ユースケ "イン・ザ・メガチャーチ" 2026年3月30日

ユースケ
ユースケ
@yusuke_1130
2026年3月30日
イン・ザ・メガチャーチ
読み終わったあと、私は何も発見していなかった。 たくさん持ち帰った。でもそれは全部、朝井リョウがすでに解釈して手渡してくれたものだった。 『インザメガチャーチ』は、帯からして正直だ。「神がいないこの国で人を操るには”物語”を使うのが一番いいんですよ」——この台詞は登場人物の言葉であると同時に、この小説そのものの自白でもある。物語が人を操ると知っている作者が、物語を使って読者に届けようとしている。批評者と操作者が、ここで一致する。 読んでいるとき、私はずっと「運ばれている」感覚があった。ページをめくるたびに解釈の自由が回収されていく。登場人物たちは葛藤しているように見えて、実際には命題を運搬している。結論への最短距離を、人物の形をして歩いている。そう気づいた瞬間、私の中で小説が終わった。物語は続いているのに。 これは朝井リョウへの悪口ではない。構造の話だ。「社会を批評する誠実な作家」という役割を完璧に果たそうとするとき、小説の形式は骨格だけ残して中身が別のものに替わっていく。批評的であることが目的化した文学が必然的に到達する場所に、この小説はある。 同時代の村田沙耶香と並べると差が際立つ。『コンビニ人間』の恵子は命題を語らない。ただそこにいる。だから読者は自分で何かを発見しなければならない。それはそれで別の暴力だが、少なくとも読者に思考の余地がある。 朝井リョウの親切さは、時に窒息感になる。 批評する小説は、小説たりうるか。この問いに答えは出なかった。ただ読後、その場所にはもう小説は存在しないのかもしれない、とぼんやり思った。次作が何を手放すかを、半分だけ期待しながら待っている。 ----- note全文(約10,000字)→ https://note.com/clever_beetle339/n/n924c7fffa572
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