Ayako "詩のこころを読む" 2026年4月3日

Ayako
Ayako
@aya_rb
2026年4月3日
詩のこころを読む
子どもの頃、新年度に国語の教科書をもらうと、真っ先に詩と小説を読んでいた。そのくらい、詩は好きなジャンルだったはずなのに、大人になったらとんと触れる機会がない。お隣の韓国は、詩に親しむ国だという。短歌や俳句が日本だとそれに取って代わっているのだろうか。でも、詩ももっと読まれたらいい。 生きることも老いることも死ぬことも、頭で考えてしまう困難な時代だからこそ。 素晴らしい本だった。 岩波ジュニア新書を読んで、落涙するとは思わなかった(ほおーっと感心することはあっても)。詩が素晴らしいのはもちろんだけれど、茨木のり子がその詩の心を読み紡ぐ言葉が素晴らしくて、ことばというもの、詩というものの奥深さに引き込まれてしまった。豊かに実った大木を見上げて、その威容にただただ魅入られてしまう感じ。 p82「詩は感情の領分に属していて、感情の奥底から発したものでなければ他人の心に達することはできません」 自分の好きな詩は感情と理知の両方を同時に満足させてくれるものだ、と茨木のり子は書いている。それは、よく生きるために必要なものとも重なる気がする。 面白いな、と思ったのは、時折「男なら」「女なら」的な言葉が出てきて、やはり茨木のり子をしても、時代の中のジェンダーバイアスは、空気のように自然に取り込まれているものでもあったのだな、と思う。 その一方で、石垣りんの『その夜』について。 p189「女ひとり働いて四十に近い声をきけば、その疲労指数は男性のそれよりずっと大きいのではないでしょうか。体力の差というより、社会的気圧のせいで。女が独身で働きとおすという何でもない当りまえのことに対して、のしかかってくるさまざまな圧力やいやがらせは、陰湿で、きわめて日本的です」 そして永瀬清子の『悲しめる友よ』について。 わたしはこの詩を初読した時、前半部分にえっ、と思ってしまったのだけど、最後の二行でなんだか様子が違うぞ、という自分の最初の感覚への違和感を感じて、その後の茨木のり子の文章で少し納得できた。同時に自分のジェンダー平等への表面的な理解も反省した。女性らしさ、という言葉を安易に使われることには反発するけれど、マイノリティとしての歴史を持つ女性として、と考えると、この詩や茨木のり子の解説への理解が深まる気がした。 この本の初版は1979年。時代を超えて読まれるべき本というのは、いつ読んでもまるで今書かれたかのように思えるものでもあると思うんだけど、この本もわたしにとってはそんな一冊。
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