体の居場所をつくる
153件の記録
ねむみ@nemui_nemumi2026年4月4日読み終わった過食嘔吐だったヨウさんの章が印象的だった 「今まで「これが自分だ」と思っていた場所の外側にも自分は居ることができる。回復のきっかけは、それまで自分が目を向けていなかったもの、いわば死角にこそ存在するのです。」 思い込みの外側へ。回復とは、単にその症状を獲得する前の自分に戻ることではなくて、「こうあってもいい」と思える自分に出会うこと。
shu@shu_2026年4月3日読み終わった自分がいつ何時、原因不明の難病を患ってしまうかはわからない。だからこそ、この本に出てくる方のような向き合い方があるということを知ることには意味があると思います。 伊藤亜紗さんの真摯な姿勢、言語化力は素晴らしい。
Sachiko@komsms2026年3月29日読んでる昨日摂食障害の方達と共同で作品を使ってる方と話したけど、摂食障害当事者は「身体と心が乖離している」と語るという話しを聞いて、今作の中にもそのような例えが出てきたことを思い出した(帝国主義者)。しばらく積んでいたからまた続きを読み始める。
sunroom@marumaru_2026年3月28日気になる伊藤亜紗さん、「武田砂鉄のプレ金ナイト」で「しっくりくる」ことについてお話しされていたのもおもしろかった。しっくりくる、という感覚は、ちょっとずれたらしっくりくるものではなくなってしまうものかもしれない、それ以外に言葉にできない、代えがきかないほど強いものかも、というような話(だったような)
ジクロロ@jirowcrew2026年3月28日読んでる「運命」というと大袈裟かもしれませんが、私たちの体は、いともたやすく特定のモードに飲みこまれ、「すでに決まっている未来」に向かっていってしまうような存在です。それは私たちの体の切なさです。そこからいかに逃れ、自由であり続けるか。それが回復ということなのかもしれません。 (p.87 『日常にひそむスイッチ』) 今の時代、「運命」という言葉は「情報」に近づきつつあるのではないか、と考える。 今現在の身体と置かれている環境に関し、うまいこと情報に出くわして(言語化されて)しまうと、現況と情報との差異により、身体がエネルギーの低い方へと流されてしまう。 マクベスみたく、たった三人の魔女が同じことを告げれば、無意識のうちにその預言を求めていた身体は、それに従わざるを得なくなる。 自身が欲している情報は、いつでも、いくらでも、ドリンクバーのように摂取できる時代。 出来合いのカルテとカルトとカマトトと。 情報量はエントロピーの増大、 思考の均質化による身体の不自由度に比例する。 思考をやめた頭は、当然ながら、 現況よりも「低位」の情報に安易に取り込む。 著者の場合、その切なさをやや誇張した「運命」という言葉に託し、そんな現代の状況に警告しているのではないか。 "ある者がすべて私の意見をもっているとき、 その意見を合算しても私にはならない。 私自身が私の意見を一つだにもたないとしても、 私は依然として、すべて私の意見をもつ者よりも 私である。" (『カール・クラウス著作集5 アフォリズム』 p.123) 最新J-POPのフォーマットにでも 落とし込んでほしいほどの箴言。 情報を「私の意見」と勘違いしたとしても、 大事なのは、かたちのない言葉よりも 「私」という身体であること。 「やる気スイッチ」というものは、 頭脳ではなく身体にくっついているはず。

ピノ@pinofort2026年3月28日読み終わった(まとまりのない雑感) 体について、よりも どうしても自分の読み方として心について置き換えてしまう それでも、体を捉えることは心を捉えることと似ているの かもしれない 〈一般に、痛みを経験した人の多くが口にするのは 「親しい人にこの痛みを分かってほしい」という切望、 しかし結局は「自分の痛みは決して他者には分からない」 という絶望です。 どこまでも「私の痛み」でしかないという、痛みの私秘性 とその共有不可能性。その絶対的な事実に苦しむのです〉 ーー第11章 自分が花みたい P292 より引用 結局はそうだなぁ、という感じではあるけど 物分かりよく私はまだ思い切れない だからといって「私の痛み」を抱えることも 違うのではないかと思う。 抱え続けて枯れてきている痛みをどうすれば良いのか わからないけど、分かりたいから本を手に取るのが 止められない
- 丸子@maruko2026年3月25日気になる妊娠・出産を経験するまで、自分の身体が言うことを聞かなくなる、という感覚を知らなかった。 妊娠悪阻、血圧や血糖値の乱高下、その他の持病、出産後もホルモンバランスが崩れ、数十年見知った私の身体ではなくなった。 自分の身体が日常生活・社会生活の中にフィットしない。動かない。普通の人が普通にできていることが、全くできない。 そのことが、最初のうちは、うまく受け入れられなかった。どうやって日常を送れば良いのか、どうやって生きていけば良いのか、分からなくなった。 妊娠や出産は、長い人生の中の一時的なものだけど。この本には、ずっと、ままならぬ自分の身体と付き合っていく人たちが登場する。 何か参考になることはあるだろうか?



- エラリィ@ressentiment2026年3月24日読んでる教養不知具体260314 岸田奈美さんのPodcastおばんそわ、おススメ本紹介コーナー ・特殊な環境下での個人的エピ集、心と体のの居場所 260323 読始Kindle 260324 第一章 体とまた出会いたい ・停止の「ノー」としての憤慨 - 心と体は別人格 - 怒りの感情→イライラ、ムカムカの連打からの憤慨&停止 - 憤慨は停止を伴い、完全停止まで体はサイレント 260325 第二章 脂は敵だから好き ・「おいしい」の喪失 - 摂食障害→過食も拒食もどちらも - アルコール依存症のゴールは断酒(未来永劫)、摂食障害のゴールは絶食にあらず ・きまりに乗っ取られる - 規範に従うこと自体が目的になるばかりか、従うことをやめられなくなる 第三章 日常にひそむスイッチ 第四章 帝国主義者のまなざし 第五章 電車の中のチマチョゴリ 第六章 希望と分断のお薬 第七章 グニャグニャでいてやろう 第八章 因果関係の外で 第九章 グレーの中で生きる 第十章 ベールの向こうに 第十一章 自分が花みたい エピローグ
- shake@2026shake2026年3月22日読み終わった久々に夜更かしして夢中で読んだ! いろんな当事者の方々のパートナーの立ち位置や振る舞いが多様で。パートナーゆえおおらかを強いられているというわけでもないけど、当事者が取材を受けるまでの信念を持った方々であるがゆえの芯の強さというものがあるのかなと少し感じた。


なかちきか@susie_may41412026年3月19日買った読み始めた読んでるこれはやばい。自分が自分をだいじにするための、正解がどこにあるかわからないままの、実践の記録11人分だ。 まず自分が、自分に向き合わないとね、と思わせてくれる、自分を肯定するとかいうのとは違うけど、自分には結局自分しかいないんだからさ、というところに行くのを、許容してくれる、人間はすごいが、ここに登場するすごい人は、でも私とは他人で、その人と関わることはたぶんないけど、でも、そこから、自分の自分との関わり方は変えられるな、と思う、変えられたら自分もすごいとまで行かなくても、ちょっといいんじゃないかなと、そう思える本だ。 まだ読み終えていないが、そんな感じだ。




- 糸太@itota-tboyt52026年3月9日読み終わった体が自分のものだなんて、よくそんなことを、当たり前に考えていたものだと思う。本書に登場する方々の様々な困難と体に対する工夫は、それぞれに固有のものである。ただ伊藤さんの解釈を通して見てみると、自分に引き寄せて考えられるヒントみたいに思えてくるから不思議だ。 「原因は過去に向かうけれど、回復は未来に開かれている。(中略)原因を特定するとは、「自分が今こうであるのは〇〇だからだ」という、自己にまつわるストーリーを描く作業です。これに対して回復は、こうだと思った自己像の外側で、「そうあってもいい」と思える意外な自分と遭遇することによって成立します」 回復でなくても、生きていくとは確かに、この連続である。自省する。私ははたして、「そうあってもいい」という心持ちで歩みを進められているだろうか。 ALSを発症している新井さんの考え方は、とくに印象に残った。 「外からの力に対してそれを受ける度合いの大きさとしての「入力度合い」もまた、体の力と言うことができるのではないか」 体というものを、自分と、その外にある他人や環境との橋渡しをする存在として考えるとき、「入力度合い」を高めることで広がっていく可能性には、はっと胸を打つものがある。 たとえ、その橋渡しが体ではなかったとしても、同じようなことは多くの場面で発生し得る気がする。「そうあってもいい」可能性は案外、そこかしこに広がっているのかもしれない。


ちみこ@timico2026年2月21日読んでる発売日からよんでいる。 OriHimeパイロットのさえちゃん(彼女もインタビューを受けている)に教えてもらった。 序文から面白くて、文章が魅力的で読みやすい。 考えながら読んでいる。


本屋lighthouse@books-lighthouse2026年1月29日予約受付中ゲラをもらってます先日の店内イベント時に橋本さんからゲラをもらっていて、ちょっと隙ができたので読み始めたら没頭してしまった。自分の身体に対する解像度の高さ、客観視する能力の高さ、それゆえに自分の身体であるにもかかわらず「他者」のようになってしまい、バランスを崩してしまうこともあるのだろう。 かつてサッカー少年として身体との対話を図ろうとしたものの怪我で挫折し、その後アレルギーを発症してコントロール不能な体調不良とともに生きることになり、最近やっと付き合い方がわかってきて、さらには草野球を始めて過去にできなかった対話に再挑戦できているいま、本書を読むとなぜかここには「私」がいると思うのだった。








tsukasakitajima@tsukasakitajima2026年1月29日読みたい公開されたプロローグを読む。生活史のように個人の語りから現れる世界。「問題-解決」という図式ではない、私に固有の一生付き合っていくしかない体とどうおりあいをつけていくのか。楽しみです。










































































































































