活字畑でつかまえて "スプートニクの恋人 (講談社..." 2026年4月7日

スプートニクの恋人 (講談社文庫)
約、20数年ぶりの再読。 当時、ブックオフみたいな古本屋さんで300円くらいで買った記憶がある。 内容は全く覚えていない。 ミュウの「観覧車の話」は 村上春樹作品の中でも特筆すべきエピソードであると思う。 読み進めていくうちに、特に中盤から後半に連れ この作品は傑作だと確信する。 最後、まるでノルウェイの森のように電話ボックスが出てくる。 ノルウェイの森のワタナベくんのように、すみれには自分のいる場所が分からない。 しかし、すみれのいる場所は断然されていない。 生きている電話ボックスだ。 ワタナベくんのいる電話ボックスは世界と断然されていたし、ゆえに自分のいる場所が分からない。 ワタナベくんのいた場所はどこでもなかったし、どこでもよかった。 とにかく隔絶された場所だった。 村上春樹はワタナベくんの先を すみれという人物を使って前に進め世界を押し広げたように思う。 ノルウェイの深くて暗い森を抜けた世界 それが「スプートニクの恋人」だ。 この物語の最後の最後に すみれと〈僕〉はお互いが 一生の旅の連れであることを見出したのだ。 「あまりにもすんなりとすべてを説明する理由なり論理なりには必ず落とし穴がある。それがぼくの経験則だ。誰かが言ったように、一冊の本で説明されることから、説明されないほうがましだ。つまり僕が言いたいのは、あまり急いで結論に飛びつかないほうがいいということだよ。」 「すみれはぼくから離れて「さびしい」と言う。でも彼女のとなりにはミュウがいる。ぼくには誰もいない。ぼくにはーぼくしかいない。いつもと同じように。」 この取り残された感、すごく分かるな。 女性というのは時として本当に遠くに行ってしまうんだ。 ミュウ「わたしにはそのときに理解できたの。わたしたちは素敵な旅の連れであったけれど、結局はそれぞれの軌道を描く孤独な金属の塊に過ぎなかったんだって。遠くから見ると、それは流星のように美しく見える。でも実際の、わたしたちは、ひとりずつそこに閉じこめられたまま、どこに、行くこともできない囚人のようなものに過ぎないわ、ふたつの衛星の軌道がたまたまかさなりあうとき、わたしたちはこうして顔を合わせる。あるいは心を触れ合わせることもできるかもしれない。でもそれは束の間のこと。次の瞬間には、わたしたちはまた絶対の孤独の中にいる。いつか燃え尽きてゼロになってしまうまでね」 すばらしいです。 すみれ「たとえば具体的に言うと、まわりにいる誰かのことを「ああ、この人のことならよく知っている。いちいち考えるまでもないや。大丈夫」と思って安心していると、わたしは(あるいはあなたは)手ひどい裏切りにあうことになるかもしれない。わたしたちがもうたっぷり知っていると思っている物事の裏には、わたしちたちが知らないことが同じくらいたくさん潜んでいるのだ。理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない」 すみれ「昔、サム•ペキンパーの監督した『ワイルド•バンチ』が公開されたときに、一人の女性ジャーナリストが記者会見の席で手を挙げて質問した。「いったいどのような理由で、あれほどの大量の流血の描写が必要なのですか?」、彼女は厳しい声でそう尋ねた。出演俳優の一人であるアーネスト•ボーグナインが困惑した顔でそれに答えた。「いいですか、レディー、人が撃たれたら血は流れるものなんです」。この映画が製作されたのはヴェトナム戦争がまとさかりの時代だった。わたしはこの台詞が好きだ。おそらくはそれが現実の根本にあるものだ。分かちがたくあるものを、分かちがたいこととして受け入れ、そして出血すること。銃撃と流血。 いいですか、人が撃たれたら血は流れるものなんです。」 すみれ「わたしのそれなりに勤勉なつるはしの先はようやく強固な岩塊を叩く。こつん。わたしはミュウに、わたしが何を求めているかをはっきりと示そうと思う。このような宙ぶらりんの状態をいつまでも続けていくことはできない。どこかの気弱な床屋のように裏庭にしけた穴を掘って、「わたしはミュウを愛している!」とこっそり打ち明けているわけにはいかないのだ。そんなことを続けていたら、わたしは間断なく失われていくことだろう。すべての夜明けと夕暮れが、わたしをひとかけらひとかけら奪っていくことだろう。そしてそのうちわたしという存在は流れに削り尽くされ、「なんにもなし」になってしまうことだろう。」 宙ぶらりんの状態ではいられないと腹をくくるのが村上春樹作品の主人公だ。 すみれ「血は流されなくてはならない。わたしはナイフを研ぎ、犬の喉をどこかで切らなくてはならない。」 村上春樹作品の主人公はある時点で腹をくくり 逃げ場のない状況に自らを追い込んでゆく。 そこには選択肢はない。 ミュウ「強くなることじたいは悪いことじゃないわね。もちろん。でも今にして思えば、わたしは自分が強いことに慣れすぎていて、弱い人々について理解しようとしなかった。幸運であることに慣れすぎていて、たまたま幸運じゃない人たちについて理解しようとしなかった。健康であることに慣れすぎていて、たまたま健康ではなない人たちの痛みについて理解しようとしなかった。わたしは、いろんなことがうまくいかなくて困ったり、立ちすくんでいたりする人たちを見ると、それは本人の努力が足りないだけだと考えた。不平をよく口にする人たちを、基本的には怠けものだと考えた。」 作中で〈すみれ〉が読んでいた本 ジャック•ケルアック 「オン•ザ•ロード」「ロンサム•トラヴェラー」
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