管太 "激しく煌めく短い命" 2026年3月30日

管太
@r_f_1
2026年3月30日
激しく煌めく短い命
これこそが綿矢りささんの真実なのかもしれない。『激しく煌めく短い命』というフレーズこそが。 「恋は、始まりでも終わりでもない。 ちょうど人生の真ん中にある。」(11頁)  という一節がとにかく印象に残る。恋の前、恋の後は存在していて、物語化されるのは恋の最中だけど、その前後も登場人物たちは命を燃やして生きている。今もきっと二人は、そしてその他の登場人物たちは、短い命を全うしている。  主人公の成長譚であることは間違いない。親の毒性、周囲の目、京都特有の差別に縛り付けられていた久乃は、綸との大失恋、そして復縁を通して踏ん切りを付けられる。ただ疑問に持つだけでなく、親とはなんなのか、周囲の目や差別とはなんなのかを、極限まで考える。親はいつまでも変わらない。偏見は他人の中ではなく自分の中にある。京都の人はみんながみんか、人をナチュラルに見下してて、身分差が冠位十二万階くらいあると思っていた。が、その冠位十二万階は気付けば自分の中にもあり、そして自分ことが作り出したものだった。そして、日常のすぐ側にある電車の人身事故から、人生のあっけなさを感じ、『激しく煌めく短い命』である今を全力で生きることを決める。そして、恋の後を新たな決意で生きる。  綸はおかれている状況によって姿が変わっているように見えるが、芯は貫かれている。昔の橋本くんやルカナちゃんは好きすぎる人との恋愛はうまくいかない、一番好きな人とはくっつかない、という考えるを持っていた。これまでの綿矢りさ作品にもこのような考え方をしている登場人物がいたり、この考え方が作品のテーマになっていたりしたように思う。しかし、綸はそのような理想を捨てていない側の人間だった。いまの自分が望む道を歩もうとする。だからこそ、この終わり方なのだ。綸がこの生き方を貫いていなかったら、この物語は間違いなく別の終わり方になっていた。これがハッピーエンドなのかバッドエンドなのかはわからない。でも、希望が見える終わり方ではある。  構造としては『生のみ生のままで』な非常に近い。お互いの恋の炎は燃え盛っていたのに、お互いのプライドなり意地っ張りさなり不器用さにより、長い間関係を絶つ。しかしその後再会して、最初は過去の関係が全くなったかのように凍りついた仲だったが、だんだんと打ち解け、そして復縁する。もしかしたら綿矢りささんは、好きという気持ちを持ち続けていたら結ばれる、という真実を持っているのかもしれない。  しかし、『生のみ生のままで』と違うのは二人の間に子供が生まれること。子供という存在は恋の先にあるものである。二人は二人だけの世界の恋から、社会の中の家族へと変わる。自分の理想を掴みながら、社会で生き抜く。自分の理想をとるか、社会で生きることをとるか、という選択が綿矢りさ作品に通ずるものだと考えていたので、この小説は今までの小説の一歩先にいったもののように私は思った。  表現は流石の一言。この長い作品をここまで読ませることができるのは、確実に文章のおかげである。世の中を穿つ描写、主人公の洞察は圧巻で沢山付箋を貼ってしまった。登場人物のリアリティもすごい。  全身で綿矢りさ作品を浴びた。『グレタニンプ』はまた作風が異なっていそうなので楽しみ。
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