体の居場所をつくる
212件の記録
朝日出版社@asahipress2026年6月18日出版社より【イベント情報】 伊藤亜紗+水沢なお「感じるとはなにか」〜『体の居場所をつくる』『こんこん』W刊行記念トーク〜 摂食障害、ALS、診断がつかない人、治療の道がない人、人種的マイノリティ――体に「問題」を抱えながら、日々の工夫の積み重ねで、「体の居場所」をつくってきた11名へのインタビューを元にした伊藤亜紗さんの新刊『体の居場所をつくる』(朝日出版社)。 テーマパークのきつねのきぐるみ・「こんこん」とその「中の人」への切実な愛を描く水沢なおさんの第2小説『こんこん』(河出書房新社)。 この2冊の刊行を記念して伊藤亜紗さんと水沢なおさんによるトークイベント「感じるとはなにか」を6月29日にtwililightで開催します! -- 「居場所をつくること、それは言い換えれば、環境と体の関係を、あれこれと解釈し直し、仮説を立て、根気よく結び直すことに他なりません。」と伊藤さんは書いています。 水沢さんは『こんこん』で触れることのできないいわば「推し」との関係性を描きました。そこではまるで体が透明になって、触れられないからこそ居場所ができるようです。生身の人間との触れ合いは怖いし、恐ろしい。傷つけたくないし、傷つけないでほしい。そう感じている人は現代においてとても多いのではと思います。 水沢さんは常にひとつになること、なれないことを描いてきました。水沢さんにとって居場所とはどのようなものなのでしょうか。 そこにはきっと伊藤さんが本の中で書いた「感じるとはなにか」ということが関わってくると思います。 私と体、私と環境の関係を考えることは、きっと混沌とした状況を進む手すりとなる。 ぜひご参加ください! 終演後にはサイン会も開催します。 -- 開催日時:2026年6月29日(月)開場:19時 開演:19時30分 終演:21時 会場:twililight(東京都世田谷区太子堂 4-28-10 鈴木ビル3F・屋上/三軒茶屋駅より徒歩5分) 料金: 来店参加:2000円 来店+『体の居場所をつくる』2090円=4090円(当日お渡し) 来店+『こんこん』2200円=4200円(当日お渡し) 来店+『体の居場所をつくる』2090円+『こんこん』2200円=6290円(当日お渡し) 配信参加:1000円 配信+『体の居場所をつくる』2090円=3090円(イベント後の発送) 配信+『こんこん』2200円=3200円(イベント後の発送) 配信+『体の居場所をつくる』2090円+『こんこん』2200円=5290円(イベント後の発送) *すべて見逃し配信付き(イベント終了後、3日以内にPeatixのメッセージから視聴用リンクをお送りします) 《出演者プロフィール》 伊藤亜紗(いとう・あさ) 1979年生まれ。美学者。東京科学大学未来社会創成研究院DLab⁺ ディレクター、リベラルアーツ研究教育院教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学(文学博士)。 主な著書に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社選書メチエ)、『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』(講談社学術文庫)、『体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉』(文藝春秋)など多数。 第13回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞、第42回サントリー学芸賞、第19回日本学術振興会賞、第19回日本学士院学術奨励賞受賞。 -- 水沢なお(みずさわ・なお) 1995年、静岡県生まれ。詩人。 2016年、第54回現代詩手帖賞。2020年、第1詩集『美しいからだよ』(思潮社)で第25回中原中也賞。ほか著書に第2詩集『シー』(思潮社)、小説集『うみみたい』(河出書房新社)。 詳細はこちら https://peatix.com/event/5039168




蟹座の読書@reads_kaniza2026年6月17日読み終わった身体的、あるいは社会的属性による生きづらさを抱える11人の、生きるための工夫。なぜか冒険小説を読んでいるような面白さを感じた。どの人も私の想像を遥かに超えた苦しみと共に生きているわけで、そう感じる事に正直戸惑った。これはもちろん他人事として楽しむという意味ではない!(そもそも体を持って生きている以上、この本に書かれていることは誰にとっても他人事ではない。)そうではなく、生きるって、生きられる範囲を確保するための試行錯誤そのものなんだ!という、根本に立ち返るような驚きの連続!世界は自分用にオーダーメイドされてないけど、自分自身の体から少しずつ周りをカスタムしていく。それって生き物の基本やん!そんなシンプルなことに気づかされる。 冒頭に出てくるワンちゃんと同じく、私も毎晩寝る体勢をモゾモゾ探るタイプなので、「居心地のよさ」、そして「居場所」というテーマは、この本を読む上で分かりやすさを与えてくれた。この世界のどこにだって、居場所は自分で作っていい。
lily of the valley@bouquet-de-muguet2026年6月5日読んでる「もしかしたら、それは文学が伝統的に行なってきた役割にも通じるかもしれません。血のつながり以外のつながりが私の体に影響していないなんて、誰が言うことができるのであろう。人間は、閉塞状況をうちやぶるために、いつも可能世界を探索してきました。それは現実ともフィクションともつかない領域です。」
socotsu@shelf_soya2026年5月27日読み終わった自分の身体の状態が発生しうる困難な事態に備えておくべきだ、備えられるはず、という考え方ってあまりにも自己責任論に基づいている、自分の精神や肉体をある程度コントロールして生きていけてこそ人間、大人、という考え方の傲慢さを改めて思い知る本だった。

リチ@richi2026年5月14日読み終わった普段体をコントロールしている気になっているが、そのコントロールが効かなくなった体と、どう生きていくか、どう体と付き合っていくかをインタビューを通して語られている。先に読んだ「要するにって言わないで」で、体の声を聞く、感じることと、通じるところがある気がした。どの方も言語化が素晴らしく、ままならない私の体を、他人に伝えることの苦労を感じさせる。当たり前だが、体というのは本当にパーソナルなもので、この私の感覚というものと向き合って、居心地の良い形を見つけて行きたいと思った。環境に翻弄されることを「入力」と呼ぶところが新鮮だった。 11人の方の繊細なの体の居場所を探る試行錯誤に圧倒される読書でした。

JUMPEI AMANO@Amanong22026年5月10日まだ読んでる朝読書@ 自宅第五章は「元」在日コリアンのユニ・ホン・シャープさん。障害や病気だけが身体論のテーマなのではなく、国籍やアイデンティティの問題もまた体の問題でもあることについて。補助線としてのヘレン・ンゴ『人種差別の習慣』。 〈差別は、する側にとっても、される側にとっても、身体の習慣、つまり無意識の体の使い方のレベルにまで、深く組み込まれたものなのです。〉(128頁) 第六章はナルコレプシーの駒澤典子さん。様々な症状がもたらす一様ではない苦労、をめぐる「身体」と「社会」の絡み合い。そして、それをさらに複雑にする「薬」の存在とその「社会的」副作用。 〈食欲や性的欲望、あるいは友情といった人間の生にとって欠かすことのできない必需品がすべて商品化され、つくり直されてしまった時代において、睡眠だけが、「植民地化できないもの」として残り続けている[...]〉(149頁) 〈あるテクノロジーの誕生が、その障害や病のまわりに生まれていた「文化」の死につながることがあります。テクノロジーは万能ではないにもかかわらず、その意味や価値を問う活動が失われていく。〉(165頁) 第七章はALSで野口体操の実験者でもあった新井英夫さん。身体だけでなく「動く」ことそのものが問い直される、新鮮な議論だった。 〈体を個体として考える見方は、別の言い方をすれば、骨格や筋肉を中身にして身体を捉える、ということです。しかし、全身の力を抜いてみるとどうか。むしろ、揺れる液体のほうが主であり、その中に、骨や内臓が浮かんでいる、と考えることもできるのではないか。〉(183頁) 〈むしろ影響されやすくあること、信じ切って任せるほうに振り切るならば、そこに筋肉を使わない「動く」の可能性が開けてきます。〉(188頁) 第八章は原因を特定できない様々な不調とともに生きてきた谷田朋美さん。「因果関係という時間的な枠組み」に頼れないからこそ見出された「もう一つの時間」について。フィリピンの詩人パオロ・ティアウサスも登場。 〈原因探しの旅は、自分の体がさまざまな「記憶したことのない記憶」とともにあることを確認する作業でもあります。[...]「記憶したことない記憶」を介して、さまざまな傷との連帯の網目を形成することにつながっているのではないか。〉(215-216頁)





JUMPEI AMANO@Amanong22026年5月10日読み終わった@ 自宅第九章は身体症状症でOriHimeユーザーのさえさん。環境の中に(「ある」ではなく)「いる」体を、どうやって安全に「いさせる」ことができるのか。 〈因果関係を描かないということは、特定の事象を不調の原因=敵として定めない、ということでもあります。何かをとりのぞけば、自分の平和が保たれる、という友敵関係は成立しません。〉(244頁) 第十章はコロナ後遺症のもとちゃん。主に労作後倦怠感(PEM)とはどのようなものか、について。想像を絶する症状と言語化だった... そして第十一章は難病により「皮膚と関節が壊れ続けて」いるという今泉美佳さん。科学的身体観ではなく宗教的身体観にたどり着くまで。これまた壮絶だけど凄みのあるお話... 〈痛みに私を語らせるのではなく、痛みとその先にあるものに私は誰かと問いかける。〉(293頁) エピローグも読み終わる。毎度のことながら刺激的なものを書かれる伊藤さん。

ON READING@onreading2026年5月10日読み終わった@ ON READING美学者の伊藤亜紗が綴る、体の居場所をめぐる思索の記録。 そもそも「私」って、なんなんだ。いつだって思わぬタイミングで私の邪魔をしてくる、この体も「私」なのだろうか。 摂食障害、ナルコレプシー、ALSなどの障害や病気の当事者。診断がつかない人、治療の道がない人、人種的マイノリティ。 不調や病、差別などによって体と自分の調和が失われた人々による、この体で「なんとかやっていく」ための対話と工夫を集めた、著者から11人への「体の贈り物」。 コントロールできない。話も通じない。こんなに近いのに、遠い。自分の体をそんなふうに感じる日には、まずは対話から始めようと思う。 帯文に濱口竜介さんの「あえて言いたい、何と面白いのか!」というコメントが載っていますが、本当に、人が生きていくことための工夫は、何と面白いんだろう、と思いました。








JUMPEI AMANO@Amanong22026年5月9日読み始めた就寝前読書お風呂読書@ 自宅居心地の良さ、あるいは居場所をつくるための、11人の工夫。 第一章は摂食障害のnaoさん。「噛み合わない」体との関係について。ビョンチョル・ハン『疲労社会』も補助線として登場。 〈ここに休む=中断の本質的な意味があります。休むというと、力を抜いて何もしないことだというイメージがありますが、いったん過剰な活動状態に飲み込まれてしまったときには、休むとはむしろ出来事を起こすこと、現在を揺さぶることに他なりません。〉(36頁) 第二章は同じく摂食障害(過食嘔吐)のヨウさん。ルーティン論としてもめちゃ興味深いお話。 〈ルーティン化した行為の連続性を中断することは、とりもなおさず、今から始める行為の一回性を認識するということに他なりません。〉(61頁〉 〈きまりから自由になるために必要なのは、それに従おうとする衝動を否定する意志の強さではない[...]必要なのはむしろ、きまりの外側にあるものに気づく出会いの経験なのです。〉(63頁) 第三章も摂食障害(拒食と過食の往復)のくり茶さん。中井久夫の「索引」概念を補助線に。 〈私たちは話は、外界のちょっとした刺激によって過去へと連れ戻され、感じ方がまるっきり変わってしまうような、穴だらけの家のような存在です。いわば世界に対して「漏れて」いる。〉(86頁) 第四章は脊髄性筋萎縮症(SAM)のシン・ユニさん。あらゆる他者の体が潜在的に「自分の体」である、というのは、頭ではわかっても体ではわかりきらない感覚だから面白い。「自分の体は何%くらい自分のものか?」に対する回答も凄みと深い含蓄があった。「セリフ」と「指示」が不可分に混ざり合うインタビューというのもまたすごい現場だ... 〈障害は、近代がつくりあげたこの「作者」という概念に、疑問を投げかけます。体の使い方が変われば考える方式が変わり、考える方式が変われば思想の主体も変わる。それは単に、そこに関わった人すべての名前を列挙すればいい、という単純な話ではないでしょう。〉(116頁)



朝日出版社@asahipress2026年5月7日出版社より居場所は、私たちがどのように生きたいか、その価値基準そのものです。 「11人の永い回復。それぞれが生きづらいはずなのに、奇妙な快活さと楽天性が本書を貫いている。一人ひとりの「工夫」、それに対する著者の「リスペクト」が織り合わされ、私たちは生を見つめ直す視点をもらう。あえて言いたい、何と面白いのか!」(濱口竜介さん) 摂食障害、ナルコレプシー、ALSなどの障害や病気の当事者。診断がつかない人、治療の道がない人、人種的マイノリティ――本書に登場する11名は、体に「問題」を抱えながら、日々の工夫の積み重ねで、どのように「体の居場所」をつくってきたのか。 一人ひとりから出てくる言葉は、ときに文学のようにファンタジックで、そこには、その人の何十年分かの人生が結晶のように凝縮されています。それに耳をかたむけ、ともに悩み、混沌とした状況を進む手すりとなるような言葉を探すために伴走する――そうして綴られた、生きるための究極の工夫とは?








ねむみ@nemui_nemumi2026年4月4日読み終わった過食嘔吐だったヨウさんの章が印象的だった 「今まで「これが自分だ」と思っていた場所の外側にも自分は居ることができる。回復のきっかけは、それまで自分が目を向けていなかったもの、いわば死角にこそ存在するのです。」 思い込みの外側へ。回復とは、単にその症状を獲得する前の自分に戻ることではなくて、「こうあってもいい」と思える自分に出会うこと。
shu@shu_2026年4月3日読み終わった自分がいつ何時、原因不明の難病を患ってしまうかはわからない。だからこそ、この本に出てくる方のような向き合い方があるということを知ることには意味があると思います。 伊藤亜紗さんの真摯な姿勢、言語化力は素晴らしい。
Sachiko@komsms2026年3月29日読んでる昨日摂食障害の方達と共同で作品を使ってる方と話したけど、摂食障害当事者は「身体と心が乖離している」と語るという話しを聞いて、今作の中にもそのような例えが出てきたことを思い出した(帝国主義者)。しばらく積んでいたからまた続きを読み始める。
sunroom@marumaru_2026年3月28日気になる伊藤亜紗さん、「武田砂鉄のプレ金ナイト」で「しっくりくる」ことについてお話しされていたのもおもしろかった。しっくりくる、という感覚は、ちょっとずれたらしっくりくるものではなくなってしまうものかもしれない、それ以外に言葉にできない、代えがきかないほど強いものかも、というような話(だったような)
ジクロロ@jirowcrew2026年3月28日読んでる「運命」というと大袈裟かもしれませんが、私たちの体は、いともたやすく特定のモードに飲みこまれ、「すでに決まっている未来」に向かっていってしまうような存在です。それは私たちの体の切なさです。そこからいかに逃れ、自由であり続けるか。それが回復ということなのかもしれません。 (p.87 『日常にひそむスイッチ』) 今の時代、「運命」という言葉は「情報」に近づきつつあるのではないか、と考える。 今現在の身体と置かれている環境に関し、うまいこと情報に出くわして(言語化されて)しまうと、現況と情報との差異により、身体がエネルギーの低い方へと流されてしまう。 マクベスみたく、たった三人の魔女が同じことを告げれば、無意識のうちにその預言を求めていた身体は、それに従わざるを得なくなる。 自身が欲している情報は、いつでも、いくらでも、ドリンクバーのように摂取できる時代。 出来合いのカルテとカルトとカマトトと。 情報量はエントロピーの増大、 思考の均質化による身体の不自由度に比例する。 思考をやめた頭は、当然ながら、 現況よりも「低位」の情報に安易に取り込む。 著者の場合、その切なさをやや誇張した「運命」という言葉に託し、そんな現代の状況に警告しているのではないか。 "ある者がすべて私の意見をもっているとき、 その意見を合算しても私にはならない。 私自身が私の意見を一つだにもたないとしても、 私は依然として、すべて私の意見をもつ者よりも 私である。" (『カール・クラウス著作集5 アフォリズム』 p.123) 最新J-POPのフォーマットにでも 落とし込んでほしいほどの箴言。 情報を「私の意見」と勘違いしたとしても、 大事なのは、かたちのない言葉よりも 「私」という身体であること。 「やる気スイッチ」というものは、 頭脳ではなく身体にくっついているはず。

ピノ@pinofort2026年3月28日読み終わった(まとまりのない雑感) 体について、よりも どうしても自分の読み方として心について置き換えてしまう それでも、体を捉えることは心を捉えることと似ているの かもしれない 〈一般に、痛みを経験した人の多くが口にするのは 「親しい人にこの痛みを分かってほしい」という切望、 しかし結局は「自分の痛みは決して他者には分からない」 という絶望です。 どこまでも「私の痛み」でしかないという、痛みの私秘性 とその共有不可能性。その絶対的な事実に苦しむのです〉 ーー第11章 自分が花みたい P292 より引用 結局はそうだなぁ、という感じではあるけど 物分かりよく私はまだ思い切れない だからといって「私の痛み」を抱えることも 違うのではないかと思う。 抱え続けて枯れてきている痛みをどうすれば良いのか わからないけど、分かりたいから本を手に取るのが 止められない

- 丸子@maruko2026年3月25日気になる妊娠・出産を経験するまで、自分の身体が言うことを聞かなくなる、という感覚を知らなかった。 妊娠悪阻、血圧や血糖値の乱高下、その他の持病、出産後もホルモンバランスが崩れ、数十年見知った私の身体ではなくなった。 自分の身体が日常生活・社会生活の中にフィットしない。動かない。普通の人が普通にできていることが、全くできない。 そのことが、最初のうちは、うまく受け入れられなかった。どうやって日常を送れば良いのか、どうやって生きていけば良いのか、分からなくなった。 妊娠や出産は、長い人生の中の一時的なものだけど。この本には、ずっと、ままならぬ自分の身体と付き合っていく人たちが登場する。 何か参考になることはあるだろうか?



- エラリィ@ressentiment2026年3月24日読んでる教養不知具体260314 岸田奈美さんのPodcastおばんそわ、おススメ本紹介コーナー ・特殊な環境下での個人的エピ集、心と体のの居場所 260323 読始Kindle 260324 第一章 体とまた出会いたい ・停止の「ノー」としての憤慨 - 心と体は別人格 - 怒りの感情→イライラ、ムカムカの連打からの憤慨&停止 - 憤慨は停止を伴い、完全停止まで体はサイレント 260325 第二章 脂は敵だから好き ・「おいしい」の喪失 - 摂食障害→過食も拒食もどちらも - アルコール依存症のゴールは断酒(未来永劫)、摂食障害のゴールは絶食にあらず ・きまりに乗っ取られる - 規範に従うこと自体が目的になるばかりか、従うことをやめられなくなる 第三章 日常にひそむスイッチ 第四章 帝国主義者のまなざし 第五章 電車の中のチマチョゴリ 第六章 希望と分断のお薬 第七章 グニャグニャでいてやろう 第八章 因果関係の外で 第九章 グレーの中で生きる 第十章 ベールの向こうに 第十一章 自分が花みたい エピローグ
- shake@2026shake2026年3月22日読み終わった久々に夜更かしして夢中で読んだ! いろんな当事者の方々のパートナーの立ち位置や振る舞いが多様で。パートナーゆえおおらかを強いられているというわけでもないけど、当事者が取材を受けるまでの信念を持った方々であるがゆえの芯の強さというものがあるのかなと少し感じた。


なかちきか@susie_may41412026年3月19日買った読み始めた読んでるこれはやばい。自分が自分をだいじにするための、正解がどこにあるかわからないままの、実践の記録11人分だ。 まず自分が、自分に向き合わないとね、と思わせてくれる、自分を肯定するとかいうのとは違うけど、自分には結局自分しかいないんだからさ、というところに行くのを、許容してくれる、人間はすごいが、ここに登場するすごい人は、でも私とは他人で、その人と関わることはたぶんないけど、でも、そこから、自分の自分との関わり方は変えられるな、と思う、変えられたら自分もすごいとまで行かなくても、ちょっといいんじゃないかなと、そう思える本だ。 まだ読み終えていないが、そんな感じだ。




- 糸太@itota-tboyt52026年3月9日読み終わった体が自分のものだなんて、よくそんなことを、当たり前に考えていたものだと思う。本書に登場する方々の様々な困難と体に対する工夫は、それぞれに固有のものである。ただ伊藤さんの解釈を通して見てみると、自分に引き寄せて考えられるヒントみたいに思えてくるから不思議だ。 「原因は過去に向かうけれど、回復は未来に開かれている。(中略)原因を特定するとは、「自分が今こうであるのは〇〇だからだ」という、自己にまつわるストーリーを描く作業です。これに対して回復は、こうだと思った自己像の外側で、「そうあってもいい」と思える意外な自分と遭遇することによって成立します」 回復でなくても、生きていくとは確かに、この連続である。自省する。私ははたして、「そうあってもいい」という心持ちで歩みを進められているだろうか。 ALSを発症している新井さんの考え方は、とくに印象に残った。 「外からの力に対してそれを受ける度合いの大きさとしての「入力度合い」もまた、体の力と言うことができるのではないか」 体というものを、自分と、その外にある他人や環境との橋渡しをする存在として考えるとき、「入力度合い」を高めることで広がっていく可能性には、はっと胸を打つものがある。 たとえ、その橋渡しが体ではなかったとしても、同じようなことは多くの場面で発生し得る気がする。「そうあってもいい」可能性は案外、そこかしこに広がっているのかもしれない。


ちみこ@timico2026年2月21日読んでる発売日からよんでいる。 OriHimeパイロットのさえちゃん(彼女もインタビューを受けている)に教えてもらった。 序文から面白くて、文章が魅力的で読みやすい。 考えながら読んでいる。


本屋lighthouse@books-lighthouse2026年1月29日予約受付中ゲラをもらってます先日の店内イベント時に橋本さんからゲラをもらっていて、ちょっと隙ができたので読み始めたら没頭してしまった。自分の身体に対する解像度の高さ、客観視する能力の高さ、それゆえに自分の身体であるにもかかわらず「他者」のようになってしまい、バランスを崩してしまうこともあるのだろう。 かつてサッカー少年として身体との対話を図ろうとしたものの怪我で挫折し、その後アレルギーを発症してコントロール不能な体調不良とともに生きることになり、最近やっと付き合い方がわかってきて、さらには草野球を始めて過去にできなかった対話に再挑戦できているいま、本書を読むとなぜかここには「私」がいると思うのだった。








tsukasakitajima@tk-19652026年1月29日読みたい公開されたプロローグを読む。生活史のように個人の語りから現れる世界。「問題-解決」という図式ではない、私に固有の一生付き合っていくしかない体とどうおりあいをつけていくのか。楽しみです。
ちょこ@choko-chip1900年1月1日会話のない読書会@ 本の読める店 fuzkue西荻窪【会話のない読書会】のお知らせ 📝 開催概要 ■日時 6月26日(金) 19:30~22:00(19:00開場) ※通常営業は18時まで ■場所 フヅクエ西荻窪 ■料金 2420円(税込) ※ 3オーダー付き ※ 基本メニューのほか、追加料金でお食事などのオーダーもしていただけます。カレー、サンドイッチやチーズケーキ等、いろいろあります。 ■予約 https://fuzkue.com/news/1862 「フヅクエ 会話のない読書会」で検索🔍 ■定員 10名 その本を読むためだけに用意された、贅沢で最高の読書時間—— 「会話のない読書会」は、楽しみにしていたその本を、同じくその本を楽しみにしていた人たちだけが寄り集まった空間でただただ読む、という読書会です。 この読書会では、参加者同士が本について語り合ったりすることはしません。映画館で映画を観るように、おのおのの席で、黙々と、ただ読む。コーヒーやお酒や食事を楽しみながら、決められた時間のあいだ、ただただ読む。時間になったら帰る。 参加者たちは見知らぬ者同士のまま、「ここにいる全員が今、同じ本を読んでいる」という認識だけが渦を巻く。ただそれだけが、どうしてだか忘れがたい、濃厚かつグルーヴィーな体験に、なれ、という企てです。 ーーーーーーーーーー 6月ふたつめの読書会は、伊藤亜紗著『体の居場所をつくる』です。 11名の、体になんらかの「問題」を抱えたひとびとが、日々の生活のなかで「体の居場所」を作るために工夫を積み重ねていく姿を描いた1冊です。 普通のことが、しんどい。 当たり前のことが、うまくいかない。 自分の体は、どうやってどこにいれば、居心地良くいられるのだろうか。 「体の居場所」という言葉が、優しく響きます。 本屋さんの平台に並んでいるのを、ふと手にとってみたら、言葉がするすると体の中に落ちてきました。 自分も身体的に、あるいは精神的に、なんとなく不調なまま10年以上過ごしてきて、まだぴったりとはまらないけれど、どうにかやっている。 そのことを、ふんわりと受け止めてもらえるような、そんな気がします。 買ったばかりなので、これから読むのを楽しみにしているところです。 なんだか体や心の居心地が悪いな、と感じたら、一緒にこの本を読んでみませんか。
Nuca@Nuca_161900年1月1日買った読んでる読書会に向けて読む② 26/6/7 読み始めた 案外読みやすい 体を他人として認識したことないから、初っ端からかなり衝撃的 ただ、「自分自身をコントロールできるか」が最近の自分の中に存在する大きなモヤモヤだったので、そういうことなのかも!と通じた部分もある


























































































































































