

阿久津隆
@akttkc
本の読める店fuzkue代表。Reads開発。著書に『読書の日記』シリーズ、『本の読める場所を求めて』。趣味はサッカー観戦。オーブン焼きとお粥をよく食べます。
- 2026年10月9日
- 2026年10月9日
- 2026年10月1日
コンクリートトーマス・ベルンハルト,飯島雄太郎気になる - 2026年10月1日
歯ごたえと喉ごし滝口悠生気になる - 2026年10月1日
- 2026年9月27日
熊 他三篇ウィリアム・フォークナー読んでる大熊のオールド・ベンをやっつけるところが近づいてきた雰囲気だ、アイザックが大役を任せられた、コンプソン将軍が推した、もちろんクェンティンとかの先祖だ、おじいさんとかだろうか、一行は熊を追いかけて、川を渡り、ライオンが熊を追い詰めて、噛みついた、熊は、ライオンを抱きかかえ、それから腹を爪で引っ掻いた、するとブーンが走った、ブーンの手にはナイフがあった、ブーンは熊の背中にまたがった、ナイフを持った左手を熊の喉元に近づけた。 p.90 その手は一度落ちただけだった。その一瞬、三者はまるでひとつの鋳物の像に似ていた―喰らいついた犬、熊、その背にまたがってナイフの刃をさぐるように動かしている男。と見る間に三者は下に落ちたが、それはブーンが背にいる重みのためにブーンを下にして仰向けに倒れこんだ。また背中が現われ、するとすぐにブーンがまたそれにまたがった。ブーンはナイフを手離さずにいて、少年の眼にはナイフを突き刺してさぐる彼の腕や肩の細かな動きが見てとれた。再び熊は大きく立ち上がった―人間と犬とをぶらさげたまま、身を廻し、二歩三歩、森のほうへと人の歩くように踏みだし、そして倒れ落ちた。それは崩れたのでもなければ、潰れたのでもなかった。木の倒れるのと同じように、体全体が倒れこんだのであり、人と犬と熊は、一体になって、一度だけバウンドしたかに見えた。 まさかのブーンで、ライオンに顔向けできないと恥ずかしがっていたことを思い出したら今の姿に感動して、すごい、すごい、と思いながらブーンの活躍を見て、そのあとも自分の治療ではなくライオンの治療を何よりも求めた。サムが事切れた。それにしても、「熊」、もう終わりなのだろう、と思ってからが長く、あ、まだ続く、まだ続く、とびっくりしながら読んで、え、まだ終わらないの、というところで閉じ、寝た。 と思ったら1時間くらいですぐに目が覚めてしまい、眠気が消えてしまった、さっきはいい入眠をできていたが、挫かれた感覚だ、それで「熊」を開いて続きを読んで、何年かが過ぎて、森は少し開発の手が入ってきて、寂しさがそこにはあって、その森の中にまだ少年であるアイザックが入っていって、でもまだ、これから森は少しずつ小さくなっていくが、70年は通い続けるわけだった。「熊」が終わると次に行くと「むかしの人々」で、写真があって、キオスク的な小屋とおまけみたいに生えている木、そしてだだっぴろい道で、道には馬と人が少しいて、小屋以外に見通す限り建物はなくて、その町角というのか、そういう昔の写真を見ていたら、そりゃ馬に乗って移動するだろう、という気持ちになった。広さもそうだが土っぽさもだろうか。歩いたら、歩くごとに細かい砂が舞いそうだ。馬は、自転車とかよりずっと高い。高さがほしくなる道ということだ。だから馬がお似合いだ。 - 2026年9月26日
熊 他三篇ウィリアム・フォークナー読んでる毎年今年こそ熊をとみんな思うが、惜しいところまで行ってもなかなかだ、ブーンは銃が下手だ、獲物を仕留めた試しがないと言われる、ブーンはある年ライオンとともに熊の近くまで到達した、「やつを撃ち損なったあ」と言った、「五度も撃ったのに、はずしちまった。」と言った、「おらあ、はずした」と言った。そして「五度も撃って、みんなはずした。ライオンがおれを見てる前でなあ。」と言ったから僕はハッとして、ド・スペイン少佐が「今日は素敵な狩だった」と慰めるがブーンは元気にならず、ライオンはサムの小屋に預けてきた、「おらあ、あいつと寝る資格がねえものなあ」と言ったから、またハッとして、動物に対して向けられる恥の意識というものの存在を初めて知った。 - 2026年9月25日
- 2026年9月24日
- 2026年9月23日
熊 他三篇ウィリアム・フォークナー再読中読み始めた今日は先日店から持って帰ってきた『熊 他三篇』にして、『征服されざる者たち』の前に読みたくなった模様。それで「熊」を読み始めて、のちに「アイクおじさん」になるアイザックの少年期の話だ、かつて読んだとき、この作品がすごく好きだった印象があったが、読み始めてみるとやはり面白く、狩りの話で自然がたくさんでおおらかで悠々としていてこの上なくリーダブルで、ともに森の中を散歩しているみたいな心地だ、だいぶ後期の作品なんだろうか、もう難しいことはいいや、みたいになったのだろうか、と思いながら読んで、毎年11月の狩猟キャンプの時期にオールド・ベンと呼ばれる大熊を追いかける男たちの話だが、完全な敵対というふうではない距離感が描かれていて、犬や家畜が殺されることがあることも含め、それぞれの了解があるような、そういう関係で、少年は森を少しずつ知っていって、その後70年のあいだ通い続ける森と親しくなっていって、しかし熊との邂逅はなかなか果たされなかった。あるとき指導役のサムから「おまえ、どちらかにせねばならんのさ」と言われた。次の夜明け前、磁石と棒だけを持って森の中に入っていった。寝ていた仔鹿を驚かせて、仔鹿はすごいスピードで駆けていった。 p.34,35 こんなことも彼が、サムに教えられた通り、風下から来たからのことだ。しかしそれもいまはどうでもいいことだ、なぜなら彼は銃を置いてきた身だからだ―それも彼自身の意志からしたことだ―自分を放棄してのことだ。それは熊と出会うための唯一の条件であり、それを彼は受けいれたのだ。それは大熊の変幻自在な動きばかりか太古からの狩人と狩られる者とのあいだのかけ引きのすべてを忘れることであり、彼はその条件を受けいれたのだ。 しかしそれにしたって、熊と邂逅しちゃっていいものなのか、と心配しながらも、森の空気は冷たく張りつめていて、さまざまな音で満ちることによって生じる静けさがそこにはあって、気持ちがよく、そのあと熊が立っていて、想像したとおりの大きさだった。 - 2026年9月22日
征服されざる者たちウィリアム・フォークナー,小野正嗣買った@ くまざわ書店 東京オペラシティ店 - 2026年9月22日
凍トーマス・ベルンハルト,池田信雄読んでる発電所の建設工事をしている技師と画家が食堂で話していて、画家は発電所の有用性は否定できないが作られたら作られるほど美しい土地は減っていってしまう、と話してから、ところで、と言葉を継いで、「この谷はそうでなくても醜いので、これ以上醜くされることはありえないし、もともと醜くされてきているから、醜さが少々増えようが減ろうが目立ちはしないが」と挟んで、ネガティブな言葉を交えなければセンテンスのひとつを閉じることもできない人でウケた。この会話における画家の結論は「発電所がもっとたくさんできれば、もっと仕合わせな国になれるのだ」だった。どうしてそこにたどり着いた。 - 2026年9月22日
食人の形而上学エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ,Eduardo Viveiros de Castro,山崎吾郎,檜垣立哉ふと思い出した@ 本の読める店fuzkue 下北沢遊ちゃんは向かいの本屋さんに行って、戻ってくると『日常的抵抗への招待』という本を持っていて、洛北出版の本ということで、洛北出版の本は洛北出版の本らしいかっこよさがある気がすると思い、あれとかも、と思って、本棚のところを見て、取るとやはり洛北出版で『食人の形而上学』だった。この本は下北沢の2階のマットレスのところで寝そべりながら読んでいた記憶でこれも2020年の春だ、あれはどういう日だったのか、夜にブックストアエイドがらみの配信がある日で、その前に腹ごしらえでANDONでおでんとおにぎりを買った、食べて、開始を待つあいだ、上で、寝そべりながら、読んでいた、その記憶が不意にやってきて、うっすら緊張感のある待ち時間だったが、クラウドファンディングの最終盤とかでトークライブみたいなやつで、本にまつわるいろいろな業種の方をお招きして内沼さんが進行してというもので僕と花田さんと武田さんと大高さんという他の面々は裏方というか、なんか見守る人たちくらいの感じだった気がするから、特に緊張しなくてもいい立場だった。終わったあと、オンラインで打ち上げをして、このときはまだオンラインでしかみんなで顔を合わせたことはなく、ずいぶんしてからボーナストラックでちょっとしたトークイベントをやったときに大高さんとははじめましてのあいさつをしたくらいだった。そういう年だった。久しぶりに思い出した。 - 2026年9月21日
凍トーマス・ベルンハルト,池田信雄読んでるp.98 いちばん腹が立つのは、たえずドアが音を立てて閉められることだ。あのひどいドアの閉まる音。たえず頭をどやされているかのようだ。家中のドアがたえずバタンバタン閉まるほど悲惨なことはない。みな何も考えずにバタンとドアを閉める。それは劣等な人間の特性だ。常習的なバタンバタンというドアの閉まる音で息の根を止められることだってありうる。だれかがバタンとドアを閉めただけでも、私の一日は台無しになる。それがここでは家中のドアがしょっちゅうバタンバタン閉じられているのだ。自分がたえずバタンバタン、ドアが閉じられる家に住むことを強制されたと考えてみてくれ! と画家が話していた。気持ちはわかる、僕もバタンバタン閉まるドアの音は苦手だ。 - 2026年9月20日
凍トーマス・ベルンハルト,池田信雄読んでる布団に入ってベルンハルトを開くと「葬式」「恐ろしい」「いらだたせ」「不気味」とたちまち辛気臭い言葉が並んでいて「そうだその調子だ」といううれしい気持ちになるのだが、不意に p.78,79 長い夜々彼は、まだ光が点り、話が交わされ、読書がなされている祖父母の部屋のドアにすき間が空いているのをこよなく愛した。祖父母がふたりで寝ているのを見て楽しんだ。「羊がいっしょに寝ているみたいだ」と感じた。ふたりの呼吸がふたりをひとつに結び合わせていた。 とあってびっくりするというか、『石灰工場』でも感じたけれど、ベルンハルトには優しいふたりの関係みたいなものをちゃんと信じているようなところがある気がして、そういう面が見えると、どういう気持ちで読んだらいいのかわからなくなってぎょっとする。逆に辛くなるというか、罵詈の言葉だけのほうがずっと明るく感じる。 - 2026年9月19日
- 2026年9月18日
- 2026年9月17日
凍トーマス・ベルンハルト,池田信雄読んでる宿の女将が皮剥人と話していて夫は刑務所で、逮捕のきっかけは女将による告発で、だから夫が戻ってくるのを恐れていて、という話が出て、このエピソードは覚えている気がして、でも『凍』で読んだよりももっと最近に読んでいる気がして、ではベルンハルトのどれだったかと考えても思い当たるものはなかった。 - 2026年9月16日
凍トーマス・ベルンハルト,池田信雄読んでるp.25 彼の食べ方は、動物のようでも労務者のようでもない、とはつまり本能に発した食べ方ではないのだ。ひとかじりひとかじりが、自分に向けられた嘲笑だとでもいうかのようだ。彼は目の前のミートローフは「死体の一部だ」と言った。その言葉を発しながら、ぼくをみつめた。ぼくは、彼の期待に反して、その言葉に嫌悪感を催さなかった。ぼくはたえず死体の肉を相手に仕事をしているので、何に対しても嫌悪感を催さなくなっている。そのことを画家は知るよしもない。「人間が口にするものはすべて死体の一部だ」と彼は言った。彼ががっかりしているのが分かった。子供じみた失望から彼の顔には苦しげで落ち着きのない表情が浮かんだ。 失望が子供じみ過ぎている。 - 2026年9月15日
凍トーマス・ベルンハルト,池田信雄読んでる続きを読むと「ここは耐え難いほどの静けさだ。女将はぼくの頼みに応えてカーテンを全部はずしてくれた(いつものことだが、部屋にカーテンが掛かっているのが我慢できない)。女将を見ると吐き気がする。子供の頃屠畜場の開け放たれた扉の前で戻したときと同じ吐き気だ」とあってたちまち文句ばかりなのでウケた。
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