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阿久津隆
阿久津隆
阿久津隆
@akttkc
本の読める店fuzkue代表。Reads開発。著書に『読書の日記』シリーズ、『本の読める場所を求めて』。趣味はサッカー観戦。オーブン焼きとお粥をよく食べます。
  • 2026年6月1日
    エミリーに薔薇を
    エミリーに薔薇を
    フォークナー祭、短編まではいいかな〜と思っていたが短編も読みたくなってきたので買った。『土にまみれた旗』 → 『八月の光』 → これ、という予定。
  • 2026年5月25日
  • 2026年5月24日
    サッカーと地政学 - ゴールの先に世界が見える -
    最初は日本代表の話で、ブラジルワールドカップのときにキャンプ地選びを失敗したらしく、前監督のジーコは「沖縄で試合があるのに、軽井沢でキャンプを張るようなものだ!」と憤慨したとのこと。ジーコの日本理解の深さというか、比喩の適切さがおもしろかった。
  • 2026年5月22日
    土にまみれた旗
    ベイヤードのおでことかにコブみたいなものができたとかで、心配したミス・ジェニーが病院に連れていったところで、若い医師の進言にもかかわらずオールド・ベイヤードは頑なに治療を拒んで、途中で『死の床に横たわりて』でも登場したピーボディ医師がやってきた。「痛みはあるんかい?」と尋ねた。 p.133 「ありませんよ。痛むだなんて言ったこともない。それにわしは地獄に落ちようと絶対に―」 「おまえさんはたぶん、どのみち地獄に落ちるだろうよ」ドクター・ピーボディは言った。「死んじまった方がいいくらいなんだろう、どうせ。おまえさんほど生きているのを楽しめない人間は、他に知らんよ」 「今度ばかりは本当のことを言ったね」と、ミス・ジェニーが同意した。「わたしは生まれてこのかた、これほどじじむさい人を知りませんよ」 みんな言いたい放題だった。いまいち、オールド・ベイヤードとミス・ジェニーの年齢の感じがわからないまま読んでいる。
  • 2026年5月21日
    土にまみれた旗
    オールド・ベイヤードは屋根裏部屋みたいなところに入って、大きな箱を開けて、大きな聖書を手に取った。 紙は経年のために褐色でやわらかな美しさをたたえ、その手触りはわずかに湿った木灰のようで、まるでそれぞれのページが、古風で消えかかった印刷によって、手つかずのまま保たれているかのようだった。彼は気をつけて後ろへとページをめくり、見返しの遊びの部分を開いた。最後の白紙のページの下の方から、人名と日付の列がひどくそっけなく、薄れながら上へとのび、時がのしかかるにつれて次第に薄くなっている。ページの最上部の文字はまだ読めたし、それは前のページの最下部も同様だった。だがそのページの中ほどまでのぼったところで文字の列は絶え、そこからは白紙となっていて、時がうっすらと残した薄いまだらのしみと、意味ありげではあるが意味を持たない、たまたまペンを走らせた褐色の跡があるばかりであった。 ベイヤードは長いあいだ座ったまま、自分の神格化された名が仮借なく消えていくのを見つめていた。サートリス家の者たちは〈時〉をあざ笑ったが、しかし〈時〉は報復を望んだりはしなかった。〈時〉の方がサートリス家の者たちより長生きだからだ。たぶん、彼らのことを気にもとめなかっただろう。だがそれでも、それは悪くない身ぶりだった。 \<q class="quoteinfo-wrapper"\>\<span\>ウィリアム・フォークナー『土にまみれた旗』(諏訪部浩一訳、河出書房新社)p.124\</span\>\</q\> それからベイヤードは過去に思いをめぐらして、父の声が聞こえ、戦場が浮かび、髑髏に見返され、それから天国のことを考えると、万年筆を取り出して人名と日付の列のところに「ジョン・サートリス。一九一八年七月五日」と「キャロライン・ホワイト・サートリスと息子。一九一八年一〇月二七日」と書き込んだ。
  • 2026年5月21日
    サッカーと地政学 - ゴールの先に世界が見える -
    『土にまみれた旗』が重くて持ち歩きづらいので、サッカーの何かをと思って本屋さん行き、林さんのやつと迷いつつ木崎さんの本読んだことなかったのでこっちにした。
  • 2026年5月19日
    土にまみれた旗
    p.112 その夜、夕食のとき、オールド・ベイヤードはローストマトンごしに孫を見やった。「ウィル・フォールズから聞いたんだが、おまえは今日、救貧院の坂道で、あの男を時速四〇マイルで追いこしたそうじゃないか」 「四〇だなんて、馬鹿馬鹿しい」とミス・ジェニーが即答した。「五四マイルでしたよ。わたしは見ていたんだからね、あの―何といったかね、ベイヤード?―スピードメーターを」 ヤング・ベイヤードは帰ってくると車狂いというかスピード狂いになって日々車をぶっ飛ばして街の人を驚かせていたが、ミス・ジェニーは一度助手席に乗ってみるとそのスピードをいたく気に入ったらしく、それからはよく一緒にドライブに出かけるようになった。なので孫を擁護するというか甥をからかう、滑稽な場面。 彼女はヤング・ベイヤードからすると大叔母ということだろうか。もうひとつ上になるのかな。きっとあるであろう家系図を見れば一発でわかることだが、なんでなのか僕は見ようとしない。ともあれおじいちゃんの叔母というのは、なんという言い方になるのだろう。大大叔母。変換されたから、これだろうか。おーおーおば。
  • 2026年5月18日
    土にまみれた旗
    ナーシサが陰気に話していて、かつてジョン・サートリスが気球で飛んで、パラシュートで着陸する、無鉄砲な遊びをする場面を思い出していた。ジョンの服はずたずたに裂け、顔には引っかき傷ができていたが、それは「とり逃がすことが損失ではなく純化となるほどに素晴らしい願望を、一瞬だけでも叶えることができた人間が持つ表情」ということだった。とり逃がすことが損失ではなく純化となるほどに素晴らしい願望。どういうことだろう、と思って二度、三度と読んだが、純化というのが何を指しているのかわからないらしく、わからなかった。ジョン・サートリスはオールド・ベイヤードの父の名であり孫の名でもありそうで、このジョンは孫のほうで、その兄弟はベイヤードだ、ジョンは戦死した、ベイヤードは帰ってきた。少しずつ家系図ができていく感じがあった。合っているかはわからない。
  • 2026年5月17日
    土にまみれた旗
    今度はキャスピーという青年が戦争について語っていて、この人は誰だろうと思いながら僕は話を聞き、家族たちは、「それで、どうしたんだ?」と食い入るように話を聞いた。 p.86,87 キャスピーはコーヒーを飲み干した。「おれはもう、白人の言うことなんてきかねえぞ、中尉だろうが、大尉だろうが、それとも憲兵だろうがよ。戦争は白人連中に、黒人なしじゃやってけねえことを見せてやったんだ。踏んづけて土まみれにしときながら、困ったことがおっぱじまると、「お願いしますよ、黒人のだんな。さあ、ラッパが鳴ってる方へお願いしますよ、黒人のだんな。おめえさまが国の救い主ですよ」ときたもんだ。けど、これから黒人は、戦争の恩恵とやらを受けることになるんだ。それも、すぐにだぜ」 「そうか」とサイモンはつぶやいた。 ここでいう戦争は第一次大戦で、これまでフォークナーはずっと南北戦争だったから、ずいぶん未来になってきたものだと思うし、なぜか、もっと古い話を聞かせてほしい、という気持ちにもなった。
  • 2026年5月16日
    土にまみれた旗
    今日のフォークナーはあまり面白く感じなくて、日によるものだった。
  • 2026年5月15日
    土にまみれた旗
    p.56 月が東方の黒々とした丘陵の壁の彼方に出ており、谷間を穏やかに照らしていた。馬車道に沿って生えている樫やニセアカシアの木の向こうで、子供の風船のようにのぼっている。ベイヤードは月光の下、ベランダの手すりに足をのせて座っていた。葉巻がときおり赤く光った。すぐ近くの草むらからはコオロギの甲高い単調な鳴き声が聞こえ、遠く離れた木々のあいだからは若い蛙たちが妖精の笛のような音を、無数に湧きあがる銀色の泡のように出している。 ここを読んだ瞬間、たぶん「コオロギの甲高い単調な鳴き声」あたりの瞬間に、ぶわっと、大田原の、母方の実家の感じがやってきて、「うわっ」とびっくりした。小さなころは泊まりにいったときに寝るのは一階の奥の畳の部屋だったり、おばあちゃんの部屋だったりだったが、高校生とか大学生になって一人で行って泊まるときは二階のいとこがかつて使っていた部屋になったりして、その部屋は腰の高さのところに窓があって向こうが奥行きの狭いベランダが、そんなにそこに出た記憶はないけれど、あって、そこに出たら夜であれば空は月と星しか光はたぶんなくて、夜に出たことはないけれど玄関を出て庭があり、舗装が途切れるところからは畑になり、少し進めば竹林が壁になって高くまでそびえて、ぽっかりと空いた林の入り口から下り坂になって、下って林を抜けたら田んぼが広がっている。どこまでがうちの敷地なのかはわからないが、考えてみたら田んぼ側からは誰でも入ってくることはできるわけで、馴染みのない真っ黒の、静かな、あるいは虫と蛙の音で騒がしい夜のなかで、境界のない家というのはどこかで意識はされていただろう、だから不安だったということでもないけれど、特別な夜ではあったはずで、その感じが急にやってきてうろたえた。そのあと戦争から帰ってきた孫がハイテンションで不機嫌に話し続けて、「暴力とスピードと死の物語」が口から溢れ、何度注意されても声は高まって、抑えられない様子だった。「ジョニーのことを話しておくれ」とミス・ジェニーが話して、ジョニーというのはヤング・ベイヤードの兄弟とかっぽかった。戦死したっぽかった。
  • 2026年5月14日
    土にまみれた旗
    ベイヤードの屋敷のところで犬が登場した。二匹だ。ベイヤードが馬車から降りるのを待って、それからベイヤードが馬に乗るのをおとなしく待った。 p.50 そうして彼らは、その生涯の暮れなずむ黄昏が、二つの生命を生み出した優しい大地の上で平和な終わりへと向かって近づいていくあいだ、季節ごとに変化する牧草地や野原や森林を静かに急がず歩いて、午後をともにすごすのだった―人間は馬に乗り、まだらのセッターはその隣に重々しくつき従いながら。若い犬の方は二歳にもなっておらず、彼らの落ち着いた社会に長く調子をあわせるには、本質的にあまりにもせっかちだった。ときには彼らと一緒に出発したり、どこかからやってきて野原の真ん中で彼らと一緒になり、はねをとばし気負い立って、走りまわったりもしたが、それは長くは続かなかった。すぐに舌を垂らし、尾をぴんと張って鋭く振り動かし、彼を猛り狂わせる捉えがたい匂いを追って走り去らずにはいられなくなる。世界はそうした匂いで彼をとり囲んでおり、ありとあらゆる藪や雑木林や峡谷から彼を誘惑するのだった。 ほっこり。フォークナーとは思えない穏やかな場面だ、と思ってから、そういえば僕は短編の「熊」をすごく面白く読んだような記憶があり、それがどんな話だったかは覚えていないけれど、実はフォークナーの描く動物が好きだったりもするのだろうか、と思ってから、短編まではいいかなと思っていたけれど、『熊 他三篇』も読んでもいいかもしれないし、短編がいいなら、『エミリーに薔薇を』も読みたい気持ちにもなってきたし、そう考えてみると、短編でフォークナーがどんなふうに小説を組み上げるのか、がぜん興味が湧いてくる感じがあった。
  • 2026年5月12日
    土にまみれた旗
    ジェニーが晩餐会みたいなところにいて、サイモンがたぶんその家の台所に入って、馴染みの顔らしく、何か食べるかと料理番に訊かれると「アイスクリームをちょっとと、野菜をいくらかもらうとするよ」と言って、アイスクリームについてしばらく話し、そうしていると女中が「ねばねばした液体の入ったボウル」をサイモンの前に出して、多分それがサイモンが所望したもので、サイモンは「溶けたアイスクリームの中にホウレン草を入れ」て食べていて、アイスクリームの中にホウレン草、と私は考えた。
  • 2026年5月11日
    土にまみれた旗
    まだ面白くはなく、フォークナーの始まりの時間が面白くないのはそういうものだから、そういうものだと思いながら読む。
  • 2026年5月10日
    土にまみれた旗
    夜、もう一度最初のパラグラフから始め、死者が部屋の中で強い存在感を放っていた。縮約版のタイトルは『サートリス』だからこの死者であるジョン・サートリスの物語ということになるのだろうか。今が現代で、ここから過去に過去に時間が雪崩れこんでいくのだろうか。そのとき息子のオールド・ベイヤードたち現代の人物たちは、どんなふうに物語る媒体、物語を反響させる空洞になっていくのだろうか。
  • 2026年5月10日
    土にまみれた旗
    昼寝のために布団に移動し、そこで『土にまみれた旗』を読み始めることにして、ずうっと文庫本を読んでいたので、どでかい単行本はどでかく、重く、だから持ち上げることはなく、開いた。 p.10 いつものように、フォールズ老人はジョン・サートリスをその部屋に連れこんだ。郡の救貧農場から三マイルの道を歩き、ある匂い―彼の色あせたオーバーオールにしみついた、汚れてはいないが埃っぽい匂い―のように、死者の霊をその息子が座っている部屋に連れてきたのだ。そこで彼ら二人、つまり生活保護者と銀行家は、死をこえて戻ってきた男と一緒に半時間ほど腰をおろしていた。 魅力的な始まり! 『アブサロム、アブサロム!』のクェンティンとミス・ローザがミス・ローザの家で対峙する始まりと似ている感じもあって、それにしてもあのクェンティンは、ただ無垢な、空っぽの空洞だと思っていたクェンティンが、そんな存在だったとは、と『響きと怒り』を経て思うというか、もうその名前が響かせるものがまったく変わった。 その段落だけ読んで昼寝を始めた。
  • 2026年5月9日
    響きと怒り
    響きと怒り
    つけたしが続いていて、ノリノリだなあフォークナー、と思う。「ジェイソン四世」の番で、始まると、「コンプソン家の人の中で最初の正気な人間であり、(子供のない独身者なので)最後の正気なコンプソンということになる」とあって、なんというか、ほら! という思いというか、ジェイソンの語りを読みながら、ジェイソンは箍が外れていない、まっとうだ、それゆえに退屈だ、と思っていたことが、作者もそう言ってくれたことで、何か正解を言い当てたようなそういう得意な気持ちになって、みっともない生徒根性というのはいつだって簡単に顔を出すものだ。
  • 2026年5月9日
    響きと怒り
    響きと怒り
    つけたしの続きをしばらく読んで、「クェンティン三世」でやっと今作の登場人物たちになった。「彼は妹の肉体を愛したのではなくて、ちょうど広大な地球全体の小型の模型が訓練されたあざらしの鼻の上にのせられるように、コンプソン家の名誉が妹の処女性の微妙でこわれやすい薄膜によってあぶなっかしく、(彼もよく知っていたのだが)ほんの一時的にささえられているという考え方を愛したのだった」とあって、なんともまあという愛し方だった。 p.569,570 彼は自分が犯したいとは思わなかった近親相姦の考えを愛したのではなくて、その罪に課せられる永遠の罰という長老教会派の考えを愛したのだった。すなわち、神ではなくて、彼自身が、近親相姦という罪によって、自分自身と妹を地獄に投げ込み、そこで彼は永遠に燃える火にかこまれながら妹をいつまでも守り、いつまでもそのままの姿で保つことができるという考えを愛したのだった。しかし彼は、なににも増して死を愛したのであり、ただ死だけを愛し、恋する男が愛する相手の待ちわび、望んでいる、好意的で、やさしく、信じられないような肉体を愛しながらも、故意にそれをさけようとするように、死を慎重にほとんど倒錯的に予想しながら、愛し生活したのであり、ついにそれをさけることではなくて自分を抑えることに耐えきれなくなり、自分の身を投げ出して、自らを棄て、溺れさせた。
  • 2026年5月9日
    考える技術・書く技術新版
    考える技術・書く技術新版
  • 2026年5月8日
    響きと怒り
    響きと怒り
    ラスターが馬車でベンジーを連れ出した。馬車は広場について、そこには南軍兵士の記念像があった。 p.557 一瞬のあいだ、ベンはまったく茫然として坐っていた。と、彼がわめき出した。わめきわめき、その声はほとんど息つくひまもないようにして高まっていった。その声には驚き以上のものが感ぜられた。恐怖であり、衝撃であり、盲目的な、口にはいえない苦悶であり、ただの響きにすぎなかった。そしてラスターの眼は、その瞬間、ぎょろっとひっくり返って白眼になった。「ああ、よわっただ」と彼はいった。「黙るだ! 黙るだ! よわったなあ!」彼はくるっと向き直って、クイニーに鞭をくれた。鞭が折れたのでそれを捨て、信じられないほどの高さに高まっていくベンジーの声をききながら、ラスターは手綱のはしをつかんで前にかがみこんだが、その時ジェイソンが広場を横切って飛んできて、馬車のステップに足をかけた。 ジェイソンがラスターをぶん殴り、馬車を奪還し、そして小説が終わり、ふーっと息をついて、解説とかが始まるのかと思って左ページに目を移すと「つけたし」とあり、「つけたし?」と思って説明を読むとマルカム・カウリーが1946年に編んだ『ポータブル・フォークナー』のためにフォークナーが寄せた補足的解説ということで、「コンプソン家 一六九九―一九四五」とあって、一六九九w 遡るなあ!www と思って、最初は「イッケモチュッベ」さんの紹介から始まった。
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