
DN/HP
@DN_HP
2026年4月3日
さすらう者たち
イーユン・リー,
篠森ゆりこ
かつて読んだ
archive
別のSNSのフィードでこの本のタイトルをみて、ああ、その小説は素晴らしいですよね、と共感を覚えながらはじめて読んだ3年前の年末のことを思い出している。
SNSかなにかで読んだことのある本のタイトルを見かけると、その本を読んだ過去を思い出す。少し哀しくなる。最近そんなことがよくある気がする。生活に人生に意識してしまうくらいの変化があったからだろうか。
そんなことも考えながら当時書いた文章を読みなおしてみれば、再度の納得にもう一度考えてみたいこと、さらには新たな気付きも浮かんできたりして、まあ、悪いことではない気はしているけれど。
——2023.12.25
これまでに彼女の小説は2冊読んだことがあるけれど、それはそれぞれ冬のはじまりあたりに手渡して頂いたものだったから、はじめて買って読んだイーユン・リーの小説。
内容も書き方、翻訳もこれまでと同じく素晴らしかったし、この小説を読みながら、今年読んだ本や社会の状況、そこで考えていた、思ったことが繋がっていくような、とても重要な体験が出来た気がした。この小説もその体験も大切にしたいと思った。
「歴史」や「記録」として書き残される「大きな物語」の内側——この本の裏表紙にあるように、それらが一見見えづらいという意味では「闇」と言ってもいいかもしれない——にたしかにあるはずの市井の人々の「小さな物語」。それを書くのが小説。というようなことを書いていた方がいて、その文章を読んでからそのことを特に意識するようになった。
ラベルを貼られカテゴリに押し込まれる前の、それぞれに名前があり、たしかな日常がある、それぞれのLIFE。歴史のなかにもたしかにあったはずのLIFE。そこにある感情や思い、思想と行動、個別の様々なものが重なり合い繋がり、あるいはすれ違うことで世界はかたち創られていく。普段ははっきりと見ることが出来ないその世界のことも客観的ではなくそれぞれの視点から書かれ読むことが出来るのが小説なのだ、という気がしている。
「大きな物語」のなかではノイズや不要なものとして取り除かれてしまう小さな物語。そのままでは消え去ってしまうそれらを丁寧に掬い取上げ書き残していく小説。それが「あったはず」と想像されたフィクションだとしても、そこにある「血肉の通った生」と思える姿、LIFEを読むことは「読み手をなにかの行為へ向けて触発する」ものでもあると思う。
「Keep Telling Stories, Keep Making Noise」これはトランプの最初の大統領就任直後のポール・オースターのインタビューに添えられた言葉で、ずっと気になっていた一文なのだけど、そこにある、あるいは書かれた以上の意味も読み取り改めて考え、納得出来た気がした。そのノイズ、コントロールされる前の「血肉の通った」LIFEの物語を大切にしたい。物語ること、ノイズを発すること、触発され行為に移るすことに臆せずにいたい。そう思えていた。物語、小説は書かれることと同じように、読まれることにも意味がある、意味が生まれる。だから、Keep Reading Stories, Keep Making Noise。そんな風にも考えてみる。この言葉もまた大切に心に留めておきたい。
今年中にまだ読める本があるかもしれないし、年を越すことでなにかがリセットされるわけでもないけれど、それでも慌ただしくなってきたこのタイミングで、今年読んできた本や考えてきたことを繋げ纏めてくれるような一冊を読めたことはとても良かった。






