アブサロム、アブサロム 下 (講談社文芸文庫 フA 3)

アブサロム、アブサロム 下 (講談社文芸文庫 フA 3)
アブサロム、アブサロム 下 (講談社文芸文庫 フA 3)
ウィリアム・フォークナー
講談社
1998年7月1日
11件の記録
  • 阿久津隆
    阿久津隆
    @akttkc
    2026年3月29日
    布団に入るとシュリーヴが「さて、これからいよいよ、恋の話に取りかかろう」と言って、しかしそれはわざわざ言う必要のない言葉で、なぜなら「二人ともそれ以外のことは考えていなかったから」で、「ここまで通って来た所はすべてここに来るまでの予備行動に過ぎず」、それに「ここには二人以外の同行者はいなかった」し「これまでの道程を越えたのは話し手一人ではなく、話し手と聞き手の楽しい共同作業」によってこそのものだった。 p.157,158 その間にどちらも、頼まれたり乞われたりする先に相手の誤りを―二人が論じていた(というより取り憑かれていた)この亡霊を創り出す際に犯したり、聞いたことをふるいにかけて、間違いを捨て、本当と思えたり前もって考えていたことと一致することを取っておく際に犯す誤りを―許したり大目に見たり忘れたりして、恋の話までようやく到達したのであり、ここまで来れば矛盾撞着はあるとしても誤りや嘘はあり得なかった。 「ここまで来れば矛盾撞着はあるとしても誤りや嘘はあり得なかった」!
  • 阿久津隆
    阿久津隆
    @akttkc
    2026年3月28日
    布団に入ると二人は互いに見つめていた。 p.136 というより、にらみ合っていた。話しているのはシュリーヴだったが、二人の故郷のあいだに介在する緯度の違いがもたらしたわずかな違いを(語調とかアクセントの違いではなくて、いいまわしと言葉遣いの違いを)別にすれば、話しているのはどちらでもよく、ある意味では二人ともが話していることになった。なぜなら、二人は一人になって考えており、たまたまその考えを話している声は、声となって聞こえるようになった思考に過ぎなかったからで、彼ら二人は自分たちのあいだに、昔話の取るに足らない切れっぱしから、たぶんどこにも決して存在しなかった、影に過ぎない人々を、しかも実際に生きて死んだ肉体を具えた人間の影ではなくて、もともと亡霊だったものの(少なくとも二人のうちの一人には、シュリーヴにはそう思えた)影を、白い息となって眼に見えるささやき声のように静かに、生み出していた。真夜中の鐘が、雪に閉ざされた閉めてある窓の向うで、美しく、ゆっくり、かすかに鳴り出した。
  • 阿久津隆
    阿久津隆
    @akttkc
    2026年3月27日
    4時近くになっていた。本を開くと「主観的価額は、プラス零の百パーセント倍プラス収穫高。十年経過、子供一人乃至それ以上。実質価値は、家及び改良された土地の公売価額プラス流動資産マイナス子供の取り分。主観的価値は、子供一人につき毎年百パーセント増プラス実質価値プラス流動資産プラス働くことで獲得した信用」と書かれていた。
  • 阿久津隆
    阿久津隆
    @akttkc
    2026年3月24日
    3時半になって、ちょっと最近、夜型というのをいいことに夜更かしし過ぎている気がすると思いながら布団に行くと『アブサロム、アブサロム!』で、長い斜体のローザの語りを抜けてからはまた面白くなってきていて、この時間が楽しみだった、シュリーヴの暴走が止まらない。 p.123 息子のヘンリーが入って来た時、サトペンはその机の奥に坐っていた。そして二人は―クェンティンとシュリーヴは―考える。父親が話をし、衝撃が収まってその言葉の意味がはっきりしないうちに、ヘンリーの眼に父親の頭の奥の窓を通して、庭をそぞろ歩きする妹とその恋人の姿が映ったのを、ヘンリーはあとで思い出したに違いないと、二人は考えるのだった。 とうとうというか、二人が考え始めた。もはやどちらかが語るのでもなく、どちらかが考えるのでもなく、二人が同時に、一緒に、考え始めた。
  • 阿久津隆
    阿久津隆
    @akttkc
    2026年3月23日
    読書灯の明かりで本を開いて、ウォッシュ・ジョーンズが大声で叫んでいて、それから静かに話して、サトペンの旦那は勇敢なんだ、と言った。 p.116,117 (そしておそらくまたもや声に出し、またもやわれを忘れて)『勇敢なんだ! だけど、あいつらはだれ一人、一八六五年に帰って来なかった方がよかっただ』それからあの人の仲間もおらの仲間も、いっそのこと世の中に生まれて来なきゃよかっただ。もう一人のウォッシュ・ジョーンズが一生を目茶苦茶にされて、乾いたとうもろこしの皮みてえに火にくべられるのを見るくらいなら、おらたちは一人残らずこの地上からふっ飛ばされていなくなる方がましなんだ と考えた。その時人々が馬で近づいて来た。彼はその連中が犬と馬を連れて道をやって来るのをじっと聞いており、もう暗かったのでカンテラの明りも見えたに違いなかった。 それからド・スペイン少佐とのやり取りになって、僕はいまいち、ウォッシュが何をやらかしたのか、つまり、全部でいくつのことをやったのか、その結果どうなっているのか、光景を想像できていないというか、えっと、つまり、そういうこと? という感じで読んでいる。ウォッシュがぶっ壊れたことだけはわかった。
  • 阿久津隆
    阿久津隆
    @akttkc
    2026年3月21日
    布団に入ってフォークナーを開き、ライトを点けたスマホをいい感じに立てて読むのはやはり読みづらくて、ページをめくるたびに、倒さないようにとか、明かりをいい感じに受けられるようにとか、微細な調整を強いられ、読んでいる目も滑りやすくなる感じがあった。なんにも頭に残らなかった。
  • 阿久津隆
    阿久津隆
    @akttkc
    2026年3月20日
    布団に入って、寒かったのでレギンスは履いたままにした、布団は冷たく、タオルケットがなく、なんだ、タオルケットがない、と残念に思いながらくるまり、スマホの明かりを点けてうまいこと置き、本を開いた。「わかった」とクェンティンがいっていて、「あの二人の子供だな」と考えて、姪っ子と甥っ子のことを僕は考えて、そうだとクェンティンは考えた。 p.71,72 たぶんぼくたちは二人とも、父なのかも知れない。たぶん一度起こったことで完了したものはなに一つないんだから。たぶん一度だけ起こるということはなく、たぶん小石が沈んだあとの水面にできるさざ波のように動きつづけて広がって行き、その水溜りは次ぎの水溜りと臍の緒みたいな細い水路でつながっていて、その二つ目の水溜りを、それが水温を異にしようが、見たり聞いたり記憶したりして来たものを異にしようが、無限で不変の空を異なった色調で映そうが、そんなことにはおかまいなしに、これまでも、また今も、養っているので、小石の波紋は石の落ちるのを見もしなかった二つ目の水溜りの表面を最初と同じ間隔をおいて、大昔から変わらぬリズムに合わせて広がって行くんだから そしてさらに そうだ、ぼくたちは二人とも父なのだ。それとも父とぼくの二人ともがシュリーヴなのかも知れず、父とぼくの二人でシュリーヴを作り出したか、それともシュリーヴとぼくの二人で父を作り出したか、それともトマス・サトペンがぼくたちみんなを作り出したのかも知れない。 布団はカサカサしていて、動くと音が鳴るようで、寝ている人を起こさないか心配する気持ちもありながら、姿勢に気をつけながら読み続け、珍しく30ページも進んで、サトペンとボンの関係が語られて、びっくりして、100ページになったことを記念して閉じると、明かりを消して、目を閉じた。
  • 阿久津隆
    阿久津隆
    @akttkc
    2026年3月19日
    サトペンが長く話しているようだ、それはおじいさんに向けて語られ、おじいさんは息子のコンプソン氏におそらく語り、コンプソン氏が今度は息子に語った話で、それを今は息子のクェンティンが、半裸で座るシュリーヴに向かって話している。サトペンは話を中断してとっ捕まえたフランス人建築家のもとに向かった。フランス人は捕まえられると、みんなに向かって長々と早口でフランス語でまくしたてて、その様子をおじいさんは、そして他のすべての者も、見事な話しぶりだ、それは弁解ではない何かだ、と感じた。サトペンが近づいてきても、フランス人の顔には「決して降伏しそうもない不屈な色」が浮かんだ、「ただ耐えようとする意志と敗北の覚悟があるだけで、打ちひしがれた様子は決してなかった」。サトペンが酒を差し出した。 p.65,66 彼は小さなよごれたあらい熊のような手で壜を受け取ると、もう一方の手を上にあげて、一瞬頭のあたりで手さぐりしたが、すぐ帽子をなくしたことを思い出し、すると、おじいさんの言葉を借りれば、なんとも説明しようのない身振りでその手を上に振りあげたが、それはまるで、人類がこれまでなめて来た不幸と敗北のすべてをその小さな指でごみのようにつまみあげて、頭のうしろに投げ捨てでもするように思えたそうだ。それから彼は壜を差しあげ、まずおじいさんに、それから馬に乗ったままぐるっと彼をかこんでその様子を見ていたほかの人たち全部にお辞儀をしてから、生のウィスキーを口にしたが、それは生まれて口にしたものであるばかりか、ちょうどバラモン僧が犬を食べるような事態が起こるとはどうしても信じられないのと同じように、そんなものを口にしようとは考えてもみなかったものだろう 僕はどうも、フォークナーの、パントマイム的な動きの場面に惹かれるみたい。
  • 阿久津隆
    阿久津隆
    @akttkc
    2026年3月17日
    しおりの挟まったところを開くが既視感があって、どこまで読んだっけ、と探す時間が6割、と思うが、そうやりながら再読をしていくことで浸透していくものがあるというか、初めて認識できることがたくさんある。日記を書きながら、引用する部分を読み返しているときとか、書き写しているときとかに、こんなことが書かれていたのか、と何度もなる。フォークナーはむしろ、フォークナーというかこの作品は、読み返したときに初めてつくられるような気すらする。初読でできるのは、うっすらとした、肌から浮かんで見える筋とか骨とかくらいで、もう一度読んでそこに血肉がつけられていくような、そんな感じがある。以下の箇所もきっと、そうなるのだろう。 p.37 あいつはおれにそれをいう機会さえ与えなかった、といい、それは考えというにはあまりにも素早く、あまりにも混乱しており、いわば一気に自分をどなりつけ、黒んぼの笑い声みたいに自分の上にどっと降りかかり、 あいつはおれにそれをいう機会さえ与えなかったし、とうちゃんはおれがあいつに話したかどうか聞きもしなかったのだから、あいつはとうちゃんがあいつのところになにかことづけを送ったことも知ることができず、だからあいつがそれを受け取ろうと受け取るまいと問題にはならず、とうちゃんにとっても問題にはならないだろう。おれはあのドアのところまで行ったんだが、あの黒んぼはおれに二度と表の戸口に来るんじゃないといっただけだから、おれはそれを伝えることであいつの役に立たなかったばかりか、それを伝えないことであいつに損害を与えることにもならず、つまりおれは、この世においてはあいつに対して役に立つことも損害を与えることもできないっていうわけだ。 やっぱり何が言われてるのかわからなかった。
  • 阿久津隆
    阿久津隆
    @akttkc
    2026年3月16日
    若き日のサトペンの、放浪する家族の話を見ていると、『死の床に横たわりて』の一家が重なって見える感じがある。
  • 阿久津隆
    阿久津隆
    @akttkc
    2026年3月15日
    下巻になるとクェンティンの下宿にまだいて、シュリーヴは上裸で椅子に座っていることが知れた。それからサトペンについてクェンティンが語り始めて、とうとうサトペンの話になるようだった。これまでも読みながら、サトペンがしきりに悪魔呼ばわりされていたが、そういえばサトペンが働いた悪行ってなんだったのか、と思っていたが、ここから、それが語られるのだろう、そしてもしかしたら、今度は物語は語り手としてクェンティンを選んだのだろうか、クェンティンをすっぽりと飲み込んで、彼の口から物語を吐き出させようとしているのだろうか。 「そうだ」とクェンティンはいった。
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