綾鷹 "スロウハイツの神様(上)" 2026年3月30日

綾鷹
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@ayataka
2026年3月30日
スロウハイツの神様(上)
今後の展開が気になる! ・「あと、「ハイツ』は、私が『ハイツ・オブ・オズ』のケーキが大好きだからって理由ね。ここが高台でも丘陵でもないことは理解してるし、文脈的に正しくないこともわかってるけど勘弁して」「へえ、『ハイツ』って、高台とか丘とか、そういう意味なの?何語?」 「英語。なんだ、じゃあ言い訳して損した」「別に意味を知ってたところで、突っ込んだり揚げ足取ったりしないよ」 環と話していると、たまにこういうことがある。 小さなミス一つにも気を抜かないようにと、まるで片意地を張るような。誰かから馬鹿にされることを回避するため、徹底的に先回りしてしまうその姿勢は、嫌いじゃないけどたまに痛々しい。誰も君を攻撃したりしないのに、と。 ・多分、狩野は今日私が話したことなんて、全部忘れるよ。唯一覚えてるのは、今の「狩野の漫画は優しすぎる』っていう、自分に都合のいいその一言だけになる。その言葉なら余裕があって傷付かないし、何より耳触りがいい。優しすぎるっていう個性は、狩野が目指す理想の『狩野壮太像』にぴったりだもん。きっと今度は『僕は優しすぎるから』って、そこに陶酔しながら痛みに酔うんだ。 勘違いしないで。私が今言った『優しすぎる』は、『作者に優しすぎる』っていう意味だから ・余裕があるからこそのイベント性。 この言葉は、実は『スロウハイツ』で生活するようになってから、環に指摘されたものだった。彼女は極端なほど、誰か他人の価値に自分が依存すること、とりわけ、自己のヒロイズムがそこに絡むことを嫌う。 「読者も、楽しんだんだと思うの」ある夜、公輝のいない場所で皆であの事件の話になった時、環が言った。 「『自分が読んだことのある作家だ』。その事実って、自分と世界を繋げるには丁度いい。コウちゃんが背負わされたものを自分も共有することで、読者はチョダ・コーキを通して、そのイベントや世界をとても身近に感じることができる。そして実際には、自分たちは何も『責任』とやらは取る必要がない。気持ちに快を与える、とても手軽な自己陶酔のイベントだよ」 ・「それでもやっぱり、働かなきゃね。仕事っていうのは忍耐だから」 「・・・・・私だから上手くやれないっていうことかな」 「違うよ。スーはきちんとやってる。ただ一つ言えるとするなら、同じ目に遭ってもそこまで不満を抱えないでドライに割り切れる人もたくさんいるってことかな」 俯いてしまったスーに、環が続ける。 「人間は弱い生き物です。優越感に選りたい、誰かのせいにしたい。人間同士が一番盛り上がる話題って、誰か共通の敵の悪口だっていうし。そういう彼らの欲を満たすところまで含めてバイトの仕事なのかもしれないね。どうしようもなく嫌気が差すけど」 「環は、そういうのないの?」バンドマンと衝突して、絵の内容を繰り返し変えることへのストレス。環の今の職業はその繰り返しではないのか。それに比べれば、きっとスーの悩みなんてかわいいものだろう。だからこそ、怒られても仕方ないと覚悟していたのだが、彼女が思いのほか好意的なことに、スーは驚いていた。 環は苦笑しながら「そりゃ、しょっちゅう」と答える。 「だけど、仕方ないよ。自分で決めたんだもん。そうそう、私、これで楽になったんだ」軽やかな口ぶりで教えてくれる。 「人から「大変ですね」って言われるたびにさ、本当は楽しいことでも謙遜して見せなきゃいけない時ってよくあって」 「うん。何となく、わかる」 「『そーなんですよ。すごく大変で』って、向こうに合わせて答えてた。そしたらある時、その場に黒木さんが同席してて。あの人が私に言ったの。『でもそれ、自分で決めたんだろう?」って」 「へぇ」 確かに、彼が言いそうなことだ。 「黒木さん、呆れたように言うわけ。それで、気付いた。あー、私、何を本心でもないこと並べて、この人に軽蔑されちゃってるんだろうって。それから少し、楽になったよ。選んだのは私だし、決めたのも私。変な謙遜はもうやめる」 ・性善説を取るのか、性悪説を取るのか。一度その話になったことがあって、その時環は迷うことなく性悪説の立場に立ち、スーはその逆だった。けれど、実際の人間をどちらがより好きなのかというとそれは断然、環だ。どうしようもない、腹が立つ、あいつらは弱い。様々な罵声を垂れ流しながら、それでも人に率先して関わっていく。世細な悪意にぶつかるたび、容易く身を凍らせて動けなくなる自分とは大違いだ。
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