
ジクロロ
@jirowcrew
2026年3月28日
体の居場所をつくる
伊藤亜紗
読んでる
「運命」というと大袈裟かもしれませんが、私たちの体は、いともたやすく特定のモードに飲みこまれ、「すでに決まっている未来」に向かっていってしまうような存在です。それは私たちの体の切なさです。そこからいかに逃れ、自由であり続けるか。それが回復ということなのかもしれません。
(p.87 『日常にひそむスイッチ』)
今の時代、「運命」という言葉は「情報」に近づきつつあるのではないか、と考える。
今現在の身体と置かれている環境に関し、うまいこと情報に出くわして(言語化されて)しまうと、現況と情報との差異により、身体がエネルギーの低い方へと流されてしまう。
マクベスみたく、たった三人の魔女が同じことを告げれば、無意識のうちにその預言を求めていた身体は、それに従わざるを得なくなる。
自身が欲している情報は、いつでも、いくらでも、ドリンクバーのように摂取できる時代。
出来合いのカルテとカルトとカマトトと。
情報量はエントロピーの増大、
思考の均質化による身体の不自由度に比例する。
思考をやめた頭は、当然ながら、
現況よりも「低位」の情報に安易に取り込む。
著者の場合、その切なさをやや誇張した「運命」という言葉に託し、そんな現代の状況に警告しているのではないか。
"ある者がすべて私の意見をもっているとき、
その意見を合算しても私にはならない。
私自身が私の意見を一つだにもたないとしても、
私は依然として、すべて私の意見をもつ者よりも
私である。"
(『カール・クラウス著作集5 アフォリズム』
p.123)
最新J-POPのフォーマットにでも
落とし込んでほしいほどの箴言。
情報を「私の意見」と勘違いしたとしても、
大事なのは、かたちのない言葉よりも
「私」という身体であること。
「やる気スイッチ」というものは、
頭脳ではなく身体にくっついているはず。

