き込んでいる。表紙には「箴言と考察』、『汎用ラテン語慣用句』などと記してある。これはすばらしい印象を与える。そこでジョンも『記憶すべき卓越した慣用句および構文』と題した分厚いノートをつけはじめ、そこにウェルギリウスとキケロの引用を記した。」 そこでわたしも「遅く読む」ことの一環として、この本からの引用をノートにつけることにした。ジョン少年の思索と実践は示唆に富んでいて、中年のわたしの生活にも影響を与えてくれそうだ。しかし、わたしの書く字はあいかわらずきたない。
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  • DN/HP
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    @DN_HP
    2026年3月20日
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