カミーノアン "どうすればよかったか?" 2026年3月29日

どうすればよかったか?
本書を通して感じるのは、出来事のあともなお続く「どうすればよかったのか」という問いの重さだ。著者は姉の死後も、家族に何が起きていたのかを考え続け、悔やみ続けている。その記憶は時間とともに揺らぎ、変化していくが、映像として残された言葉や表情が、当時の現実を確かに引き留めている。 印象的だったのは、「問題は、それが存在するという認識がなければ解決されない」という指摘である。姉の異変に対して見て見ぬふりをした両親。その姿に絶望しながらも、著者自身もまた別の形で距離を取ってしまったことへの悔いがにじむ。問題は、認識しなければ存在しないのと同じで、認識してもなお向き合うには勇気がいる。そのどちらも欠けたとき、時間だけが過ぎていくのだと痛感させられた。 母が「青春がなかったですね」と漏らし、父がそれを制止する場面も強く印象に残った。何気ないやりとりのようでいて、姉の人生に対する認識のずれや、受け止めきれない思いが浮かび上がる。その言葉は、著者の中に長く残る違和感となり、家族それぞれが異なる現実を生きていたことを示しているように感じた。 それでも著者は後年、「姉ともっと会話ができるようになりたい」という思いから、改めて向き合うことを選ぶ。その動機は純粋で、過去にできなかったことを取り戻そうとする切実さがある。遅れてでも関係を結び直そうとする意志が、この作品全体を支えている。 一方で、父の態度には複雑な感情を抱かされた。姉の状態や死の事実を受け止めきれず、自分の中で書き換えてしまう。その姿は理想を押し付けているようにも見え、違和感や怒りを覚える一方で、人間が最後には自分を守ろうとする存在であることも思い知らされる。著者はその矛盾を暴こうとはせず、問い詰めることにも意味はないと判断し、ただ記録する。その言葉の奥にある表情や沈黙、弱さまでも映し出そうとする姿勢に、ドキュメンタリーとしての誠実さと強さを感じた。 読み終えて、「どうすればよかったのか」という問いには答えがないのだと改めて思う。それでもなお問い続け、考え続けることこそが、この作品の核心なのだろう。
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