

阿久津隆
@akttkc
本の読める店fuzkue代表。Reads開発。著書に『読書の日記』シリーズ、『本の読める場所を求めて』。趣味はサッカー観戦。オーブン焼きとお粥をよく食べます。
- 2025年5月20日失われたスクラップブックエヴァン・ダーラ,木原善彦気になる@ 東京堂書店 神田神保町店少し時間を潰すために入って新刊の島のところを見ていたら幻戯書房のこのシリーズが3つ並んでいて、訳者の名前に「木原善彦」とあったので手が伸びた。正体はリチャード・パワーズなのではと噂された謎の作家とのこと。 帯に引かれた「空が海を飲み込むこの場所で、私はよろよろと時間の縫い目に向かう そこはたどり着けない場所なのだと分かるところまで、私に近寄らせてほしい このゆっくりとした落下、私の進歩は、消失と透明性 ―不透過性の透明性― に到達するための運動なのだと言ってほしい」という文章にもぐっとくる。とっても気になる。と思いつつまだ買わなかったが次見たら買っちゃいそう。
- 2025年5月18日原因トーマス・ベルンハルト,今井敦読んでるFAカップの決勝を最後まで見ていい試合だった。一点を守り切る試合って大好き。感動するので感動した。優勝したパレスの選手たちみんな嬉しそうで優勝後の時間というのはなんだっていいもので見ているほうまでニコニコしてしまう。グラスナー監督はオーストリア人ということでどこ出身なんだろうと調べるとザルツブルクということでちょうど通勤の電車の中で読んでいた『原因』で「ザルツブルクは、世界が絶えず嘘の上塗りを繰り返す卑劣な外装であって、その外装の裏で創造性(あるいは創造的人物)は、萎み、朽ち果て、壊死するしかない」と語られる町で「本当に私の故郷は死病そのものであって、住民はこの死病の中に産み落とされ、引きずり込まれる」と語られる町で「もし、彼らが決定的瞬間にこの町を去らなかったとしたら、遅かれ早かれ、この凄まじいすべての状況の中で、直接的にまた間接的に、急に自分の命を断つか、ゆっくり惨めったらしく、根本において完全に反人間的で、建築的・大司教的・痴呆的・ナチス的・カトリック的なこの死の土壌の上で、直接的にまた間接的に滅ぼされたことだろう」と語られる町で「ザルツブルクとその住民を知る者からすれば、この町は、表面こそ綺麗だが、実のところ裏では、空想と希望の恐ろしい墓場となっているのだ」と語られる町でグラスナー監督は生まれて昨日FAカップ初のオーストリア人優勝監督となった。本当にいい試合だった。
- 2025年5月15日原因トーマス・ベルンハルト,今井敦読み始めた
- 2025年5月15日
- 2025年5月13日
- 2025年5月13日原因トーマス・ベルンハルト,今井敦買った@ 東京堂書店 神田神保町店定期的なベルンハルト摂取が必要な体になってしまって久しいが、「そろそろベルンハルトを・・・」の間隔が次第に縮まってきた気がする・・・
- 2025年5月13日
- 2025年5月12日旅の時間吉田健一読書日記読んでる布団に入って吉田健一はまだニュー・ヨークにいて朝からバーに入ってブラッディ・マリーを5杯飲み、ホテルで昼寝し、夜はまた別の行きつけの店に行くという日課のニュー・ヨーク滞在でさすがに飲み過ぎでは、と心配になった。唐突にノワールの雰囲気が生じて夜道に銃声が響いて男と警官が現れて消えて朝になれば別の日だった。翌朝もいつものバーに行くとバーテンはやはり昨日現れて消えた男に見えて本木は「追跡されたのを適当に撒いて今朝は又このバーに来ていても可笑しくはなかった。その位のことは手際よくやってのけることが出来る筈の男だった」と考えた。 「もうそのうちに涼しくなるよ、」とそのバーテンが本木が注文したものをその前に置いて言った。まだ月の終りまでに何日かあって最初に来た時と少しも変らない湿度と温度の中で本木には涼しくなるというようなことが考えられなかったが相手がいい加減なことを言いそうな人間ではなかった。それから又それまでのような日々が続いた或る朝本木が起きて外に出ると日差しにどこか違った所があって秋風に公園の木の葉が吹き落されていた。 p.159 く〜、と思って吉田健一の文章はやっぱりかっこよかった。『旅の時間』はここまでとしてまたいつか。
- 2025年5月11日旅の時間吉田健一読書日記読んでる寝る前も吉田健一は続いて「東北本線」は隣り合った男と中国の話やギリシャの話やカラハリ砂漠の話をし続ける話でブッシュマンと故郷の話を読んでいたら不思議と2025年と地続きであることが感じられた。夜が明けて男が降りて終わって次は「ニュー・ヨークの町」で体調を崩して熱を出したと勘違いするほどの蒸し暑さだった。登場人物の本木は「ビールでも」と思ってバーに入った。それは「東京では子供の頃にしか見た覚えがない種類の古風なバー」だった。 昔は遠洋航海の客船のバーもそういう具合にがっしりした木材を使って出来ていてそれが暗い感じがするのが木が黒光りがしているので引き締り、更にそういう船のバーを本木に思い出させたのはこのバーも冷房したりしていなくて高い天井から吊された四枚羽の扇風機が部屋を涼しくする為でもなさそうにゆっくり廻っていることだった。このバーが本木の気に入った。そこの天井から吊されているものにこの扇風機の他に大きな懐中時計の恰好をした時計があってこれもその竜頭を中心にゆっくり廻っていて見上げていれば時間が解るのがそこの時間もその調子でたたせていた。 p.137 こういう天井の扇風機のバーはどれだったか、『本当のような話』とかだったか、誰かと浅草のバーとかでこういうのがあったような記憶があって暗い室内に高い天井とかから光が差し込んで床に光だまりができるみたいな描写があってその光がたまっている様子を思い浮かべてうっとりした時間を思い出した。本木はブラッディマリーと思しき赤いカクテルを飲んで吉田健一の登場人物っぽいことをバーテンダーに言って、バーテンダーももちろん吉田健一の登場人物の話し方で話した。
- 2025年5月11日旅の時間吉田健一読書日記読んでる久しぶりに開いた本棚から見つけて『旅の時間』をリュックに入れて吉田健一を摂取したいらしい。電車に乗ると開いて目次を見ると最初の「飛行機の中」だけ読んだ気がする。目次を見ていくと「東北本線」というのがあったのでこれにした。「これも昔の話である」と始まった。上野から青森まで急行で20時間以上かかった頃のことで「先ず昭和の初期から戦争が始るまでの間としてそのどの辺でもいいという所」ということだった。「大宮、古河というような汽車が最初に通る駅からして寂しい限りのものだった」ということだった。関東平野はもともと人が住む場所じゃなかった、という話だった。 そこに蝦夷その他の原住民がいたということはあってもその数がこの地方に人間がいるという程のものでなかったに違いないことは現にこの平野が我々に与える印象からも解ってそこに道が何本も出来てそれが来るまで埋り、それに沿って人間が住む建物が群をなして並ぶという今日のような事態がいきなり起った所でこの人間がいなかったということがどうにもなるものではない。それは空地を雑草が蔽っている様子からも明かで古くからの都が荒れ果てて朝芽が原に変ったのとは全く別種の寂しさがある。そういう人間が多少住むようになってから三百年たつかたたないかの土地に敷いた鉄道を汽車が進むのであるから、従って又その点は今も大して違いはしないことになってもその頃は余計なものがいつの間にか出来て注意を逸らせることもなかったから一層暗い感じがしたとも言える。 p.110 人が300年住んだくらいじゃ無人だったころと印象は変わらないという暴論でウケて、そのあとも「客車の作りも窓から外の景色も要するに粗末ということに尽きる時に坂本と乗り合せたその客車の客達もそのなりも顔付きも或は態度にしても同じそうした感じのものなのが周囲の影響でそのような印象を与えるのか東北本線というのがその種の雑な客を雑な場所に運ぶ為のものであるからなのか」と続いていい加減にしなさいよwww と京王新線で笑った。東北本線は今は宇都宮から白河くらいまでだろうか、下で大田原に帰るときは乗る電車だから馴染みがあるし大宮は育ちの地だし大宮から宇都宮線に乗って古河とかを経てそうやって大田原に行った身だから読むのを選んだわけだけどひどい扱いでよかった。登場人物の坂本は雑な客ではない客が隣にいることに気付いて大男で途中からふたりは話し始めた。すると「その時に窓の外にあったのが那須野でそれまでの人間が住んでいない場所の印象を一挙に押し進めたものがそこに拡った」とあって今度は那須がやり玉に! とまた笑って、「それは寂しいのを通り越して荒んでいてそこの自然に親むには人間以外の動物の感覚が必要であることを思わせた」と続いて朝からいい読書の時間となった。
- 2025年5月10日
- 2025年5月9日満ちみてる生ジョン・ファンテ,栗原俊秀読み終わった
- 2025年5月9日満ちみてる生ジョン・ファンテ,栗原俊秀読んでる@ サイゼリヤ 調布駅前店外回りの間の時間で神保町のサイゼリヤに入ったら作中の人たちがことあるごとにワイン飲んでる姿を見ていたことも相まってサイゼリヤでワイン飲みながら読書するやつを無性にやりたくなったので夜に調布のサイゼリヤに行ってそれやったらたいへん楽しかった。
- 2025年5月5日満ちみてる生ジョン・ファンテ,栗原俊秀かつて読んだ持って帰ってきた@ 本の読める店fuzkue初台『塵に訊け』を読み終え、再読したくなって持って帰ってきた。たぶん2016年の11月とかに東京堂書店で買った。たしか土曜社の『移動祝祭日』と一緒に買った。おそらく東京堂書店に行く前にスヰートポーヅで餃子の定食を食べた。夜にフヅクエの客席で読み始めた。
- 2025年5月4日言葉というもの(968;968)吉田健一ちょっと開いた
- 2025年5月4日ジャン゠リュック・ゴダール 思考するイメージ、行動するイメージニコル・ブルネーズ,堀潤之,須藤健太郎ちょっと開いた
- 2025年5月3日塵に訊けジョン・ファンテ読み終わった
- 2025年4月30日塵に訊けジョン・ファンテ読んでるバンディーニの仕事が上向いてきた。雑誌に掲載され、100ドルが届いた。「アルトゥーロ・バンディーニ、作家。短篇を書くことで、みずからのペンで稼ぐ男。いまは長篇を手がけている。とんでもない一冊だ。刊行前から話題沸騰。瞠目すべき散文。ジョイス以降、最大の事件」とバンディーニは考えた。そして書いた。 六週間にわたって、毎日のように、甘美な数時間を、馥郁たる三、四、五時間を執筆に費やした、ページはどんどん積みあがり、ほかのあらゆる欲求は休眠していた。地上を歩く亡霊になった気分だった、人も獣もひとしく愛する男だった、道行く人びとと言葉を交わし、彼らと交わりをもつあいだ、心地よい慈愛の波が押し寄せてきた。全能の神よ、親愛なる主よ、お願いします、甘い言葉を語る舌をお与えください、この悲しく孤独な人びとに私の話を聞いてもらい、幸せになってもらいたいのです。かくのごとく日々は過ぎた。夢のような、光あふれる日々、ときおり偉大で静謐な喜びがやってくると、僕は部屋の明かりを消して泣いた、するとたいてい、死にたいという奇妙な欲求にとらわれた。 p.163 「夢のような、光あふれる日々、ときおり偉大で静謐な喜びがやってくると、僕は部屋の明かりを消して泣いた、するとたいてい、死にたいという奇妙な欲求にとらわれた」!
- 2025年4月29日塵に訊けジョン・ファンテ読んでる寝る前は塵に訊く。ロングビーチで地震が起きた。「まずは悲鳴。次に塵。そしてなにかが崩れる轟音」。バンディーニは「僕のせいだ。僕がやったんだ」と思う。「お前がやったんだ、アルトゥーロ。あの部屋の、あのベッドの上で、お前がやったんだ」と思う。街灯が倒れてビルが割れる。世界の終わりがやってきたと誰かが言う。女が気絶する。 その場を離れ、歩道の縁石に腰をおろした。悔いろ、懺悔しろ、手遅れになる前に。祈禱を唱えた、だけど僕の口の中にあるのは祈りではなく塵だった。祈るのはやめた。でも、僕の生のなかでなにか変化が生じるだろう。いま、このときから、節度と厚意が生じるだろう。ここが分かれ道だ。これは僕のためだ、アルトゥーロ・バンディーニへの警告だ。 p.142 ここにびっくりした。悲惨な天災を、自分が起こしたこと、そして自分の未来のために起こったこととして扱う、エゴイスティックさを極限まで煮詰めたようなグロテスクな語りをやりきってしまうこと、それに感嘆した。
- 2025年4月28日塵に訊けジョン・ファンテ読んでる夕飯を食べ終えて少しすると寝床に入り、遊ちゃんの枕元には『らせんの日々』があった。僕は『塵に訊け』を開いてバンディーニはロングビーチの遊園地の近くのアパートに行って悲しい悲惨な時間を過ごした。「わが罪により、わが罪により、わが大いなる罪により」。きっつー、と思いながら読む。
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