ジクロロ "ライプニッツの輝ける7日間" 2026年3月31日

ジクロロ
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@jirowcrew
2026年3月31日
ライプニッツの輝ける7日間
ライプニッツの輝ける7日間
ミヒャエル・ケンペ,
森内薫
ライプニッツは世界を可能性という観点から眺める。起こりうる可能性があるからといって、すべてが現実にならなければいけないわけではないし、すべてが現実になるわけでもない。だが少なくとも、その一部は現実になる可能性があり、ときには人々が思っている以上のことが実現できるかもしれない。もし世界のすべてのものごとが必然的に起こるのだとしたら、個人が自分の行動に責任を負うことはなくなる。そして道徳性はなくなり、自由もなくなる。起こりうる多様な世界の中から自由に選択ができるのは神だけではない。人間にもまた、世界を変え、その形成にかかわる自由が与えられているのだ。 (p.13) "神が自ら勧善懲悪の裁きを下す世界では、人間は霊的に成熟することができない。神が全能の世界では、人間は、仮に目の前で悪事や非道が行われていても、異邦人や婦や孤児が目の前で困窮していても、それを看過する。神の所轄する事業に人間が賢しらな介入をする必要はないからである。だから、神が人間に代わって善を行い、悪を罰する世界では、人間は善悪について考えることも行動することもしなくなる。これが一神教の抱える根源的なアポリアである。ユダヤ人たちはこのアポリアを、神による天上的な介入抜きでこの世界に正義と慈愛をあらしめる責任をおのれの双肩に感じる者が霊的な意味での成人であると定義することによって解消した。" (『レヴィナスの時間論』内田樹 p.295) 必然性と「誰かのせい」は似ている。 それは、善と慈愛と道徳性、それらを 自他を問わず放棄するということ。 それらをひっくるめて「可能性」と証明することが、ライプニッツの使命であったとも言えそうだ。 微分は小さな変化と差異への感受性、 積分はその過不足のない積み上げと粘菌のような経験的知性の伴う行為。
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