
咲
@mare_fecunditatis
2026年4月5日
喪の途上にて
野田正彰
読み終わった
1985年8月12日18時56分26秒
羽田発大阪行 日本航空123便JA819号機
群馬県上野村御巣鷹の尾根に墜落
524名搭乗 乗客505名乗員15名死亡 生存者4名
520のうち五体が一応揃っていた遺体は177
他の遺体はすべて離断され2065の部分となった
検死場の広い体育館で、無数の離断遺体の中から、父の、夫の、子の肉体の一片でもと求めて歩く遺族
完全遺体か部分遺体という差で分断が生じる遺族会
「事故死は悲惨であるが、その悲惨をもう一度汚すのもまた人間であり、会社であり、社会システムである」
3月の終わり、まだ雪の残る北海道へ行った。大学時代の恩師の最終講義が執り行われたのだった。
臨床心理学の教師として、実践家として、長きにわたり「被害」に携わり続けていた方だった。
「臨床家たちは皆、口を揃えて「クライアントから学べ」と言う。私の場合は、クライアントはすなわち、被害を受けて傷を負った方々だった。だが、どんな学会に行っても、「被害者の手記やインタビュー録を、手に入るものはすべて読んだ」という経験を自分と分かち合ってくれる人には、一度も出会えなかった」と、静かに言葉を置くように口にされた。
勧められた本を買い、北海道で、帰路のJALの中で、帰宅後の家で、読んで読んで読んだのだった。
以後、ずっと、度を過ぎた自己破壊的な勤勉に沈んでいる。
もっと、読め、読め、読めと、何かが私を強いる。
「遺族を抜きにして、日航と上野村と警察が事を運んでしまった。あんな遠くの、お参りにも行けないような所に埋めてほしくなかった」
「もっと真剣に遺体を確認すべきだった。たとえ貧血をおこし、失神をしてでも、そうすべきだった。この悔いを、私は一生背負っていかねばならない」
文字となった悲哀、怒り、傷が、私を侵食する。
苦しい。