阿久津隆 "アブサロム、アブサロム 下 ..." 2026年3月20日

阿久津隆
阿久津隆
@akttkc
2026年3月20日
アブサロム、アブサロム 下 (講談社文芸文庫 フA 3)
布団に入って、寒かったのでレギンスは履いたままにした、布団は冷たく、タオルケットがなく、なんだ、タオルケットがない、と残念に思いながらくるまり、スマホの明かりを点けてうまいこと置き、本を開いた。「わかった」とクェンティンがいっていて、「あの二人の子供だな」と考えて、姪っ子と甥っ子のことを僕は考えて、そうだとクェンティンは考えた。 p.71,72 たぶんぼくたちは二人とも、父なのかも知れない。たぶん一度起こったことで完了したものはなに一つないんだから。たぶん一度だけ起こるということはなく、たぶん小石が沈んだあとの水面にできるさざ波のように動きつづけて広がって行き、その水溜りは次ぎの水溜りと臍の緒みたいな細い水路でつながっていて、その二つ目の水溜りを、それが水温を異にしようが、見たり聞いたり記憶したりして来たものを異にしようが、無限で不変の空を異なった色調で映そうが、そんなことにはおかまいなしに、これまでも、また今も、養っているので、小石の波紋は石の落ちるのを見もしなかった二つ目の水溜りの表面を最初と同じ間隔をおいて、大昔から変わらぬリズムに合わせて広がって行くんだから そしてさらに そうだ、ぼくたちは二人とも父なのだ。それとも父とぼくの二人ともがシュリーヴなのかも知れず、父とぼくの二人でシュリーヴを作り出したか、それともシュリーヴとぼくの二人で父を作り出したか、それともトマス・サトペンがぼくたちみんなを作り出したのかも知れない。 布団はカサカサしていて、動くと音が鳴るようで、寝ている人を起こさないか心配する気持ちもありながら、姿勢に気をつけながら読み続け、珍しく30ページも進んで、サトペンとボンの関係が語られて、びっくりして、100ページになったことを記念して閉じると、明かりを消して、目を閉じた。
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