
鷲津
@Washizu_m
2026年4月4日
聞くこと、話すこと。
尹雄大
わたしの本棚
『意識的に集中して相手に対するとき、実際には相手に関心が向かっていない。確かに聞き手は「ちゃんと聞こう」と考え、そういう姿勢で臨んでいるだろう。けれども話をしている最中に概念的な理解をしようとして頭で考えてしまうことは、相手の話から常に遅れている。「この人の言うことはつまりーー」と考え、「次に何を言うことがベストなのか」とほんのわずかでも思案する。それは、そのときとその場にいながらそこにおらず、想定の中にまどろむことを自分に許している。端的に言えば、話を聞いていない。』
長く勤め人を続けたおかげで、人の話を聞くときの態度、「傾聴」や「共感」が身体に染みついている。仕事の上では大切なことだけど、たまにそういう自分の姿勢が嫌になることもあった。そんなモヤモヤ感に、この文章はハッとさせられる。でもこの本は理解が難しい
『話の方向性が絶えず「自分が望ましいと思うような理解を得られる関係性」への期待といったように、最初から決まっているとすれば、いつも「現状の自分を肯定される」という想像通りのことしか起きないわけだ。それを望んでいるのだから、願いはかなっている。』
『話している最中に「つまり、あなたの言いたいことは…」という返しが続いて、それが的確だったとして、束の間は「わかってくれて嬉しい」と思うかもしれない。けれでも、しばらくすると燻る思いが出てくるのではないか。なぜなら相手のしたことは要約であって、決してあなたの思いは最後まで聞かれてはいないからだ。(略)「その人の話をその人の話として聞く」とは、私が相手の話を聞いて善悪や正誤を決めるのではない。コントロールするものでもない。』
著者が映画「ドライブ・マイ・カー」を撮った濱口竜介さんとの出会いを語った章の一節。不思議な映画だった。穏やかに静かに流れるシーンでも、ひとりひとりのセリフが際立つ。何気ない言葉や重い言葉も押し付けがましくなく、スッと心に入ってくる。それは僕たちの日常と同じ時間が流れているから。人が話をする、人が話を聞く、そのことをいかに自然に撮っているか、この本を読んで初めてわかった気がする
尹さんのこの本では様々な人たちとの出会いによる気づきに溢れている。僕たちが当たり前と思っていたことが、必ずしも正しいわけではない、そんな逆説的なことも提示され、戸惑いもあるけど、納得できることも沢山ある
タイトルの「聞くこと、話すこと。」に啓示される事柄は枚挙にいとまがない
『たとえば親しい人との別れ際に訪れる、あの去り難いことだけははっきりしていても、言葉で言い表せない感覚を思い出してほしい。「さよなら」は「左様ならばこれにてお暇つかまつる」といった、「左様ならば(それなら)」の省略を起源とする。「それなら」自体は心残りを表す意味を持ち合わせていない。』



