ごうき
@IAMGK
2026年3月27日
時をかけるゆとり
朝井リョウ
読み終わった
「子ども心ながらに感じていた、この世界への不安、生きていくことへの揺らぎのようなものが、本の中のある一行によってぴったりと書き表されているようなとき、私は、自分はひとりではないのだと思えた。」
又吉直樹が「良い文章とは何か」という問いに対して似たようなことを語っていたが、この文章こそが、正しくそうだ。
普段あまり手に取らないような類の本書を読み始めたのは、単純に文体が面白そうだからだ。たまたまXで見た朝井リョウのエッセイの著者紹介に噴き出し、興味を持った。だから、何か重要な省察などを得たわけではない。
ただ、文体に関しては確かに面白い。恐らくすぐに飽きる文体ではあるが、ユーモアに溢れている。それはおそらく、「事前に出たワードの回収」「単純に言葉選びが独特」という要素がある。特に「単純に言葉選びが独特」というものに関しては、例えば「〜といった感じである」というように、「〜といった」という口語体に近い文体と「である」という堅苦しい文語体が合わさりあって、ある種言葉の雰囲気のギャップによって生まれるものが多い。お笑いなどでもこのギャップにより笑いを誘うというものがあるように感じるが、それは偏に、そのギャップが「オーディエンスの想像を超えつつも、オーディエンスの理解できる程度に収まっている」からであろう。我々は理解はできるけれども突拍子な物事に対し、おかしさを感じるのだろうと思う。それがお笑いのひとつの手法だろう。
とはいえ、全てが全てそういうおかしさに包まれているわけではない。終盤に著者が直木賞を受賞した際のエッセイがおさめられていたが、その文章には目を見張るものがある。書き出しの引用も、そこから持ってきたものだ。尤も、著者自身はそのエッセイをスカしてると自虐しているが。
ともかく、読みやすい文章であった。少し前、「イン・ザ・メガチャーチ」が話題になっていたが、(とてもとても)気が向けば読んでみようと思う。
